参 碧珠 その二

文字数 2,223文字

漁師町の夜は早いのです。
漁師さんたちが未明から仕事を始めるので、家族の生活リズムも、自然と早くなります。

ですので、夜の九時を過ぎると、町は静まり返ります。
その静かな町に、得体のしれない物が出没し始めたのです。

始めの頃は、その姿を見た人は誰もいませんでした。
痕跡だけが残っていたのです。

やがて港に繋いだ漁船の船壁に、大きな爪痕が残っていたり、浜に吊られた漁網が引き裂かれていたりと、被害が徐々に広がっていきました。
そのことに業を煮やした漁師さんたちが、有志を募って夜に浜を見回っていた時でした。

浜の方から、何かざわざわと音がするのに気づいた三人の漁師さんが、様子を見に行ったそうです。
すると波打ち際に何かが盛り上がって、蠢いている様子が見えたのです。

漁師さんたちがその塊にライトを当ててみたところ、遠目には大きな蟹のようなものが固まっているようでした。
不審に思って近づいて見ると、それは蟹に似た形をした化け物でした。

大きさは成人男性の頭くらいで、甲羅や鋏があるところは蟹と同じだったのですが、そいつらは二本足で立って、お腹側には人間のような目と口が付いていたのです。
そんな異様な姿をした化け物が、何十匹も固まっていたのです。

驚いた三人は慌てて逃げ出して、仲間の漁師さんたちに知らせました。
話を聞いた仲間の人たちは、半信半疑で浜に向かったそうです。

しかし浜には、三人が見た化け物は一匹も残っていなかったようです。
その代わりに、殆ど白骨化した動物の死体が見つかりました。

それは最近餌を求めて、町に出没していた猪でした。
恐らくあの化け物たちに襲われて、食い殺されてしまったのでしょう。

町は騒然となり、町内会の代表が、地元を管轄する警察署に通報したのですが、取り合ってもらえなかったそうです。
どうせ漁師が酔っぱらって、幻覚でも見たのだろうと、片付けられてしまったのだとか。

確かに、人の顔をした化け物蟹が徘徊しているなど、信じろと言う方が無理でしょう。
それに、人的被害が出ていなかったことも、理由だったのかも知れません。
しかしそれ以降も、化け物騒ぎは続きました。

浜に近いある家では、夜中に台所の排水溝から、蛇のようなものが首を出して、家人を脅かす騒動があったそうです。
また、町の外から港に夜釣りに来た人が、波止周囲に置かれたテトラポットを埋め尽くして這いまわる、大きな磯目の群れを目撃したという噂もありました。

そしてその頃になると、父の持っていた碧珠のことが、町の人の口の端に乗るようになったのです。
きっかけは、小学生の弟が学校で口を滑らせたことでした。

弟は碧珠のおかげで、魚が沢山獲れるようになったと言っただけだったのです。
しかし噂が巡るに従って、碧珠が化け物たちを呼び寄せているという話に変わっていきました。

今思えば、それは事実だったのかも知れません。
ただ、当時の町の緊迫した雰囲気の中では、私たち家族にとっては、迷惑この上ない話だったのです。

やがて町の代表と称して、数人の男の人が家に押しかけて来ました。
その頭株の人は、サカタさんという漁師さんでした。

サカタさんは、以前父をやっかんで、盛んに嫌がらせを仕掛けてきた人でした。
その時も、先頭に立って父に言いがかりを付けて来たのです。

サカタさんは、父の碧珠は化け物を呼び寄せる不吉なものだから、自分に寄こせと言いました。
自分が町を代表して、沖に捨ててくると言うのです。

父が、それでは自分が捨ててくると言うと、サカタさんは、父のことが信用できないと主張しました。
父とサカタさんが言い合いになったところに、話を聞いた漁業組合長さんがやって来て、仲裁に入ってくれました。

そして父は、碧珠をサカタさんに渡すことにしました。
どの道、自分で捨てるつもりになっていたので、渡しても結果は変わらないだろうと思ったそうです。

しかし父から碧珠を受け取ったサカタさんは、それを捨てなかったのです。
そのことは、翌日からサカタさんの船だけが、毎日大漁で返って来るようになったことで、一目瞭然でした。

一方父の船は不漁続きでした。
しかし父は何も言いませんでした。

後から聞いた話なのですが、珠を持って漁に出ていると、何となく不安な気分に襲われるようになったからだそうです。
そして父の予感は当たりました。

ある日、沖に出ていたサカタさんの船が、沈没してしまったのです。
サカタさんも海に飲み込まれてしまいました。

近くで漁をしていた人の話では、海から巨大な黒い手が突然現れて、サカタさんの船を海中に引き込んでしまったそうなのです。
海上保安庁の船や、漁師さんたちが総出で捜索に当たりましたが、サカタさんも船も、そしてあの碧珠も見つかりませんでした。

それ以降、化け物たちは現れなくなりました。
町の人たちは、あの碧珠がサカタさん一緒に海に沈んだからだと噂していました。

サカタさんに同情する人もいましたが、彼が父から奪った碧珠を、自分のものにしていたことが悪評となり、父に対する批判はあまり起きませんでした。
温厚で親切な、父の人柄のせいもあったのかも知れません。

結局あの碧珠は何だったのか、化け物たちがどこから来たのか、今となっては誰にも分かりません。
ただ、あの珠が魚だけではなく、海の化け物たちも引き寄せていたことだけは、確信しています。

以上を持ちまして、私の話は終わらせていただきます。
(つたな)い語りに、最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
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