第24話 オマンテ/イオマンテ

文字数 2,358文字

アイヌ語話者に会う前に、アイヌ語についてWikipediaの記述でおさらいしておこう。

アイヌ語(アイヌご、ラテン文字表記: アイヌ語: Aynu itak, 仮名文字表記: アィヌ イタㇰ, キリル文字表記: Айну итак)は、日本列島の北海道を中心に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。「孤立した言語」であるが、方言差があるため、下位方言を別々の言語と見なして「アイヌ語族」(Ainuic)と呼ばれることが稀にある。

北海道アイヌ語は、消滅危険度評価が「極めて深刻」とされている(Moseley 2010)。
千島アイヌ語および樺太アイヌ語は既に消滅した。

アイヌ語は他の言語との系統関係が全く不明な孤立した言語である。アルタイ諸語、古アジア諸語、日本語、朝鮮語などとの関連性は指摘されるものの、系統関係を見いだすことはできない。比較言語学方法では系統関係がわからないほど他の言語とは古くに分岐したと考えられるが、言語類型の観点からは北米インディアン諸語との間で最も共通点が多いとする結果がある。

かつてのアイヌ語の分布(Wikipedia Creative Commonsの画像)



トシさんは、何の変哲もない公営住宅に住んでいた。かなりお年だと思われるが、まだ元気そうで明るい。ネストリがインフォーマントにときどき渡していた、帝政ロシアの金貨を受け取ると珍しそうに目を輝かせた。
「これがあんたらをわたしらのところに寄越した皇帝さんか…待てよ、髪の毛が長いから女王さまだな」
トシさんはコインのデザインを子細に確認した。
彼女が中川先生の英語通訳で話してくれたのは、オマンテという風習だった。
「わたしの祖母は、わたしの親である息子夫婦とは離れて、村の端のほうに建てられた一軒家に住んでいた。わたしは毎日そこへ食事を運び、家の中の掃除をし、食べ終わった食器を下げて帰った」
「なぜおばあさんは家族と一緒に住まないのですか?」
ネストリ・ミクライネンがもっともな質問をすると、中川先生がすぐ日本語に通訳してくれた。
「これはオマンテ omante 「送り」ということに関連した、昔からの風習だそうです」
と中川先生が説明してくれた。
「かつては、一軒の家では一夫婦だけが住むのが原則でした。子供たちは結婚して、順番に親の家を出て、その近くに自分たちの家を建てます。つまり、嫁と姑が同居することはありません。親の代が年老いると、子供や孫たちが食事のしたくをして運んでいき、身の回りの世話もします。そして、特に父親が亡くなり年老いた母親ひとりになると、村の端のほうに小ぶりの家を建て、そこに住まわせます」
中川先生の説明を聞いていたトシさんは、その後のことを語ってくれた。
「老いた母が亡くなると、遺体を埋葬した後で、その家に火をかけて燃やしてしまうんだよ」
これにはネストリもスヴェンも驚いた。思い出深いお母さんの家を焼いてしまうとは。
この風習をオマンテと呼ぶ。
誤解されたように、年老いた母をひとりにし、別居するのは人権侵害だと言われ、これにもちろん村のアイヌの人々は大憤慨した。

イオマンテというのがある。これは「クマ送り」である。もっともこれはクマに限らず、ほかの動物でも言う。だから「イオマンテ」=「クマ送り」ではない。

アイヌのイオマンテはクマを飼い育てて送る「飼いグマ送り」という儀礼であり、北海道、サハリン、アムール川流域のいくつかの民族にのみ見られる。
では「送る」と言ってどこに送るのか? それはクマ本来のすみかであるカムイモシリ kamuy mosir 「神の世界」に送り出す。

カムイたちはいろいろな理由で人間界にやってくるが、クマの場合はひとことで言えば「交易」である。肉や毛皮を人間へのみやげとし、その代わりに酒やイナウ(アイヌが宗教儀礼に用いる道具の一つ。 削り掛け(削り花)のようなもので、皮を取り去った柳などの小枝を削りかけて、采配(さいはい)のように垂らしたもの。 御幣と同じように神にささげる。)や米の団子など人間にしか作れず、カムイモシリにはないものを人間にもらって帰る。そして、帰ってからも人間からの感謝の祈りによってカムイモシリにおける格を高める。そのためにクマはあの姿となって山を下り、人間の獲物となるのだ。

アイヌの伝統的世界観では、狩猟とは人間がカムイを客として迎える行為であり、カムイ(クマなど)が自分の獲物となってくれるかどうかは、ひとえに猟師がカムイに好かれているかどうかにかかっている。

クマは冬眠中に子供を生むので、親グマをとったあと巣穴に生まれたばかりの仔グマが残されていることがある。それを連れて帰って、一年から二年ほど家で飼い育て。そして、冬場に盛大な儀式を執り行って、先に帰っているはずの親元へと送り出す。これをイオマンテと言う。

ホホイヤホイ ヤ ホホイヤホイ
アイヌの踊りだ歌えや踊れ
手拍子合わせて歌えや踊れ
夜空を焦がすクマ祭り…

いつ、どこで聞いたかも覚えていないがこんな歌が頭に残っている。
実際にイオマンテで行われるのは、仔グマに紐をつけて引き回し、殺して解体して食べるという行為である。アイヌの世界観を共有していない人には「残酷」と写るだろう。

中川先生はトシさんに言った。
「登別のクマ牧場では二百頭くらいクマを飼っているんだ」
「ほう。ちゃんとイオマンテをやるのか?」
とトシさん。
「イオマンテはやらない」
と中川先生。
「やらないの? いーや、かわいそうにな」
カムイを預かって親元に帰さないとは何事かという響きが、トシさんの言葉にはあった。


樺太アイヌのイオマンテにおける、熊の飾りつけ。2023年、ウポポイにて撮影
著者:タクナワン Wikipedia Creative Commons画像
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登場人物紹介

スヴェン・イルマリネン。フィンランド・オストロボスニア生まれ。24歳で帝政ロシア軍中尉。3年間の流刑の後、27歳で言語学者ネストリ・ミクライネンの助手としてシベリアならびにアラスカ、カナダ、グリーンランドのエスキモー語の調査を行う。名狙撃手。

ネストリ・ミクライネン。フィンランド、サイマー湖畔出身の言語学者。大帝エカテリーナ(二世)の腹心、ダーシュコヴァ夫人に頼んで、スヴェン・イルマリネンを言語学フィールドワークの助手にしてもらう。年齢不詳。中年。おそらく40代。ヴァイオリンが得意。

エカテリーナ大帝(二世)。フランス革命後はロシアの自由を制限したが、農奴を自由にする法律を作った以外は、文化芸術に造詣が深い賢帝。例えば、自分の身体でワクチンを試しもした。ダーシュコヴァ夫人に、スヴェン・イルマリネンの恩赦を許した。

ダーシュコヴァ夫人。ロシアアカデミー総裁。ネストリ・ミクライネンの求めに応じて、スヴェン・イルマリネンを助手にするため、エカテリーナ大帝にスヴェンの恩赦を願い出て受け入れられる。醜女と言われているが、エカテリーナ大帝のクーデターに協力し、長く信頼関係にあった(が晩年は別れた)。

セレブロ(銀)。土星のイヌイット群衛星(本当にそういう衛星が土星にあるのです、仰天しました!)から時空を超えて地球の帝政ロシアに飛来した巨人族。女性科学者。ダーシュコヴァ夫人から依頼されて、ネストリとスヴェンのシベリア言語調査を支援する。その理由は故郷のイヌイット衛星群の名にあった。

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