壱 禁句 その二

文字数 2,104文字

――やっぱり来たか。
僕はトクノさんの言葉を聞いて思いました。
そんな簡単に、二百万円もくれる訳がないですから。

「これから朝の八時まで、この部屋から出ないで下さい。
と申しますより、八時を過ぎますと、部屋から出られなくなります」
そう言いながらトクノさんは、思わせぶりな笑顔を見せました。

「トイレに行きたくなったら、どうすればいいんですか?」
ナカヤさんが恥ずかしそうに訊くと、トクノさんは部屋の隅にあるドアを指しました。

「トイレは、あちらをご使用下さい。
部屋を出たことにはなりませんので」
答えを聞いて、ナカヤさんは安心したようでした。

「あの、朝までずっと起きていないと、いけないんでしょうか?」
今度はクラモトさんが尋ねます。

「もちろん、椅子に掛けて眠って頂くのは自由です。
眠れるのであれば…」
妖しい笑みを浮かべながら、トクノさんは答えました。

「よろしいですか?
次に、明日の朝八時まで、皆様に守って頂きたいことがあります」
僕たち五人は、無言で次の言葉を待ちました。

「明日の朝八時まで、『やめて』、『たすけて』、『こわい』という意味の言葉は、決して使わないで下さい。
よろしいですか?」

「もし使ったら、どうなるんですか?」
僕が質問すると、トクノさんは厳しい表情を僕に向けた後、皆を見回して言いました。

「その場合は、残念ながら強制退場となります。
当然ですが、報酬をお支払いすることは出来ません」
その言葉に、座は一瞬鎮まりました。

しかしその時、トキトウさんが、他の参加者を見回して言いました。
「結局、一晩喋らずに過ごせばいいということでしょう?
下手に喋ると、うっかり出ちゃうかも知れないから。
いいんですよね?
トクノさんでしたっけ?」

「もちろんそうして頂いても、一向に構いません。
条件は以上となりますが、ご不明の点はございますか?」
トクノさんの問いに、皆が沈黙で応えた。

「そろそろ八時となりますので、開始させて頂きますが、今であれば、辞退されるのも自由です。
いかがですか?」
その問いに僕たちは、お互いの顔を見合わせました。

しかし辞退する人は、一人もいませんでした。
皆、多少の薄気味悪さは感じていたと思うんですけど、やっぱり二百万の誘惑には勝てなかったんです。

「それでは」
そう言ってトクノさんが部屋から出て行くと、丁度八時を知らせる時計の音が、室内に響きました。

すると室内の照明が、僕たちの真上のものを除いて、すべて落とされたのです。
室内はかなり暗くなりましたが、お互いの顔を識別出来ない程ではありませんでした。

八時を過ぎても、暫くの間は何も起こりませんでした。
静まり返った室内に、柱時計が時を刻む音だけが、カチカチと鳴るだけでした。

僕たちは、先程の取り決め通り、口を開くこともしませんでした。
椅子の間隔が空いていて、話しづらかったのも事実です。

時間を持て余した僕は、スマホを取り出すと、動画を見て時間を潰そうと思いました。
しかし圏外になっていて、どこにもアクセス出来なかったのです。

ナカヤさんとトキトウさんも同じだったらしく、僕たちは互いに顔を見合わせて、同時に苦笑を漏らしました。

それから一時間程が経過した時でした。
僕は部屋の中に、異様な雰囲気が漂い始めたのを感じたのです。
他の人たちも同じように感じたらしく、一斉に辺りを見回しました。

いつの間にか、部屋の中を、影のようなものが、何体も歩き回っていたのです。
その影が徐々に近づいて来て、やがて僕たちの周りを歩き始めました。

そして僕たちの顔を、間近から覗き込んだのです。
その顔は人間と似ていて、眼も鼻も口も揃っていましたが、そいつらが人間でないことは、見た瞬間に分かりました。

やがてそいつらの数は増えていき、四方八方から纏わりつくようにして、僕たちの顔に、自分たちの顔を接するようにして、覘き込み始めたのです。
全く感情の籠らない眼で。

その時でした。
「やめて!」という声が、部屋中に響き渡ったのです。

声の方向を見ると、クラモトさんが、しまったという表情を浮かべていました。
トクノさんは、『やめて』という言葉を使うと、強制退場だと言っていました。

だから僕は、クラモトさんが強制的に、部屋から連れ出されると思ったんです。
もしそうだったら、僕も二百万は諦めて、出ていこうと思ったんです。

でも違いました。
そんな生易しいことではなかったんです。

クラモトさんに纏わりついていた一体が、彼女の頭頂部に吸い付いたんです。
そして、『じゅるじゅる』と音を立てながら、彼女の中身を吸い込んでいったのです。
クラモトさんは、見る見るうちに(しぼ)んでいきました。

そして、彼女に吸い付いていた奴が離れると、残されたのは皮だけでした。
彼女の皮は、生きていた時のように、ちゃんと服を着ていて、髪の毛も付いていました。
でも中身と一緒に吸い込まれた眼の跡には、空洞が残されているだけでした。

僕はその一部始終を、声を失ったまま、呆然と見ていることしか出来ませんでした。
その時部屋の隅に置かれた柱時計から、時刻を知らせる音が響き渡りました。

四人が一斉に時計を見ると、まだ十時でした。
恐怖の夜は、まだ始まったばかりだったのです。
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