弐 蛇(くちなわ)の毒 その一

文字数 1,952文字

私はタケダと言います。
国立の某研究所で、研究員をしています。

私が研究しているのは動植物の毒に関することで、特に蛇毒について、詳しく研究しています。
皆さん、毒蛇の被害の実態をご存じですか?

正確な数は不明ですが、毎年世界中で、約五百四十万人が蛇に咬まれ、その半数程度が、蛇毒の被害を受けています。
そしてその内、八万人から十三万人が、蛇毒が原因で死亡し、その約三倍の方が、四肢の切断その他の、永久的な身体障害を受けているとされています。

日本国内でも、毎年千人から二千人が被害を受けて、数人がなくなっているんですよ。
まあ、蜂刺症(ほうししょう)に比べれば格段に少ないですが、それでも被害はなくなっていません。

蛇毒の種類は、三種類に大別されます。
神経毒、血液毒、筋肉毒ですね。

お聞きになったことがあるでしょう?
まあ今夜は、詳細については、長くなるので述べませんが。

さて今日お話しするのは、蛇毒に関することなのです。
私の同僚に、スギモトという女性がいました。

彼女は私より三年遅れて研究所に入所したんですが、それは熱心な研究者でした。
熱心を通り越して、何かに取り憑かれてるんじゃないかと、思ったくらいです。

何に取り憑かれていたのかですって?
毒蛇です。
彼女は毒蛇の、いわば虜だったのです。

スギモトさんが、毒蛇に憑かれることになった契機(きっかけ)は、彼女の少女時代の出来事でした。
私がそのことを聞いたのは、研究所の年末納会の折でした。

彼女の生まれ故郷は、長野県の上田市で、自然豊かな場所だったそうです。
そして彼女が生まれたのは、松尾宇蛇神社という、白蛇を祭神とする神社の近くで、そういう意味では、生まれた時から蛇との縁が深かったんですね。

実は彼女、十歳の時に、道を歩いていて、毒蛇に咬まれたそうなんです。
しかもその蛇は、白蛇だったそうです。

先程上田市には、白蛇を祭る神社があると言いましたが、白蛇というのは非常に珍しいんですよ。
実体はアオダイショウから、十万分の一程度の確率で誕生するアルビノ種で、劣性遺伝であるため、通常次代には引き継がれません。

ただ国内には山口県の岩国市で、遺伝によって白化が子孫の代にも受け継がれたものが野生化し、国の天然記念物として、集中していて生息しています。
しかし他の地域では、野生の白蛇はかなり稀だと言えます。

まあ講釈はこの程度にして、その時スギモトさんの前に現れた蛇は、かなり大きな個体だったようで、まだ子供だった彼女は、竦み上がってしまったそうです。
白蛇は目が赤いので、余計に怖く感じたんでしょうね。

そして彼女は、飛び掛かってきた蛇に、腕を咬まれてしまったんですね。
白蛇は先程も言いましたが、元はアオダイショウなので無毒ですし、そもそも性格が温和な蛇なので、人間を襲うことはないのですが、その時の彼女は運が悪かったんでしょうね。

彼女を咬んだ蛇は、そのまま藪の中に逃げて行ったそうです。
逃げ込む前に一度振り向いて、鎌首をもたげた姿がとても恐ろしかったと、スギモトさんは当時のことを思い出して、述懐していました。

そして彼女を咬んだ蛇は、何故か毒を持っていたのです。
もしかしたらアオダイショウではなく、蝮かヤマカガシのアルビノ種だったのかも知れません。

スギモトさんが咬まれた直後に、偶然通りかかった近所の大人が、適切な応急処置を施してくれたおかげで、幸い命は助かったそうです。
ただ、小さな体に毒を受けたためか、三日三晩高熱にうなされたようですね。

熱にうなされている間、スギモトさんはずっと、白蛇の夢を見ていたそうです。
その夢の中で、彼女を咬んだ蛇が、真っ赤な眼でじっと彼女を睨んでいたそうです。

幸い三日経った頃には熱が下がり始め、体も回復し出したのですが、彼女の体には異変が起こっていました。
髪が真っ白になり、虹彩が赤みを帯びていたのです。

鏡で自分の顔を見たスギモトさんは、自分が白蛇に取り憑かれたのだと思ったそうです。
実際彼女は、肌の色が抜けるように白くて、体形もほっそりしていたので、大人になった後も、白蛇を連想させる容姿をしていました。

身体が元に戻って、学校に通い始めた彼女を見て、皆が驚いたそうです。
それはそうですよね。
容姿が見違えてしまうほど、変貌していたのですから。

そして案の定、スギモトさんを『白蛇様』と言って、揶揄(からか)う子たちが出てきたそうです。
そういう周囲の視線に、彼女はずっと晒されながら大人になっていったのです。
そしてそのことが、彼女の精神に影響を及ぼしたのは、ある意味必然だったと言えるでしょう。

彼女は、大学進学に当たって、農学部を進路に選びました。
蛇の研究をするためです。

いや、自分を咬んだ、白蛇になるための研究と言った方が、正確かも知れません。
その頃から彼女の狂気は、徐々に加速し始めたのです。
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