「作者の意図はそうじゃない」?
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「あたしおかあさんだから」の作者は、最初に批判を受けたとき、「ママおつかれさまの応援歌なんだ」と言っていましたね。
そのことで一つ思い出したことがあるんだけど。
absorbという音楽グループが出した「愛ノ詩」という曲にまつわる話。
absorb……小学校で「桜ノ雨」を歌ったことがあります。
ただ、ここで取り上げるのは曲そのものじゃなくて、CDのジャケットよ。こんな話。
俳優の長門裕之は、女優の南田洋子と結婚した。洋子は認知症を患う。裕之は、洋子が亡くなるまで、献身的に介護を続けた。そのドキュメンタリーを見たabsorbのメンバーは、二人のためのラブソングを書こうと思い立った。そして、二人が結婚するきっかけになった映画「太陽の季節」のカットをジャケットに使用したのよ。もちろん、生前の長門から許可を得てね。
「太陽の季節」は、元々は石原慎太郎の小説よ。ただ、その内容が、ね。
主人公は竜哉という青年。ボクシングをしながらも、飲む打つ買うの退廃的生活を行っていた。遊びのつもりで英子という少女と付き合い始めるけど、英子に慕われることが重荷になってきて、兄の道久に5千円で英子を売りつけることにする。でも英子は別れようとせず、やがて達哉の子を妊娠していることがわかる。中絶手術の失敗で英子は死ぬんだけど、英子が死を賭して自分に復讐していると感じて竜哉は苦しむ。
原作の内容を尊重するなら、偕老同穴の契りなんてとんでもない。「デカダンVSヤンデレ」の構図よ。
しかも小説が出た当時、「太陽の季節」は、お年寄りから見ればケシカラン若者のシンボルだったわ。「太陽族」という言葉が使われるくらいに。
でも、absorbはそれを「永遠の愛」のシンボルとして、新たな読み解き方を提案したことになるわね。
ええ。ものの読み解き方は、それを書いた人と書かれたものの関係だけで決まるんじゃない。むしろ、世の中の他の物事との関わり合いによって読み解き方は生まれる。フランスの哲学者ロラン・バルトはこのことを「作者の死」と表現したわ。
バルトより前の時代は、ものを読み解くときは、「作者はなぜこう書いたのか?」「作者の人生とどんな関係があるのか?」のように、「作者」を中心にして読み解いていたの。でも、それではできない読み解き方がある、ということにバルトは気づいたのね。「作者の死」は、「作者を中心に考える読み解き方はもうおしまいにしよう」という意味合いになるわ。