「嫌なら見るな・買うな」は通用しない?

文字数 1,161文字

「あたしおかあさんだから」のCD発売が断念されたという報道を受けて、「嫌なら見るな」「嫌なら買うな」と言っていた人が多かったんですが……。
そういう人たちは、あの曲が最初に何のメディアで放送されたか、を忘れてしまったのね。
えっと、インターネット放送のhuluですよね?
huluはYoutubeみたいに無料で見られるのかしら?
有料です。無料のお試し期間はあるみたいですけど。
しかも、見ようとする動画ごとにお金を払う(ペイ・パー・ビュー)んじゃなくて、月ごとの定額サービスなのよね。
たくさん見ても請求がすごいことにならないのはありがたいですね。
反対に、見ていなくてもお金を払っていることにもなるわ。

つまり、「買ってしまってから、そこに見たくないものが入っていることに気づいた」という構図を避けられないのよ。

だからといって、返品ができるわけでもないですよね……。
しかも、huluの他の動画を見たい人も、見たくない動画に(ほんのわずかではあるけれども)お金を払ってしまっていることになるわ。

だから、「嫌なら見るな・買うな」を貫くなら、huluのすべてのサービスを諦めなければならない。

「買うけど見ない」という選択をしたとしても、その見たくない動画にお金……つまり存続のためのエネルギーを支払ってしまっていることになる。

じゃあ、huluが「あたしおかあさんだから」の曲の部分を動画から削除したのは……。
「嫌なら見るな・買うな」を実践するために、huluそのものをボイコットする人が増えたら、大損になるものね。その危険を避けたかったんじゃないかしら。ビジネス的に。

あと、クレーム対応のコストが賄えない、というのもありそうね。これもビジネス的理由。

うーん……でもCDは「その曲だけを買わない」ことができますよね?
CDがCDとして売られているだけなら、そうなるわね。

でも、たとえばテレビを見ていても、新しいCDの発売を知らせるCMは沢山流れてるわよね?

それは、そうしないと売れませんから。
CDとしてリリースされると、権利などの特別な問題がない限りは、ラジオのリクエストで流されることも多くなるわ。それに、近所の幼稚園や小学校の行事でスピーカーから流れることもあるかもしれない。完全に避けるのはとても困難なのよ。
そ、そういえば……。
あの曲に共感できる人というのは、今まで会話で考えてきたような「危うさ」を危うさとして認識できていない人でもある。この曲は自分の感情に快く響いたから、他の人にもそうだろう、と短絡的に考えてしまって、不用意に他人に聞かせようとするかもしれない。

私が恐れるのはそういう事態よ。

自分では、好きだ、快い、という感情をもって行動しても、それが他人を傷つけてしまう……この前話したブラックフェイスにも似たところがありますね。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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