「作者の意図はそうじゃない」?

文字数 1,577文字

「あたしおかあさんだから」の作者は、最初に批判を受けたとき、「ママおつかれさまの応援歌なんだ」と言っていましたね。
ふーん。
「批判する奴らは作者の気持ちを理解していない」みたいなことを言う人もいますが……。
へー。
せんせい? なんかずいぶんやる気なくないですか?
だって、「作者の気持ち」なんて大した意味はないのよ。
えっ?
そのことで一つ思い出したことがあるんだけど。

absorbという音楽グループが出した「愛ノ詩」という曲にまつわる話。

absorb……小学校で「桜ノ雨」を歌ったことがあります。
ただ、ここで取り上げるのは曲そのものじゃなくて、CDのジャケットよ。こんな話。

俳優の長門裕之は、女優の南田洋子と結婚した。洋子は認知症を患う。裕之は、洋子が亡くなるまで、献身的に介護を続けた。そのドキュメンタリーを見たabsorbのメンバーは、二人のためのラブソングを書こうと思い立った。そして、二人が結婚するきっかけになった映画「太陽の季節」のカットをジャケットに使用したのよ。もちろん、生前の長門から許可を得てね。

それで、「太陽の季節」はどんな映画なんですか?
太陽の季節」は、元々は石原慎太郎の小説よ。ただ、その内容が、ね。
内容が?
主人公は竜哉という青年。ボクシングをしながらも、飲む打つ買うの退廃的生活を行っていた。遊びのつもりで英子という少女と付き合い始めるけど、英子に慕われることが重荷になってきて、兄の道久に5千円で英子を売りつけることにする。でも英子は別れようとせず、やがて達哉の子を妊娠していることがわかる。中絶手術の失敗で英子は死ぬんだけど、英子が死を賭して自分に復讐していると感じて竜哉は苦しむ。
え……それ全然救いがないですよね?
ね。酷い話よね。そして映画では、長門裕之が竜哉を、南田洋子が英子を演じていた。
じゃあ、あのジャケットの二人は……。
原作の内容を尊重するなら、偕老同穴の契りなんてとんでもない。「デカダンVSヤンデレ」の構図よ。

しかも小説が出た当時、「太陽の季節」は、お年寄りから見ればケシカラン若者のシンボルだったわ。「太陽族」という言葉が使われるくらいに。

でも、absorbはそれを「永遠の愛」のシンボルとして、新たな読み解き方を提案したことになるわね。

「作者が表した意図をそのまま受け取らなければならない」と考えるなら、absorbは間違ったことをしていることになりますね。
でもその頃、「absorbは間違っている! 『太陽の季節』の原作を尊重しろ!」みたいなことを言う人を見かけなかったのよ。
それは、長門さんと洋子さんの人生が、新しい物語になったから……?
そう。演じた俳優たちの人生から影響を受けて、「太陽の季節」の読み解き方が変わったの。
元々の小説の作者が何を表現しようとしていたか、はもう関係なくって、世の中の他の出来事や物語の影響で、読み解き方も変わるんですね。
ええ。ものの読み解き方は、それを書いた人と書かれたものの関係だけで決まるんじゃない。むしろ、世の中の他の物事との関わり合いによって読み解き方は生まれる。フランスの哲学者ロラン・バルトはこのことを「作者の死」と表現したわ。
「作者の死」?
バルトより前の時代は、ものを読み解くときは、「作者はなぜこう書いたのか?」「作者の人生とどんな関係があるのか?」のように、「作者」を中心にして読み解いていたの。でも、それではできない読み解き方がある、ということにバルトは気づいたのね。「作者の死」は、「作者を中心に考える読み解き方はもうおしまいにしよう」という意味合いになるわ。
それで、「作者の気持ちを考えることにあまり意味はない」んですね。
ええ。少なくとも、「作者が示した読み解き方だけが正しい読み解き方だ」と考えることの価値は、現代ではなくなっていると言っていいはずよ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色