第6話 どの文学賞に出すか
文字数 4,052文字
では、次に、『どの文学賞に応募するか』
正直に言えば小説を書き始めた当初(大学生)から、ライトノベルに以前のような情熱を持てなくなっていました。そして一度、執筆を休止し、執筆を再開した時には十三年が経っており、その間にラノベは完全に卒業していました。
中学~大学生まではラノベを夢中で読んでいましたが、自分が読みたいものと自分が書きたい(書く)作品は違います。
私にとって、「ラノベを卒業したら、どこへ出せばいいのか」が課題でした。
本屋に行き、一般小説を立ち読みしましたが、その時頭に浮かんだ感想が、「色がない(地味という意味)」でした。
面白くもなんともなかったのです。起承転結が曖昧で、話の盛り上がりもなく、風景や心情の描写はありましたが、「それがどうしたの」、と驚くほどときめきませんでした(文学ファンの方、すみません)。
ほとんどラノベしか読んでいなかったせいか、余計そう感じたのかもしれません。
私の印象ですが、ライトノベルは起承転結がはっきりとしており(悪役がいるなら倒される、封印される、推理物なら犯人は逮捕される)、話の盛り上がりがあり、文章やセリフに勢いがあり、キャラが立っていたり、また作者によりますが、描写も美麗であったり、緻密だったりします。もちろん、赤川〇郎さんを少し冗長にした感じのラノベもあります。←赤川〇郎さんを批判しているわけではありません。中高大学時代、ラノベ以外の小説で一番読んだ作家さんです。大笑いした記憶も何度もあります。
現在は、ラノベ文芸というものがあるそうですね。読んだことはありませんが、ライトノベルと一般小説の中間みたいなものでしょうか。
話を当時に戻し、ラノベはもう書く気がしない、ラノベの次に一般小説を考えたけれど面白みを感じない、ということで、行き詰りました。
やっと、本題です。
『書き上げた原稿をどの文学賞に出せばいいか』
十年間、文学賞に応募し続けて辿り着いた結論。
「どこに出すか決めてから、書いた方がいい」です。
〈ここまで引き延ばしておいて、それかい!〉って思われるかもですが、「文学賞を決めてから書いた方が効率がいい」、です。
執筆を再開して数年経った頃、「狙った文学賞に向けて書く」旨の記事を読んだ記憶はあるのですが、その時私は、〈めんどくさい〉と思ってしまったんです。
文学賞っていっぱいあるんですよね。あるデータでは年間三〇〇以上あるそうです。文学賞それぞれに規定枚数は違うし、受賞後の取り扱い方、ジャンルやら傾向やら、プロアマ問わない、新人に限るなど応募対象も違います。
〈書くので精一杯なのに、応募する文学賞の傾向を知るために過去作品を読むなんて時間がもったいない。文学賞に応募していたらそのうち自分に合った文学賞が見つかるだろう〉。
そう考え、先に作品を書き上げてから、もしくは作品を書きながら文学賞を選び投稿していました。
それが間違いだと気づいたのは、ずーーっと後になってからです。
長すぎて出せない作品や、文学作品としては長すぎて、エンタティメントにしては話が地味すぎる中途半端な作品が多数出てきました。というか、全部です……。
例えば、『ねこはみている』。
ページ数はクリアしていましたが、文字数が足らず、応募締め切り後に出版社から返ってきました。翌年、書き直したものを同じ文学賞に送りましたが、敗退でした。
『ボーダーレス 明日のぼくら』
これは原稿用紙六〇〇枚分あります。これは長すぎて、どこにも出せませんでした。最後まで読んで下さった方、有り難うございます。大変だったと思います。途中で挫折した方、お疲れさまでした。もう二度と、こんな長い作品は書きません。多分。
長すぎてどこにも出せず、規定枚数のない文学賞に仕方なく出しましたが、ブラック(鷺←隠語)に近いソレでした。本当は投稿する前から、〈この文学賞は怪しい〉と気づいていたのですが、他に出せる賞がなく、仕方なく出しました。
