あの曲と似てる? 違う?(承認欲求編)

文字数 2,987文字

「あたしおかあさんだから」に似た曲を挙げている人も多くいました。
そうね。どこが似ているのか、どこが違うのかを比べてみたら、新たな発見があるかもしれないわね。

どんな曲が似ているとされているかしら?

どんなところが似ているのかな?
「心情の揺れよりも、辛い現実をひたすら羅列する」点が似ているということのようです。
なるほど……ちょっと「闘え!サラリーマン」の歌詞を見てみましょう。

久恵里ちゃん、ここから「辛い現実」に当てはまりそうな言葉を、そうね、5つくらい抜き出してみて。

えっと……

「カミさん家では待ってません」

「日々、想像以上に過酷な労働も」

「堂々巡りで上がらない給料」

「派閥 転勤 パワハラ リストラ 偽装も我慢」

「24時間闘えません!!」

こんなところでしょうか。

オーケー。次に、「あたしおかあさんだから」の歌詞からも、同じように「辛い現実」を抜き出してちょうだい。
はい。えーと……

「今は爪切るの 子供と遊ぶため」

「眠いまま朝5時に起きるの」

「痩せてたのよ おかあさんになる前」

「テレビも子供がみたいもの」

「苦手なお料理頑張るの」

これでどうでしょうか。

ねえ、それは、誰にとって「辛い現実」?
えっ、それは、歌の中の「あたし」にとっての……。
なんで? 子供と遊ぶの楽しいときもあるし、子供番組って案外味わい深いのよ。苦手なものに挑戦するのは成長の機会にもなる。5時起きで眠いかもしれないけど、「つらい」とは言っていない。「あたし」がおかあさんとしての生活を「辛い現実」と認識していることを示す言葉は、歌詞の中に明示されてはいないのよ。
それじゃあ「闘え!サラリーマン」のほうはどうなんですか?
「過酷」「我慢」「不条理」「人生の愚痴」という言葉が明示的に出てくるでしょ。つまりこの歌詞の中の「オレ」は、「自分は不遇であると認識できている」と言えるわ。
すると、「あたしおかあさんだから」よりも、不遇を明示している「闘え!サラリーマン」のほうが、聞き手により辛い思いを与えるということなんでしょうか。
ところが、そうならないための仕掛けが「闘え!サラリーマン」にはあるの。「あたしおかあさんだから」にはない、仕掛けがね。
それは?
「不遇を言葉にできていること」それ自体が一つ目の仕掛けよ。歌詞を仮想的な人格として捉えるとすれば、その歌詞が「不遇を不遇と認識できている」なら、聞き手は、この歌詞には自分と似たような感情があるんだろうなと想像することができる。

それで、二つ目の仕掛けは「オレ達」という言葉なんだけど、歌詞のどこにあるかな?

「あえて言おう『会社はオレ達が支えてんだ!』」

「言ってくれよ『社会はオレ達が回してんだ!』」

この2つだけですね。

何かを「あえて言おう」とするのは、その「何か」を他者から見たら大げさだったり的外れだったりするかもしれない、という認識の表れよね。それでも、賛同してもらいたい、受け容れられたい、そういう願いがあるからこそ「あえて言おう」とするんだわ。

「言ってくれよ」も、その後に続く「社会はオレ達が回してんだ!」という声明を他人と共有したいからこそ出てくる言葉よね。独り言を繰っているのなら、誰かに何かを言ってくれと望んだりはしないもの。

そしてこのときだけ、歌詞の与える視点は「オレ」から「オレ達」にシフトしているわけ。

つまり、この歌詞は、受け容れられること、思いを分かち合うことを望んでいる、ということなんですね。
さらに、「一緒に酒を飲む」という、思いを分かち合い仲間になるための場所も提供されている。ここで第三の仕掛けが登場するんだけど、それは実は「ホモソーシャル」なのよ。
ホモソーシャルって、平たく言うと「男社会」のことですよね。
実際は女性のホモソーシャルも研究されているんだけど、男性のホモソーシャルは「男社会」に近いかもね。「闘え!サラリーマン」という曲をよく観察すると、ホモソーシャルのメッセージを読み取ることができるの。
歌詞にですか?
歌詞にもあるけど、歌詞以外にもあるわ。まずイントロ。久恵里ちゃん、ちょっとイントロの音を音階で歌ってみてくれる?
はず……なんでもないです。

ラーソーミーレードレミーラー。

これでいいですか?

なんですかいきなり!?
音階が似てるでしょ? 西洋音階で言うとマイナーペンタトニックスケールだけど、中国音楽の羽調式に近い。
そう言われると、カンフー映画っぽい感じもします。
それを頭に入れてタイトルを見直すと、「闘え!サラリーマン」は、ゆでたまごの漫画「闘将!!拉麺男」のパロディーであることがわかるわけよ。
まさか!?
ケツメイシが意識的にパロディーを行ったのかはわからないけど、カンフーアクションや少年漫画の知識がある人にとっては、そうしたものの枠組みを示す効果があるということね。
そういうものが好きな人は男性に多いでしょうから、男性のほうが伝わりやすいメッセージだということになりますね。
そういう観点から見ると……

「あの会社の受付嬢はカワイイ」も、女性の価値を「カワイイ」でしか見ていないミソジニーだし、「仕舞に可愛い同僚 部長と逃避行」にもそういう傾向がありますね。

で、「一度は美人秘書連れて移動」は、同性愛者でないことを確認し合うためのメッセージになっている。

「歳か疲れかもう朝勃てません!!」という下ネタも、男社会の連帯の鍵よね。
言わないでおいたのに!
というわけで、ホモソーシャルというのは決して褒められたものじゃないんだけど……今までの三つの仕掛けをまとめると、現実を辛いものとして表す言葉や下ネタを互いに認め合い分かち合う「オレ達」を作り出すように「闘え!サラリーマン」はできていることがわかるわね。
それで、「あたしおかあさんだから」は……

現実を辛いものとして表す言葉が存在しないし、認め合い分かち合う「あたしたち」も存在しませんね。

アドラー心理学の話をしたときに、「人間の生き方の基準が共同体にある」と言ったのを覚えてるかしら。人は、自分を認めてくれる他人とのつながりによって自分を見出していくのよね。
じゃあ……「あたしおかあさんだから」の「あたし」は、誰に認められているんでしょうか?
おそらく、その質問はとても重要よ。

「子供が承認する」と考えるなら、「子供に負い目を負わせることになる」という感想を抱くだろうし、

「おとうさんが承認する」と考えるなら、「そのおとうさんとやらはどこへ行ったんだ」という感想を抱くだろうし、

「作詞者が承認する」と考えるなら、「あんた関係ないやん」という感想を抱くだろうし。

怖いのは、「あたし自身が承認する」という考え方ね。その「あたし」はもう他人と共同体を築くことができないんだから。

もっとこう、家族や、他のママたちからの承認が歌詞の中で表されていれば、違う結果になったかもしれませんね。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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