歌の歌詞として批評すると?(レトリック編)
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せんせい、何見てるんですか? あ、これ「アイカツ!」ですよね。へえ~意外。
アイドルとは何か、と考えると論争になっちゃうから避けるけど。アイドルソングって「アイドルが歌うための曲」ということだけが条件だから、実は色んな表現方法を試せる分野なのよね。アニメソングにも似たことが言えるわ。
でも、この歌詞、なんか変じゃない?
そう言われると確かに……thesaurus.comでhappyの対義語を調べると、unhappyとかsadとかが出てきますね。なのになんでbadなんでしょうか?
色んな理由があるだろうけど、ここをbadにすることの効果に2つ気づいたわ。
まず、音声学的な、つまり発音するときの口の形に要点がある。happyの[p]とbadの[b]は、どちらも両唇破裂音という仲間なの。
閉じた唇をふるわせて出す音という意味ね。これに対してsadの[s]は無声歯茎摩擦音といって、舌と上の歯茎の間に息を流すことで出る音。
久恵里ちゃん、ちょっとhappy or badとhappy or sadを歌い比べてみて。
前回考えた、緊張と弛緩という感覚でいうとどうかしら?
実際、「絶対譲れないLOVE GAME」「負けられないLOVE GAME」と言っているわけで。そうした試合に臨むとき、その結末としてhappyの反対にsadを置いたのでは、なんだか力不足に思えないかしら。そういう理由があるんじゃないかと思うわ。
そりゃあプロの作曲家だもの、クライアントの要望に応えるために色々な引出しを持っているものよ。
それでも、ここまで「カッコイイ」曲に仕上がったからには、作詞家との協業がうまくいっていたのだろうと推察はできるわね。
そのへんはもう基本中の基本。もっと色々なことに注意が向けられているわ。例えばサビの、
「こっち向いて よそみはイヤ じらさないで 私だけ見つめて」
なんだけど。これ意味合いとしては同じことを繰り返してるだけよね?
レトリックがあるほうがいい、とは必ずしも言えないんだけど。レトリックの仕組みや働きを知って、意識的に使いこなせるというのは、その作詞家が「言葉のプロらしく」あるために重要なのよ。これは前々回紹介したゲッカヨ編集長の作詞本の110ページに書かれていることね。
それに、童謡にもレトリックはふんだんに使われているわ。
筆者が幼稚園児のころ家にあったレコードに、「ヘリコプター」(三越左千夫作詞)という曲が入っていたそうなんだけど、この歌詞の
「そらをたたいてかけあしだ」「くものシュークリームたべにいくの」
あたりは見事なレトリックね。(なお、具体的に何の技法に当てはまるかは、読者への宿題とします)
忘れちゃいけないのは「アンパンマンのマーチ」(やなせたかし作詞)ね。
冒頭に「胸の傷がいたんでも」と出てくるけど、これはアンパンマンの胸部に外傷があるという意味ではないし、「熱いこころ燃える」も何かが燃焼しているわけではない。人格のないはずの「愛と勇気」が「ともだち」になる。「なんのために生まれてなにをして生きるのか」という「問い」の形を持っている。
ノッポさんのいう「小さい人」は、大人よりもずっと多くのことをわかろうとしている。やなせたかしさんも、「幼児というのはですね、お話の、この本当の部分がね、なぜか分かってしまうの。」とテレビのインタビューで答えていたわ。だからこそ子ども騙しはしない、大事なことを省略しないという決意があの歌詞の中に生きているのよ。