ネット上の公〇〇イドで作家志望者向けの『小説の書き方』指南をしていたワ〇〇キさんは、「五〇〇枚を超える作品は書いてはいけない」、「五〇〇枚を超えるとどこにも出せないから」と言って(書いて)いました。ずっと後になってそれを見つけ、苦笑した記憶があります。
そうなんです、エンタティメントの文学賞はほとんどが五〇〇枚前後まで。ミステリーの文学賞なら五五〇枚が一件だけありましたが、ミステリーでないエンタメ作品は六〇〇枚になるとどこにも出せないのです。
そして、『繭』。
これも三〇〇枚ギリギリです。これは、文学作品として『す〇文学賞』に出すため、ぎりぎり三〇〇枚にまとめました。規定枚数が多い、エンタメよりの『小説す〇新人賞』に出すにしては話の内容が硬すぎると思ったのです。
調べた記憶では『小説す〇新人賞』はエンタメだけでなく文学よりの中間小説も受け付けるのですが、読者層が二〇代から三〇代と比較的若く、また過去作品を読んでも、比較的読みやすいテーマなり、作品だったので、『繭』には当てはまりそうになく、文学作品としてす〇文学賞に出そうと、ギリギリ三〇〇枚に収めました。
個人的には、最後のラザロ兆候は第二回の脳死判定が終わり、死亡宣告された後にしたかったのですが、そうすると三〇〇枚を超えてしまいます。また、「ラザロ兆候は無呼吸テスト開始後五分以内に最も起こりやすい」、という記述を読んでいたのもあり、二回の脳死判定後にこだわる理由が薄れ、作品内で「脳死診断で脳死と診断されれば、医学的には死んでいることになり、医療を中断できる」と書いているのだからこのままでいこう、と原文のままにしました。
〈内容知らんから何言っているのか分からない〉、という方はスルーして下さい。要するに、規定枚数に収めるため作品の内容自体を省いたということです。
次に、『あしぶね』
今までのことを反省し、作品を作りながら、応募する文学賞を探しました。内容的には話が地味なので「文学作品」対象の賞に出そうと思っていましたが、話が長くなりすぎて三〇〇枚を超えてしまいました。(文学は三〇〇枚以内がほとんど、エンタメは五〇〇枚未満がほとんどです)。
自分でも長いなあと思いながら削れず、ならば同じ締切日の『小説す〇』に出そうと考えました。しかし、ここでまた問題が。締切日に間に合わない。あれ、どうして。その日までには仕上がるつもりだったのに。……結局、締切日が数か月後のエンタメ系新人賞に出しました。しかし、その新人賞は小説す〇よりもエンタメよりの作品が受賞する傾向にあり、締め切り日や枚数はクリアできても、内容的にはマッチしない。エンタメにしては話に盛り上がりがなく、退屈に感じられるのです。
これは後日談ですが、やはり、編集者から「長すぎる。前半をカットしては」と指摘されています。
このように、作品を書き上げてから文学賞を決めるのは効率が悪いのです。原稿の枚数が短いなら長くもできますが、長かったものを短くするのは努力と思い切りが必要です。締め切り間近だとそういう手直しも満足にできない。
私は何度も同じ失敗を繰り返すうち、自分にあった文学賞を見つけましたが、八年経っていました。精神的にも肉体的にも負担が大きすぎました。
なにも文学賞に受けそうな作品を書けと言っているのではありません。
「その文学賞が求めるジャンルの作品を、指定枚数内に書き上げ、締め切り日までに出せるように、あらかじめ目標(応募先)を定めて書いた方がいい」、ということです。
応募要項にある指定枚数と締め切り日を守るのは最低限のルールです。これはどんな文学賞であっても絶対に守らなければいけません。
例えると、オーディションの日時を間違える、大学入試の日時を間違うのと同じです。朝ドラの「〇ギ〇ギ」の主人公はオーディション翌日に行き、母がごり押しして審査?してもらいましたが、あれは脚色です、多分。
では、ジャンルについてはどうでしょう。
エンタメのジャンルははっきり分かれていると聞きます。確かに、ミステリ―作品対象の文学賞、ホラー作品対象の文学賞、時代劇対象の……、と分かれていたりします。
例えば、ミステリー作品対象の文学賞にホラーを送るのは。文学作品が対象の賞にラノベ作品を出したら?
