「私は〇〇だから」と言うことの意味って?
文字数 2,791文字
「せんせいは久恵里に肩を治してもらいたい」が周囲の環境。
「私には治せない」が「その誰か」。
やっぱりコンフリクトがあって。
ルールは「体の不調の際は専門医の診察を受けるべきである」。
私がお医者さんだったらコンフリクトは起きない。でも私はお医者さんじゃない。
だから「私素人ですし」と言ったんですね。
そしてこのとき、ルールを呼び出して変えようとしたのは、「せんせいは久恵里に肩を治してもらいたい」という、周囲の環境のほうだった。
必ずしも「その誰か」の側を変えようとしているとは限らないわけ。
まず、周囲の環境と「その誰か」が一人の人物の中に同居している場合があるということ。
次に、たとえ書き手にその意図がなくても、「(誰か)は(何か)だ」という言葉それ自体がコンフリクトの枠組みを作ってしまうこと。
「あたしおかあさんだから」の場合、「あたし」以外の人物は出てこないわ。
その代わり、
「おしゃれして働いて夜遊びしたい」欲求と、
「新幹線の名前を覚えて子どもと一緒にテレビを見たい」欲求との、
コンフリクトが「あたし」の中にあるわけ。
今必要なのは、「(誰か)は(何か)だ」という言葉は、ルールを呼び出して味方につけるための言葉だ、ということ。そして私たちは、「お兄ちゃんでしょ」とか「女の子なんだから」とか言われることを通して、そういう予備知識を持ってしまっているのよ。
もちろん、そういう予備知識がまったくない人には、このコンフリクトの枠組みは読み取れないことになるけど……「まったくない」人はほとんどいないんじゃないかしら。
それに、同じ物事を何度も見続けていくと、意味を捉える力が鈍ってしまうというのもあるわね。実際、呪文として唱えられている言葉には、そういう要素があったりするし。