第13話

文字数 1,061文字

「こちら大野さん」とだけ、みゆきが言って、僕は、笑いたいのだけどうまく笑うことができないといった顔になった。
 
そして話しながら(みゆきと従業員)しばらくビールを飲んでいると、従業員がマイクを手渡してきたが、僕もみゆきも歌わなかったので、従業員がチェリーブラッサムと小麦色のマーメイドを歌い、僕は手拍子をしたり、歌っている従業員にウインクされたりしながら、楽しそうに眺めていた。そのうちに、従業員の二人が、「みゆきって何の仕事をしている人?」と尋ねてきた。

「すごく綺麗なんだけど、謎多き女よね」

「けっこううちに来るけど、何している人なのか全然わかんないのよ」と言い出して、何となく居心地が悪く、僕はちょっとたじろいで、みゆきの方を見た。

おそらく、みゆきは客を連れてきたことがなかったのだろうな。下を向きながら困り顔を浮かべ、曖昧な笑みを見せいた。会話に何度か空白が生まれた。で、そうこうするうちに、店のドアが開いて、1人の男性客が入ってきた。カウンターに来て、従業員が、いらっしゃい、と言うと、みゆきの顔に目を移し、口をひらいた。「いやあ、綺麗だ…」と褒めた。

男性は酒を注文しながら、みゆきとしばらく話した後、向こうのテーブルに移った。しかし、何か気まずい空気が流れており、みゆきは、気分を害したように黙り込んでしまい、最終的には、携帯だけを持って店の外に出て行ってしまった。

従業員の二人は困惑した表情でみゆきを目で追い、彼女を呼び戻そうとしたが、みゆきには聞こえていなかった。従業員が低い声で密談し、そして僕に「ちょっと何か話しなさいよ」と言ったけど、僕は微笑んで、何も言わなかった。

みゆきと話していた客が再びカウンターに来ると、酒のおかわりをしながらまたみゆきのことを綺麗だと言って、褒める。

なんなんだよ、お前は……。

という僕の思いとは逆に、みんなが僕をそう思っていたのかもしれないな。なんなんだよ、こいつは……ってさ。

人というのは、普通に考えればそうだろうけど、特にみゆきのような存在は常に緊張しなければならない存在だと理解できる。またみゆきは自分の魅力を知らないうちに誰彼構わず振り撒いていて、突然、何かいわれりすると、なんとなく頭にくるのかもしれないという気がした。そしてみずからの尊大な態度のために、たぶん誰よりも孤独だったのかもしれない、というべきだろうか。しかし、くりかえすようだが、実際には、僕自身が一人であることを示唆していて、どこにいても、どんな時も一人だと感じていて、孤独からの脱出を求めていた。  


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