参 忌謡 その一

文字数 1,979文字

お初にお目にかかります。
キクと申します。

見ての通り、山育ちの婆でございます。
何分年寄りでございますので、お見苦しきところがありましたら、平にご容赦下さい。

皆さんは『でんでらりゅう』という童謡を、お聞きになったことがありますか?
長崎の方の(うた)だそうですね。

歌詞ははっきりと存じませんが、『出たいけど、出られないから、出ない』という意味の謡だと聞いたことがあります。
何でも、丸山遊郭の遊女さんの身の上を謡ったものだとか、伺ったことがあります。

実は私の育った山村にも、『でんでらりゅう』と少し似た童謡が、昔から伝わっておりました。
もちろん歌詞も意味も、そして節も違うのですけど、出たいと思っている者が出られないというところが、よく似ておりました。

歌詞は朧気(おぼろげ)ながら覚えておりますが、今ここで披瀝することは控えさせていただきます。
それは、私のお話を聞いていただければ、ご理解いただけると思いますので。

私の村から、さらに山奥に入った所に、大きな洞がありました。
村の者からは、<蟲込めの洞>と呼ばれておりました。

迷信だと思われるかも知れませんが、遠い昔に悪蟲が暴れ回って、人を喰らっていたものを閉じ込めたのが、その名の由来であると言われておりました。

そして閉じ込められた蟲が、洞から出たいのに出られない恨み言を吐き続けたのが、いつの間にか人の耳に触れて、(うた)になったのだそうです。
ですので、私の村ではそれを、忌謡(いみうた)と呼んでおりました。

尤も、子供が謡をそのまま口遊(くちずさ)む分には、何の問題もなかったのでございます。
洞から蟲が暴れ出て、村に(わざわい)するなどということも、勿論ありませんでした。

ですので、私どもは皆、日本のあちこちの村や町で語られている、昔話の一つだと思っておりました。
科学が発達した今のこの世に、悪蟲が封じられた洞窟など、現実味がありませんものね。

そういう訳で、忌謡(いみうた)などと呼ばれていても、村の子供たちが口伝に覚えて、特段気にすることもなく、口遊んでおりました。

大人たちも、自分の子供の頃から耳慣れた(うた)でしたので、聞き流していたのでございます。
あの時までは。

ある夏の日、私どもの村を、東京から五人連れの人たちが訪れたのです。
一人は大学の先生で、後の四人は学生さんでした。

何でもその人たちは、民俗学というものを研究しているとかで、卒業研究の課題で、各地の里謡の由来などを、現地を回って調べていたそうです。
そして私の村に伝わる、忌謡のことをどこかで聞き知って、夏休みを利用して調査に来られたそうなのです。

村には小さな温泉が湧き出ており、私の家は農業の傍らで、温泉宿を営んでおりました。
五人の方々は、私の家に逗留して、村の年寄りから話を聞いたり、<蟲込めの洞>を訪ねたりしたのです。

五人のうち、先生は五十がらみの男性で、クロサワ助教授と呼ばれておりました。
学生さんのうち、二人は男性で、後の二人は女性でした。

名は男性がシバタさんとオカノさん、女性はミキさんとヤマオカさんという方々でした。
皆さん、真面目そうな学生さんでしたよ。
あんなことがあって、本当に残念です。

そうそう、忌謡の話でしたね。
先程申しましたように、歌詞をすべて披瀝することは、控えさせていただきますが、このお話と直接関係する箇所だけ、お話しますね。

それは謡の最後の部分です。
忌謡は先程に申しましたように、洞に封じられた蟲が、出たいのに出られないことを、恨み言として吐き出したのが、歌詞の元であると言われております。

そして最後の歌詞が、『出む、出む』で終わっているんですね。
『出む』という言葉は、私どもの村の方言で、『出ない』を意味しております。

つまり、蟲の立場からは、『出たいのに、出られないから、今は出ない』という意味になるのです。
このことに、クロサワ助教授が興味を持たれたのです。

興味を持った契機(きっかけ)は、村の年寄りの一人が、「忌謡の歌詞は(いじ)ってはならない」と言ったことでした。
弄ってはならない理由は、それを言った年寄りも覚えていなかったのですが、昔からの言い伝えだったそうなのです。

クロサワ先生は、何故弄ってはならないのかという理由を調べてみようと、学生さんたちに提案されました。
それで学生さんたちも興味を持ったようなのです。

それがいけませんでした。
やはり忌謡の歌詞は、言い伝え通り、弄ってはならなかったのです。

クロサワ先生と四人の学生さんたちは、村の菩提寺の庫裡(くり)に収められていた、古い文献を調べ始めました。
しかし中々、忌謡に関するものは見つからなかったようです。

ただ、その中で一冊だけ、歌詞の末尾の『出む、出む』という部分に触れた箇所が見つかったそうです。

夕食の場で、五人がそのことについて、一生懸命議論されていたのを、今でもはっきりと覚えております。
何しろそのことが、後に起こった悲惨な出来事の発端になったのですから。
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