壱 草人 その一

文字数 1,589文字

私の名はキヨと申します。
見ての通り、老い先短い婆でございます。

私が生まれ育った場所は、中国地方の山深い集落でした。
冬に雪が積もれば易々と道が塞がれ、孤立してしまうような、そんな寒村でした。

山に囲まれた狭い土地で、僅かな田畑の収穫を頼りに、左程多くもない村人が、身を寄せ合って暮らしておりました。
しかしどんな小さな村にも、鎮守の社があり、代々伝わる伝統儀式めいたものがあるものです。

私の故郷の村にも、それはありました。
草人(そうじん)』というものでした。

大したものではありません。
ヨモギの茎を編んで、人型に作るだけの、単純なものでした。

ただ少し変わったところがあったとすれば、村人一人一人の『草人』を、毎年作るということだったでしょうか。
私の村では、『草人』は人の災厄を、その人に代わって負ってくれるものと伝えられていました。

ですので、毎年陰暦の元旦に、各人がおのれの『草人』を持ち寄って、鎮守の社で御神火にくべ、災厄ごと燃やしてしまう儀式が行われていたのです。
そして次の年の災厄を負ってくれる、新たな『草人』を、各人が家に飾るのです。

迷信だと思われますか?
そうでしょうね。
それもご尤もだと思います。

令和のこの世に、草で編んだ人形が、人に代わって災厄を負ってくれるなどという戯言(たわごと)を、信じろという方が無理でしょう。
私が子供だった当時でも、まともに信じている人は稀だったと思います。

ただ、<縁起を担ぐ>という言葉がございますでしょう?
昔から伝わっている伝承を、無碍(むげ)にすることも憚られますので、どの家のどの村人たちも、毎年新しい『草人』を編み、古いものを神火で焼くということを繰り返していました。

村の者皆が迷信だと笑いながら、心の奥底では、万が一それが真実であった時のことを、恐れていたのだと思います。
そういうことの一つや二つは、皆さまもお持ちでしょう?

話を戻しましょう。
当時私の村に、エイタロウさんという四十代の男性が住んでおりました。

エイタロウさんはその頃、村はずれの家に一人で暮らしていました。
若い頃に奥さんを失くされ、お子さんもいなかったので、寂しいやもめ暮らしをされていたのです。

エイタロウさんは、とても穏やかで人柄の良い方でした。
自分の畑仕事が早く終われば、近所の方の作業を手伝ってくれるような、そんな優しい人だったのです。

私ら子供にも、いつも優しく接してくれて、時折町で珍しいお菓子を買ってきて、振舞ってくれました。
きっと、奥さんも子供もいない一人暮らしの寂しさを、村の子供に優しくすることで紛らしていたのだと思います。

そんなエイタロウさんにも、一つ欠点がありました。
それはお酒でした。

ただその欠点は、酒を呑んで人に絡んだり、暴力を振るったりするような類のことではなく、いつも深酒をしてしまうというものでした。
村の皆と呑む時も、一人家で呑む時も、黙々と杯を重ね、そのまま眠ってしまうことが、度々あったのです。

エイタロウさんの体を心配して、忠告する人もいましたが、ただ笑って頷くだけで、その癖だけは改まることがありませんでした。
村の人は皆、エイタロウさんが寂しさを紛らすために、深酒をしているのだろうと思い、笑って見守っていました。
それがいけなかったのです。

ある年の正月でした。
村では皆がこぞって鎮守の社に集まり、持ち寄った『草人』を、神火にくべる儀式を執り行っていました。

しかしただ一人、エイタロウさんだけが、社に来なかったのです。
エイタロウさんは、前日からかなりのお酒を呑んでいて、その日は家で眠りこけていたのでした。

普段であれば、村のどなたかが気づいて、エイタロウさんを起こしに行ったのだろうと思います。
しかしその日は何故か、誰もエイタロウさんがいないことに気づかなかったのです。

そしてエイタロウさんの『草人(そうじん)』だけが、焼かれずに残ってしまいました。
それが村の災厄の始まりでした。
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