母親と子の関係ってムズカシイ?(前編)

文字数 2,655文字

これまで、ルールを呼び出して味方につける言葉の問題うつろいゆくものを幸福の根拠にする問題物語が持つ共感の力の問題を扱ってきましたけど、「おかあさん」というテーマに限った問題ではなかったように思います。何かこう、「おかあさん」ならではの問題があるんじゃないかと思うんですが。
「母親」をテーマに選んだために、多くの問題を招き寄せてしまった面はあると思うわ。ただ、色々な問題が絡み合っているのよね……だから、揺るがない基本から考えていきましょう。
揺るがない基本……それは?
2つの「できない」をまず考えるの。

1つ目。すべての人は、母親から生まれてこないことはできない。

2つ目。すべての人は、生まれてから数年間は独り立ちできない。

えっと、当たり前じゃないですか?
当たり前ってことは、揺るがないってことよ。そこから考えれば思考がブレにくいわ。

それに、地球上には何十億人も人間がいるのに、一人の例外もなく母親から生まれているっていうのは、ちょっとすごいことだと思わない?

まあ、そうなんでしょうけど……。
それに、馬だったら生まれてすぐに立ち上がれるけど、ヒトは違う。ヒトが人間として生きられるようになるには、守られ育てられなければならない。
それって、母親とはとても特別な存在なんだ、ってことですか?
ええ。少なくとも今(2018年)のところ、女性の身体にある自然の力に頼らなければ、人間は生まれ出ることができないんだもの。そして、多くの人が母親のもとで育てられる以上、母親という存在はとても特別視されやすいと言えるわ。
せんせい、今、言葉を選んでいましたよね。
えっ……そうね。以前、ステレオタイプの話をしたことがあったけど、母親を特別視するのも一つのステレオタイプかもしれないからね。「そういう考え方がある」というふうに一歩引いてみる必要があると思う。
母親からしか生まれて来られないのは揺るぎない事実でも、そこから先は単なる押し付けかもしれないですからね。わかりました。
さて、今までの話を踏まえた上で、今度は赤ちゃんの視点から考えてみましょう。赤ちゃんにとっておかあさんってどんな存在かしら?
えっと、お乳をくれて、うんちを片付けてくれて、不快や危険から遠ざけてくれる存在、ですよね?
だいたいそうなんだけど、母親がすべての欲求に応えてくれるとは限らないわよね。他の仕事があったり……辛い話だけど、育児の意味を見失ってしまう人もいるわ。

それを赤ちゃんの視点から捉えると……生まれてからしばらくは、不満(お腹がすいたとか、肌が濡れているとか)が自動的に満たされていたのが、ある時点から、そうではないということに気づく。赤ちゃんと母親が別の人間であることを理解するタイミングが訪れるということになるわ。

えっと、それはせんせいオリジナルの考え方ですか?
元々は精神科医のジークムント・フロイトが患者を治療しようとする中で見出していった「精神分析」という考え方を、私なりに要約したものよ。

フロイトの考えでは、子ども、この場合男の子は、母親を自分のものにしたい、という願望を抱くことになる。元々すべての欲求を満たしてくれた存在だものね。

小さい子が「ママとけっこんする」って言い出したりしますよね。
「あたしおかあさんだから」の作詞者自身がそういう絵本を書いてるくらいだからね。

でも、大抵の母親にはもう夫がいるわけだし、元々生物学的にも別個の人間なんだから今更一つになれるわけはないし、母親を自分のものにしたって、所詮は人間、すべての欲求や欲望を自動的に叶えてくれるはずもない。

そこで男の子は「母親を自分のものにしたい」という願望を壊すことで、母親とは違う、別のものを求めて成長していくことができる、とフロイトは考えた。それでこの子どもの心の働きを、神話になぞらえて「エディプス・コンプレックス」と呼んだわけ。

古文の授業で源氏物語のとき、先生が「光源氏は母親の面影を追い続けていた」みたいなことを言っていたのを思い出しました。
源氏物語が名作として千年以上語り継がれてきたのも、そうした心の働きをうまく表していたからかもしれないわね。
でも、フロイトの発見って、本当に正しいものなんですか?
そうとも限らないわね。あくまで、「こう考えていくと、患者の症状をうまく説明できますよ」という話。フロイトは精神科医だから、正しさを求めることよりも、患者の苦しみをなんとかすることを優先していたんでしょうね。
じゃあ、他の説明もできるんですか?
ええ。中でも、フロイトの考え方を受け継ぎながら、新たな精神分析を模索した、ジャック・ラカンが特に有名よ。
ラカンはどんな説明をしたんですか?
ラカンの話はすごくややこしくて、今でも解釈が分かれていたりするから、大変なんだけど……ラカンは「母親の欲望」というものに注目したの。
母親も人間ですし、欲望はあって当然では?
今の久恵里ちゃんは、世界を言葉で知ることができるから、当たり前だってわかるわけだけど、生まれたばかりの赤ちゃんはどうかしら?
……わからないですね。たぶん。
でも、母親が機嫌を悪くして、見捨てられたら、赤ちゃんはもう生きていけないわ。そこでラカンは、赤ちゃんは母親を満足させることを欲しがる、と考えたの。それが生きるために必要だから。これが母親の欲望。
でも、どうすれば母親が満足するかなんて、赤ちゃんにわかるんですか?
それが問題なのよ。他人がどうすれば満足するのか、は、言葉がなければ考えられない。それこそ際限なく母親に自分を合わせていかねばならなくなる。それじゃ自分がなくなっちゃうでしょ。
言葉を覚えれば、自分がなくならないですむ、ってことですか?
言葉はリミッターになる。たとえば、「ママはボクに服を着替えてもらいたい」という言葉での理解があれば、「服を着替える」ことをすればその欲望は満たせたことになるでしょ。そういう区切りをつける働きが言葉にはあるのよ。
「母親も一人の人間だ」という理解ができるのは、言葉の力なんですね。

でも、フロイトとラカンとでは、母親に対する考え方がまるで違うんですね。

ラカンも精神科医だから、患者の苦しみをなんとかすることを優先していたんでしょうね。だから、「こう考えると説明しやすい」くらいに捉えておくほうがいいでしょう。
それで、今までの話を使うと、「あたしおかあさんだから」をどう説明できるんでしょうか。
それは……と行きたいところだけど、長くなっちゃったから、一旦休憩にしましょう。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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