第8話 勇者、最初のスーパーでお買い物2

文字数 1,222文字

「そういえば、おれの家ってそのままなんですか。」

少しオレンジがかった光に染まり出した道を進みながら、斜め前に伸びる長い影法師に向かって話しかけた。

ここまでの道筋も、辿る街並みも特に変わったところはない。ただ、すれ違う人の顔は見覚えのないものばかりだ。というか、あまり顔がよく見えない。

のっぺらぼう、というのではないのだけれど、どの人も印象に残らない。知っている顔がないかとじっと見てみても、すれ違ったときにはもう、霧のようにその印象が空気中に溶けていってしまうようだ。

その手ごたえのない感覚が手持ち無沙汰な気がして、隣を歩くハルを見上げてみた。ハルの顔は相変わらず不機嫌そうで、整っていて、気が向けば目からビームを発しそうな面持ちである。

「おれにはわからない。おれはここでの『銀の家』に向かってるだけ」

「……なんで、おれの家知ってるんですか」

「知ってるっていうか、わかるだけ」

面倒そうにそう言うと、ハルは大きなあくびをした。まったく要領を得ない会話だ。そう言いながらも、ハルが長い脚を迷いなく動かして向かう方向は、確かに「おれの家」の方向に違いはないようだった。

スマホを取り出して位置情報でも確認しようかと思ったけど、なんだか無粋なような気がしてやめた。それよりも、とりあえずは自分の感覚に頼りたい気がしたのだ。そう考えると少し肩の力が抜けた。それと同時に、微かな空腹を覚えた。

「ハルさん」

そう呼ぶと、ハルはおれを半歩追い越してから立ち止まり、怪訝そうに振り返った。

「さんづけとか、要らない。敬語も要らない。普通に話せ」

少し意外な気もしたが、そう言うのならおれの方は別にかまわない。おれは背も低いし童顔だし、職場ではいつも中学生と見分けがつかないとからかわれていた。

しかし実際はもう30に届きそうな年齢だし、この異様な迫力に惑わされずに冷静に眺めれば、たぶんハルの方がおれより若い。それほど年功序列が沁みついているわけでもないので年下に敬語を使うことに特に抵抗もないが、相手がいいと言ってくれるなら敬語抜きで話す方が楽ではある。

「じゃ、ハル。ちょっとスーパー寄りたいんだけど」

さっそく口調を変えてそう切り出すと、ハルは意外そうに目を瞬いた。

「……切り替え早いな」

おれの提案した内容というより、急に変えた口調の方に驚いているらしい。自分がそうしろと言ったくせに。

「いいって言っただろ」

「言ったけど、すぐに変える奴はいなかった」

感心したように言われて納得した。

おれだって、この会話が30分前に行われていたとしたら、たぶんすぐには実践できなかっただろう。これはおれの人柄とか勇気とかが成せたわざではない。単に、先に意図せず「魔王顔」発言をこぼしてしまった結果、相対的にハードルが下がっただけのことだ。崖からバンジージャンプをした後に、ちょっと高めの塀から飛び降りるのはそれほど怖くない。人生のほとんどの判断は、「比較」による相対評価で行われるものだ。
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登場人物紹介

山田銀太(やまだ・ぎんた)

中途半端な異世界に迷い込んだ元・教師。アラサーだけど童顔で精神年齢は低め。動物と子どもに弱い世話焼き体質。

ハル

銀太が迷い込んだ異世界での「サポート役」。

不思議なアメジスト色の瞳を持つ不愛想な青年。顔立ちは整っているが表情が邪悪なため銀太に「魔王顔」呼ばわりされている。なにやら「特殊」な存在らしい。

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