第14話 勇者の拠点2
文字数 1,479文字
おれの仮住まいに上がり込み、ウォークインクローゼットを魔王のねぐら(=ハルの「家」)につなぐという意味不明な偉業を一瞬でやってのけたハルは、収納スペースとプライバシーを失って打ちひしがれるおれを涼しい顔で振り返った。
「ちなみに一応行き来できるとはいえ、銀にとっては通るのも一苦労だろうから、用があるなら呼べよ。」
見た目とやっていることはともかくとして、言葉だけ聞けばまぁ面倒見のいいことだ。
わざわざ好んで彼を呼ぶこともないだろうが、なんにせよこの人なりに気に掛けてくれているのならあまり邪険にするのも申し訳ない。差し当たって、おれの質問に今日一番根気強く応えてくれた存在であることには違いがない。そう考えて、おれはプライバシーとセキュリティ―と、収納スペースについては潔く諦めることにした。
「わかった。何かあれば呼ばせてもらう。」
頷いてそう伝えると、ハルは少しだけ鋭い目を細めた。それからクローゼットの扉を開き、中に一歩踏み入れたと思ったら、次の瞬間にはその長身は見えなくなった。
ハルが扉を開けたときにクローゼットの中がどういう状態だったのかはわからない。目で追えなかったというか、視界には入ったけれど意識として認識できなかったというか、身体をすり抜けて記憶に残らなかったというか、空気をつかむような手ごたえのない感触だけがそこには残った。
ハルがいなくなってから、おれはのろのろと家の中を確認し、ひととおり検分し終えるとリビングの床にごろりと転がって天井を仰いだ。硬くて、少しひんやりとしたフローリングの感触が、おれが今唯一触れられる現実的な感覚のような気がした。
このまま目を閉じて眠ってしまいたいと思ったが、メンタルの疲労に対して身体の疲労は大したこともなく、心地よい眠りに落ちてはいけなさそうだ。自分の体力を少し恨めしく思いながら、ぼんやりと天井の色合いを眺めていたら、元の世界に置いてきたものがぼんやりと浮かび上がってくるような気がした。
浮かび上がってはくるものの、どれも大したものではない雑多なイメージの中に、おれがかつて関わった生徒たちの顔が混ざる。混ざって、他のものを飲み込んで、ひたすらに鮮明さを増す。
仕事から逃げただけでは飽き足らず、異世界にまで逃げ出してきたおれを、あいつらは笑うだろうか。そう思うと可笑しくなった。いい、笑ってほしい。ネタなんてなんでもいいから、あいつらが笑う顔が見たい。でもそのためには、いつまでもここで寝ころんでいるわけにはいかないのだろう。
身体のあちこちにわずかずつ散らばっていた力を搔き集め、腹筋に込めて身体を起こした。あいつらの顔を思い出したら、あいつらにかけた言葉も思い出した。
おれは言った。どんなときでも、できることは必ずあると。
何をしたらいいかわからないとき、できないことが山積みで途方に暮れたとき、そんなときこそできることを大事にしろと。
おれが伝えた言葉は、あいつらの力になれているのだろうか。おれはカーテンすらない窓からちらちらと見える薄っぺらい、温度のない明かりの群れを見て、小さく息を吸った。
おれは、おれが伝えた言葉のとおりにここで生きよう。
そうしておれがこの場所で笑って生きていけるなら、あいつらだってきっと大丈夫なはずだから。
もしまた会えることがあれば、「異世界でだって生きていける方法」を伝授してやれる大人になれる。吸い込んだ、なじみのない世界の空気を少しずつ身体になじませるような気持ちで、数秒間目を閉じてから立ち上がった。
こうして、中途半端な異世界での、中途半端なおれの生活が始まった。
「ちなみに一応行き来できるとはいえ、銀にとっては通るのも一苦労だろうから、用があるなら呼べよ。」
見た目とやっていることはともかくとして、言葉だけ聞けばまぁ面倒見のいいことだ。
わざわざ好んで彼を呼ぶこともないだろうが、なんにせよこの人なりに気に掛けてくれているのならあまり邪険にするのも申し訳ない。差し当たって、おれの質問に今日一番根気強く応えてくれた存在であることには違いがない。そう考えて、おれはプライバシーとセキュリティ―と、収納スペースについては潔く諦めることにした。
「わかった。何かあれば呼ばせてもらう。」
頷いてそう伝えると、ハルは少しだけ鋭い目を細めた。それからクローゼットの扉を開き、中に一歩踏み入れたと思ったら、次の瞬間にはその長身は見えなくなった。
ハルが扉を開けたときにクローゼットの中がどういう状態だったのかはわからない。目で追えなかったというか、視界には入ったけれど意識として認識できなかったというか、身体をすり抜けて記憶に残らなかったというか、空気をつかむような手ごたえのない感触だけがそこには残った。
ハルがいなくなってから、おれはのろのろと家の中を確認し、ひととおり検分し終えるとリビングの床にごろりと転がって天井を仰いだ。硬くて、少しひんやりとしたフローリングの感触が、おれが今唯一触れられる現実的な感覚のような気がした。
このまま目を閉じて眠ってしまいたいと思ったが、メンタルの疲労に対して身体の疲労は大したこともなく、心地よい眠りに落ちてはいけなさそうだ。自分の体力を少し恨めしく思いながら、ぼんやりと天井の色合いを眺めていたら、元の世界に置いてきたものがぼんやりと浮かび上がってくるような気がした。
浮かび上がってはくるものの、どれも大したものではない雑多なイメージの中に、おれがかつて関わった生徒たちの顔が混ざる。混ざって、他のものを飲み込んで、ひたすらに鮮明さを増す。
仕事から逃げただけでは飽き足らず、異世界にまで逃げ出してきたおれを、あいつらは笑うだろうか。そう思うと可笑しくなった。いい、笑ってほしい。ネタなんてなんでもいいから、あいつらが笑う顔が見たい。でもそのためには、いつまでもここで寝ころんでいるわけにはいかないのだろう。
身体のあちこちにわずかずつ散らばっていた力を搔き集め、腹筋に込めて身体を起こした。あいつらの顔を思い出したら、あいつらにかけた言葉も思い出した。
おれは言った。どんなときでも、できることは必ずあると。
何をしたらいいかわからないとき、できないことが山積みで途方に暮れたとき、そんなときこそできることを大事にしろと。
おれが伝えた言葉は、あいつらの力になれているのだろうか。おれはカーテンすらない窓からちらちらと見える薄っぺらい、温度のない明かりの群れを見て、小さく息を吸った。
おれは、おれが伝えた言葉のとおりにここで生きよう。
そうしておれがこの場所で笑って生きていけるなら、あいつらだってきっと大丈夫なはずだから。
もしまた会えることがあれば、「異世界でだって生きていける方法」を伝授してやれる大人になれる。吸い込んだ、なじみのない世界の空気を少しずつ身体になじませるような気持ちで、数秒間目を閉じてから立ち上がった。
こうして、中途半端な異世界での、中途半端なおれの生活が始まった。