うちの文学賞の傾向と違うと除外されても文句は言えません。こっちはステーキが欲しいと言っているのにエビフライを持ってくるんだから。(注)例えです。
ジャンル違いの作品は予選で落とされることはよくある、そうです。その場合、第一次の発表で落選したことを知るまで、どこの文学賞にも出せません。場合によっては、待っている間によりふさわしい文学賞の締め切り日が過ぎ、一年待つ羽目になるかもしれないのです。
では同じジャンルの文学賞ならいいのか。
本格的なミステリー作品しか受け付けない賞と、広義のミステリー作品を受け付ける賞、同じジャンルの文学賞であっても濃淡?があります。
こんなことがありました。
あるミステリー文学賞で、「広義のミステリー作品が対象」、と書いてあるので、〈広義なら出せるかな〉と、検討していたことがあります。
しかし、何ヵ月後かに、その文学賞の編集長か編集者か忘れましたが、「ミステリーと関係ない作品が多数送られてくる」と、不満を述べる記事が出ていました。
〈広義のミステリーってどこまでが広義なの? もう少しで出すとこだったよ、出さなくて良かった〉と思った記憶があります。
同じジャンル対象の文学賞でも望む度合いが違います。コテコテのミステリーか、マイルドなミステリーか。ミステリー風でいいから面白い作品を送れとか……。
それを把握するには、やはり過去の受賞作品と(あれば)審査員の講評を読み、その文学賞の傾向をネットで検索するなり、調べることが大事かと思います。
正直に言えば小説を書き始めた当初(大学生)から、ライトノベルに以前のような情熱を持てなくなっていました。そして一度、執筆を休止し、執筆を再開した時には十三年が経っており、その間にラノベは完全に卒業していました。
中学~大学生まではラノベを夢中で読んでいましたが、自分が読みたいものと自分が書きたい(書く)作品は違います。
私にとって、「ラノベを卒業したら、どこへ出せばいいのか」が課題でした。
本屋に行き、一般小説を立ち読みしましたが、その時頭に浮かんだ感想が、「色がない(地味という意味)」でした。
面白くもなんともなかったのです。起承転結が曖昧で、話の盛り上がりもなく、風景や心情の描写はありましたが、「それがどうしたの」、と驚くほどときめきませんでした(文学ファンの方、すみません)。
ほとんどラノベしか読んでいなかったせいか、余計そう感じたのかもしれません。
私の印象ですが、ライトノベルは起承転結がはっきりとしており(悪役がいるなら倒される、封印される、推理物なら犯人は逮捕される)、話の盛り上がりがあり、文章やセリフに勢いがあり、キャラが立っていたり、また作者によりますが、描写も美麗であったり、緻密だったりします。もちろん、赤川〇郎さんを少し冗長にした感じのラノベもあります。←赤川〇郎さんを批判しているわけではありません。中高大学時代、ラノベ以外の小説で一番読んだ作家さんです。大笑いした記憶も何度もあります。
現在は、ラノベ文芸というものがあるそうですね。読んだことはありませんが、ライトノベルと一般小説の中間みたいなものでしょうか。
話を当時に戻し、ラノベはもう書く気がしない、ラノベの次に一般小説を考えたけれど面白みを感じない、ということで、行き詰りました。
やっと、本題です。
『書き上げた原稿をどの文学賞に出せばいいか』
十年間、文学賞に応募し続けて辿り着いた結論。
「どこに出すか決めてから、書いた方がいい」です。
〈ここまで引き延ばしておいて、それかい!〉って思われるかもですが、「文学賞を決めてから書いた方が効率がいい」、です。
