「私は〇〇だから」と言うことの意味って?

文字数 2,791文字

「あたしおかあさんだから」というフレーズが、曲中で14回ですか、何度も繰り返されることを「呪いのようだ」と評した人が多かったように思います。これはなぜなんでしょうか?
いやです。答えたくないです。
そんなー。せんせいでしょ?
そう、これよ。
えっ?
誰かに対する「(誰か)は(何か)だ」という言葉は、その誰かと周囲の環境とのコンフリクト(葛藤)を解決させようとする意志によってもたらされるってこと。
えっと、さっきの場合は……

「久恵里はせんせいに答えてほしい」というのが周囲の環境。

「せんせいは答えたくない」というのが「その誰か」。

その間でコンフリクトが起きている。

ということでいいですか?

よくまとまっているわ。ありがとう。

そのコンフリクトを解決させるために、久恵里ちゃんは「せんせいでしょ?」と言ったのよね。

そしてこのとき、久恵里ちゃんには味方がいる。

味方が? どこにいるんですか?
目には見えないわ。私たちの間にある、「先生とは教えるものだ」というルールを久恵里ちゃんは味方につけていたの。
「せんせいでしょ?」という言葉で、「先生は教えるものだ」というルールを呼び出して、「せんせいは答えたくない」を変えることでコンフリクトを解決しようとしていたんですね。
そういうこと。

ところで、ここ2週間くらいずっと左肩が痛いんだけど、久恵里ちゃん、ちょっとマッサージしてくれないかしら?

えー……私素人ですし、そういうのはお医者さんに診てもらったほうが……。
そうよね。今の久恵里ちゃんは、「体の不調の際は専門医の診察を受けるべきである」というルールを呼び出して味方につけていた。でもそこで、私が何であるかは問題ではなかったわね。
えっと、これは、

「せんせいは久恵里に肩を治してもらいたい」が周囲の環境。

「私には治せない」が「その誰か」。

やっぱりコンフリクトがあって。

ルールは「体の不調の際は専門医の診察を受けるべきである」。

私がお医者さんだったらコンフリクトは起きない。でも私はお医者さんじゃない。

だから「私素人ですし」と言ったんですね。

鋭い分析ね。

そしてこのとき、ルールを呼び出して変えようとしたのは、「せんせいは久恵里に肩を治してもらいたい」という、周囲の環境のほうだった。

必ずしも「その誰か」の側を変えようとしているとは限らないわけ。

「お兄ちゃんでしょ」とか「お前女だろ」とか「俺バカだから」とか、色々ありますけど、みんな「ルールを呼び出して味方につける」働きがあったんですね。
ルールを呼び出す必要がないときまで、いちいち「自分は何だ」とか「あいつは何だ」とか、考えているほうが不自然だものね。
それじゃあ、「あたしおかあさんだから」は、どうなんでしょうか。
重要なことが2つあるわ。

まず、周囲の環境と「その誰か」が一人の人物の中に同居している場合があるということ。

次に、たとえ書き手にその意図がなくても、「(誰か)は(何か)だ」という言葉それ自体がコンフリクトの枠組みを作ってしまうこと。

こういうときは……一つずつ考えていったほうがいいですよね?
ええ。まず「一人の人物の中に同居」から考えてみましょう。

「あたしおかあさんだから」の場合、「あたし」以外の人物は出てこないわ。

その代わり、

「おしゃれして働いて夜遊びしたい」欲求と、

「新幹線の名前を覚えて子どもと一緒にテレビを見たい」欲求との、

コンフリクトが「あたし」の中にあるわけ。

「食べたいけど太りたくない」とかも、一人の中のコンフリクトですね。
そうね。そしてこのコンフリクトを解決するために、「あたしおかあさんだから」が現れるわけね。じゃあ、どんなルールを呼び出して、味方につけようとしていたのかしら?
「母親は子どもに尽くすべきである」……とか?
そんなところね。でもここで、「おしゃれして働いて夜遊びしたい」欲求の側が、「あたし〇〇だから」で何かのルールを呼び出して対抗することだってできたはずよね。それが起きなかったのはなぜかしら?
それは……作者がそう書いたからとしか……。
この理由を問うことはとても重要だと私は思うけど、今それをしてしまうと混乱しちゃうから、後に回しましょう。

今必要なのは、「(誰か)は(何か)だ」という言葉は、ルールを呼び出して味方につけるための言葉だ、ということ。そして私たちは、「お兄ちゃんでしょ」とか「女の子なんだから」とか言われることを通して、そういう予備知識を持ってしまっているのよ。


それが、二番目に出てきた「言葉それ自体がコンフリクトの枠組みを作ってしまう」ことなんですね。
ええ。「(誰か)は(何か)だ」という言葉の背景にコンフリクトがあることを私たちは知っている。だから、「あたしおかあさんだから」という言葉の背景にもコンフリクトがあるという心構えを持って見ていくことになる。

もちろん、そういう予備知識がまったくない人には、このコンフリクトの枠組みは読み取れないことになるけど……「まったくない」人はほとんどいないんじゃないかしら。

ルールを呼び出してコンフリクトを解決しようとする働きが、「呪い」に見えたってことなんですね。
しかも、同じ言葉を繰り返すと……。
繰り返すと?
同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、同じ言葉を繰り返すと、
怖いからやめてください!(せんせい壊れた!?)
ごめんなさい。でも、同じものの繰り返しってそれだけで怖いのよね。今私がやったように、同じ言葉をずっと繰り返すのは、狂気を表現するのにもよく使われるし。
ワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテワタシヲミテ
(怖いからやめて!)久恵里ちゃん壊れた!?
でも、これ怖いのなんでなんでしょうね。
はっきりしたことはわからないけど。「変わりようがない」ように感じられるからじゃないかしら。生きている限り人は変わり続けるとするなら、変わる余地がない時点で「死」よね。

それに、同じ物事を何度も見続けていくと、意味を捉える力が鈍ってしまうというのもあるわね。実際、呪文として唱えられている言葉には、そういう要素があったりするし。

「何度も繰り返す」というのも、「呪いらしさ」を形作っているんですね。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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