感情に理由は後からついてくる?
文字数 1,520文字
「あたしおかあさんだから」が「炎上」した理由を、
ある人は、「働く女性を侮辱しているから」と言ったり、
ある人は、「理想の母親像を押し付けているから」と言ったり、
ある人は、「子どもに負担を強いているから」と言ったり、と、
バラバラなのはなぜなんでしょうか。
ほら、エスと超自我のせめぎ合いの話をしたけど、あれは理解しやすくするために擬人化していただけで、普段は「エスが叫びたがってるんだ。」とか自分で思ったりはしないわけよ。
そうね。だから、人間にとって身体の興奮の「地位」も変わっていったみたい。
アメリカにスタンレー・シャクターという社会心理学者がいたんだけど、彼はジェローム・シンガーと一緒に情動……つまり感情の動きを研究していて、「情動には二つの要因がある」と主張したの。
ええ。噛み砕いて言うと、
「自分の身体が興奮していることを認知する」ことと、
「その興奮の原因となるものが何かを認知する」ことの二段階よ。
どちらも意識して行っていることではないから、意志でどうこうできるものではないわ。
恋の吊り橋実験って知ってる?
実験内容を読むとわりと違うみたいなんだけど、この実験のポイントは、「不安定な吊り橋を渡ることで身体が興奮・緊張するのと、魅力的な人に出会うことで身体が興奮・緊張するのとは、生理的興奮という点ではさしたる違いはない」ってことよ。
そして、「なぜ身体が興奮しているのか」、そこにどんな理由を見出すかで、情動の内容が決まってくるのだ、という考え方をシャクターたちはしたわけね。
で、歌詞の中、それと自分の中に、その理由を見出そうとする。
ポジティブな理由を見出したら、「感動した」ことになるし、
ネガティブな理由だったら、「不快にさせられた」ということになる。
でも、どれも後付けの理由だから、皆が皆同じ理由にはならない。