第27話 勇者と異変4

文字数 3,630文字

「…………い、おい」

「……………………ん…………?」

頭上から低い声が響く。夢の中にやけにしっくりと入ってくる声だ。よく知っている声のような気がするけど、誰だっけ…………。枕代わりにしていたパーカーに顔をうずめながら思考を辿ろうとしていると、思い切り苛立った声が耳元で響いた。

「…………いい加減起きねぇか!銀!」

「ぅわ! うるせぇ!」

反射的に怒鳴り返しながら身体を起こすと、頭上からおれを見下ろす不機嫌顔のハルが立っていた。

「ありえねぇ。どんだけ寝起き悪いんだよ、おまえは」

「…………勝手にクローゼットから侵入してくる奴が人の寝起きにケチつけるな」

なぜかいきなり機嫌の悪そうなハルに負けないくらいのしかめ面でおれは頭上を睨んだ。これくらいの文句を言う権利はおれにだってあるだろう。っていうか、絶対におれの方が正論だ。

「寝起きが悪いのは昔からだ。なんだよ、朝っぱらから」

「開き直るな。それ、うるせぇんだよ」

ハルが屈みこみ、おれの手を指さす。枕元に投げ出したおれの手の中には、腕時計が握り込まれていた。たしか、今日は朝から野原さんのところに寄るつもりだったからそこそこに起きようと思って、アラームを掛けておいた気がする。

スマホは案の定こっちに来てからずっと圏外で、充電も切れてしまったのでそのまま放っているし、何が何でも起きなければというほどでもないので、音は小さいが腕時計でいいかと判断したのだ。しかし昔から大音量の目覚まし時計を3つかけてもスヌーズで30分寝続けられるおれが、こんなアラームひとつで起きられるはずもなかった。確かに自分の寝起きの悪さを過小評価していた。

「あー、悪かった……っていうか、おまえの耳どうなってんの?」

小鳥のさえずりのようにピピピピ鳴っている時計を止めてとりあえず謝罪するが、話しながら会話の違和感に気づいた。クローゼットの向こう側にいるはずのハルが、なぜこの部屋の、しかもこの程度の音量を聞き分けることができたのだろうか。

「どうもこうも、聞こえるんだよ。っていうか、おまえにも聞こえてたはずだろ! しぶとく寝続けやがって」

「……?」

よくわからん。別に隠したり嘘をついたりしたいわけでもなさそうだが、まったく説明にもなっていない。気にはなったが、とりあえずアラームが鳴っているということは起きなければならない時間だ。今日の買い物のリストに、安くて音のデカい目覚まし時計も加えておこうと思いながら欠伸をして立ち上がった。

「よくわからんけど、うるさかったんなら悪かったよ。来たついでに朝飯食う?」

起き上がって最初に覚えたのは空腹だった。昨日は作るのが面倒でろくに食べずに寝てしまったのだ。食材もあまりたくさんは残っていないが、卵とハムくらいはあった気がする。

ハルはアラームが止まった腕時計をじっと見ていたが、おれが話しかけると顔を上げた。デフォルトが不機嫌顔だということを差し引けば、もうそれほど怒っているようには見えなかった。たぶん、本当にうるさかっただけなのだろう。

「おれはいい。今、腹いっぱいだし」

「? なんか食ったの?」

意外な返答だ。食べ物を食べようが食べまいがハルの腹具合には関係がないのではなかったか。だとしたら、ハルの言っていた「食べ物ではない何か」を食べたということになるのだろうか。聞き返すと、ハルは疲れたようにはぁと小さなため息をついた。

「食ったというか、食わされたというか……。それより、これ昨日拾ったやつじゃねぇのか」

ぼそりとつぶやいたと思ったら、今度は部屋の隅を指さして尋ねる。なんだかはぐらかされたような気がしたが、その質問にも答えないわけにはいかなかった。

「そうだけど、無断で持って帰ったわけじゃない。依頼主と、集積場の許可はもらった」

ハルが指さしているのは、透明のビニール袋に入った雑貨。昨日集積場に届けたときに、一袋分だけ許可を得て持ち帰らせてもらったのだ。

中身はこまごまとした生活雑貨やアクセサリー、キーホルダーや文房具など。まだきれいで使えそうなものもたくさんあった。あくまで仕事で得たものなので勝手に持ち帰ったわけではないのだが、一応役所の職員らしきハルはたぶんそこが気になったのかと思い自己申告すると、ハルは目を瞬いた。

「いや、別に許可とかはどうでもいいんだけど」

「どうでもいいのかよ……」

「わざわざ持って帰って来て、何に使うんだ?」

ただの純粋な疑問だったようだ。

「さぁ。これから考える」

「……は?」

ハルの気の抜けたような表情を眺めながら、おれは黙って台所に立った。

昨日、ゴミ拾いをしながら気づいたことがあった。朝から夕方までゴミ拾いをしている間に、あの河原から消えていったものがある。最初は気のせいかと思ったのだが、一杯だったゴミ袋の中身が明らかに減っていたり、後で拾おうと思っていたものが見当たらなくなったりすることが作業の間に何度もあった。