執筆を再開して数年経った頃、「狙った文学賞に向けて書く」旨の記事を読んだ記憶はあるのですが、その時私は、〈めんどくさい〉と思ってしまったんです。
文学賞っていっぱいあるんですよね。あるデータでは年間三〇〇以上あるそうです。文学賞それぞれに規定枚数は違うし、受賞後の取り扱い方、ジャンルやら傾向やら、プロアマ問わない、新人に限るなど応募対象も違います。
〈書くので精一杯なのに、応募する文学賞の傾向を知るために過去作品を読むなんて時間がもったいない。文学賞に応募していたらそのうち自分に合った文学賞が見つかるだろう〉。
そう考え、先に作品を書き上げてから、もしくは作品を書きながら文学賞を選び投稿していました。
それが間違いだと気づいたのは、ずーーっと後になってからです。
長すぎて出せない作品や、文学作品としては長すぎて、エンタティメントにしては話が地味すぎる中途半端な作品が多数出てきました。というか、全部です……。
例えば、『ねこはみている』。
ページ数はクリアしていましたが、文字数が足らず、応募締め切り後に出版社から返ってきました。翌年、書き直したものを同じ文学賞に送りましたが、敗退でした。
『ボーダーレス 明日のぼくら』
これは原稿用紙六〇〇枚分あります。これは長すぎて、どこにも出せませんでした。最後まで読んで下さった方、有り難うございます。大変だったと思います。途中で挫折した方、お疲れさまでした。もう二度と、こんな長い作品は書きません。多分。
長すぎてどこにも出せず、規定枚数のない文学賞に仕方なく出しましたが、ブラック(鷺←隠語)に近いソレでした。本当は投稿する前から、〈この文学賞は怪しい〉と気づいていたのですが、他に出せる賞がなく、仕方なく出しました。
ネット上の公〇〇イドで作家志望者向けの『小説の書き方』指南をしていたワ〇〇キさんは、「五〇〇枚を超える作品は書いてはいけない」、「五〇〇枚を超えるとどこにも出せないから」と言って(書いて)いました。ずっと後になってそれを見つけ、苦笑した記憶があります。
そうなんです、エンタティメントの文学賞はほとんどが五〇〇枚前後まで。ミステリーの文学賞なら五五〇枚が一件だけありましたが、ミステリーでないエンタメ作品は六〇〇枚になるとどこにも出せないのです。
そして、『繭』。
これも三〇〇枚ギリギリです。これは、文学作品として『す〇文学賞』に出すため、ぎりぎり三〇〇枚にまとめました。規定枚数が多い、エンタメよりの『小説す〇新人賞』に出すにしては話の内容が硬すぎると思ったのです。
調べた記憶では『小説す〇新人賞』はエンタメだけでなく文学よりの中間小説も受け付けるのですが、読者層が二〇代から三〇代と比較的若く、また過去作品を読んでも、比較的読みやすいテーマなり、作品だったので、『繭』には当てはまりそうになく、文学作品としてす〇文学賞に出そうと、ギリギリ三〇〇枚に収めました。
個人的には、最後のラザロ兆候は第二回の脳死判定が終わり、死亡宣告された後にしたかったのですが、そうすると三〇〇枚を超えてしまいます。また、「ラザロ兆候は無呼吸テスト開始後五分以内に最も起こりやすい」、という記述を読んでいたのもあり、二回の脳死判定後にこだわる理由が薄れ、作品内で「脳死診断で脳死と診断されれば、医学的には死んでいることになり、医療を中断できる」と書いているのだからこのままでいこう、と原文のままにしました。
〈内容知らんから何言っているのか分からない〉、という方はスルーして下さい。要するに、規定枚数に収めるため作品の内容自体を省いたということです。
次に、『あしぶね』
今までのことを反省し、作品を作りながら、応募する文学賞を探しました。内容的には話が地味なので「文学作品」対象の賞に出そうと思っていましたが、話が長くなりすぎて三〇〇枚を超えてしまいました。(文学は三〇〇枚以内がほとんど、エンタメは五〇〇枚未満がほとんどです)。