どういう法則なのかはわからない。消えるものもあれば消えないものもある。得体のしれないながらもいくつかのものを持って帰ってきたのは、まだ誰かが必要としているのではないかと気になったからと、その現象を確かめてみるためでもあった。

「おれ、けっこう器用だからさ。その中にあるものなんかほとんど新品みたいだし、リメイクしたらまだ使えるかもしれないと思って」

ハルの訝し気な視線をかわすために適当に言ってみたが、適当に言った割にはいいアイディアかなと自分で思った。今度時間ができたらやってみよう。

「よくそんなに妙なこと考えるよな」

「うん。おまえには言われたくないけどな」

感心されているのか馬鹿にされているのか(8割後者だろうが)、まじまじとおれを観察しながらつぶやくハルにしれっと返しておく。しつこいようだけど、自分の家と他人の家を一瞬でつないでしまうような奴に言われる筋合いはない。

ハルはおれのささやかな抗議は大して意に介さず、のそりと立ち上がるとクローゼットの方に向かって歩き出した。今日は大人しく退散するのかと思いながらなんとなく動きを目で追っていると、ハルは扉に手を掛け、思い出したように振り返った。

「今日も、仕事すんのか?」

なんか社会人としてすみませんと言いたくなるような質問だが、まぁほかに聞きようがないのだから仕方がない。少なくとも、ハルのせいではまったくない。スクランブルエッグにするつもりで割った卵をかき混ぜながら、おれはしばし考えた。

「そうだな。一応顔出して、できることがあればするし、なければ生活環境を整える」

「? せいかつかんきょう?」

「布団とか、時計とか買いたいんだよ。あ、あと炊飯器……。んーでも全部は無理かな」

途中からハルの存在をほぼ忘れて自分の頭の中でお買い物計画を組み立て出す。

この世界に飛ばされた初日に、奇跡的に持ち合わせた諭吉が使えないと聞いて絶望した。そして今日に至るまでの食材はあの日ハルに奢ってもらったものでつないだ。

しかし、あの後ハルが役所に申請してくれた結果、おれは元の世界から持ってきた「所持金」をここでの通貨というか、なんか電子マネーみたいなものに「両替」してもらうことができたのだ。しかもハルに教えてもらった物価に換算してみるとなかなかの金額になった。おれの人生の総合運から考えるとあり得ないほどの僥倖だ。

たぶんこれでここ10年くらいの運は使っただろう。それでもとりあえず、しばらくの生活には足りそうなのでこうやって呑気にお買い物モードになれている。

ちなみに、初日に買ってもらった食材の代金はハルに返そうとしたら突っぱねられた。金が使えないとわかったときのおれのゲームオーバー感が半端なかったのを見かねて申請は出してくれたようだが、そもそもあまり必要性は感じていなかったようだ。

「別になくてもなんとかなるのに」と呆れたように言われ、いやいやなんともならんだろとすかさずツッコんだがハルは不思議そうな顔をしただけだった。

 そのせいかはわからないが、今も買い出しシミュレーションを始めたおれをハルは呆れたように眺めていた。

「……まだ物増やすのか」

「だって、必要だろ。ちゃんと寝てちゃんと食って生活するのは、いつだって大事だ」

買い物好きの連れにうんざりするようなセリフを呟かれ、少しムキになって言い返してしまう。布団と目覚まし時計と炊飯器を欲したからってそんな贅沢シュミみたいに言われるのは少し癪だ。安眠と白飯があればもっと頑張れる、ような気がするだけだし。

「ふーん……。まぁ、そんなに欲しいなら見つかるんじゃないか?どうでもいいけど、あんまりうるさい物は買うなよ」

そう言うとハルはひらひらと手を振ってクローゼットの中に吸い込まれていった。もしかして、仕事疲れのところをアラーム音で起こしてしまったとかだろうか。そうだとしたらちょっと申し訳ない気もしたが、声を掛ける間もなく一方通行の「通路」は閉ざされてしまっていた。
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登場人物紹介

山田 銀太

中途半端な異世界に迷い込んだアラサーフリーター。前職は中学校の教員だが、ある「悔い」を抱えて仕事を辞めた。相棒のハル曰く「見た目より断然図太い」。

ハル

銀太のサポーターとして世話を焼く、異世界の「市役所っぽいところの職員」。黒髪にアメジストの瞳を持つ謎めいた青年で、不思議な力を持っているらしい。銀太曰く「見た目が邪悪だが、意外と苦労性」。

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