自分でも長いなあと思いながら削れず、ならば同じ締切日の『小説す〇』に出そうと考えました。しかし、ここでまた問題が。締切日に間に合わない。あれ、どうして。その日までには仕上がるつもりだったのに。……結局、締切日が数か月後のエンタメ系新人賞に出しました。しかし、その新人賞は小説す〇よりもエンタメよりの作品が受賞する傾向にあり、締め切り日や枚数はクリアできても、内容的にはマッチしない。エンタメにしては話に盛り上がりがなく、退屈に感じられるのです。
これは後日談ですが、やはり、編集者から「長すぎる。前半をカットしては」と指摘されています。
このように、作品を書き上げてから文学賞を決めるのは効率が悪いのです。原稿の枚数が短いなら長くもできますが、長かったものを短くするのは努力と思い切りが必要です。締め切り間近だとそういう手直しも満足にできない。
私は何度も同じ失敗を繰り返すうち、自分にあった文学賞を見つけましたが、八年経っていました。精神的にも肉体的にも負担が大きすぎました。
なにも文学賞に受けそうな作品を書けと言っているのではありません。
「その文学賞が求めるジャンルの作品を、指定枚数内に書き上げ、締め切り日までに出せるように、あらかじめ目標(応募先)を定めて書いた方がいい」、ということです。
応募要項にある指定枚数と締め切り日を守るのは最低限のルールです。これはどんな文学賞であっても絶対に守らなければいけません。
例えると、オーディションの日時を間違える、大学入試の日時を間違うのと同じです。朝ドラの「〇ギ〇ギ」の主人公はオーディション翌日に行き、母がごり押しして審査?してもらいましたが、あれは脚色です、多分。
では、ジャンルについてはどうでしょう。
エンタメのジャンルははっきり分かれていると聞きます。確かに、ミステリ―作品対象の文学賞、ホラー作品対象の文学賞、時代劇対象の……、と分かれていたりします。
例えば、ミステリー作品対象の文学賞にホラーを送るのは。文学作品が対象の賞にラノベ作品を出したら?
うちの文学賞の傾向と違うと除外されても文句は言えません。こっちはステーキが欲しいと言っているのにエビフライを持ってくるんだから。(注)例えです。
ジャンル違いの作品は予選で落とされることはよくある、そうです。その場合、第一次の発表で落選したことを知るまで、どこの文学賞にも出せません。場合によっては、待っている間によりふさわしい文学賞の締め切り日が過ぎ、一年待つ羽目になるかもしれないのです。
では同じジャンルの文学賞ならいいのか。
本格的なミステリー作品しか受け付けない賞と、広義のミステリー作品を受け付ける賞、同じジャンルの文学賞であっても濃淡?があります。
こんなことがありました。
あるミステリー文学賞で、「広義のミステリー作品が対象」、と書いてあるので、〈広義なら出せるかな〉と、検討していたことがあります。
しかし、何ヵ月後かに、その文学賞の編集長か編集者か忘れましたが、「ミステリーと関係ない作品が多数送られてくる」と、不満を述べる記事が出ていました。
〈広義のミステリーってどこまでが広義なの? もう少しで出すとこだったよ、出さなくて良かった〉と思った記憶があります。
同じジャンル対象の文学賞でも望む度合いが違います。コテコテのミステリーか、マイルドなミステリーか。ミステリー風でいいから面白い作品を送れとか……。
それを把握するには、やはり過去の受賞作品と(あれば)審査員の講評を読み、その文学賞の傾向をネットで検索するなり、調べることが大事かと思います。