「小さい人」と信頼関係を築けますか?(後編)

文字数 2,778文字

せんせい、お茶が入りましたよ。
ありがとう。こっちも見つけてきたわ。信頼関係を築く具体的な話。この本。
ノッポさんの『小さい人』となかよくできるかな?」?

ノッポさん……って誰ですか?

久恵里ちゃんの歳だとなじみがないだろうけど、私やもっと上の世代の人たちにとっては、ノッポさんってすごい人気者だったのよ。

元々はタップダンサーで、「できるかな」や「ひらけ!ポンキッキ」といった児童番組に長く携わっていたの。特に「できるかな」には主演していて、次々と工作や遊びを繰り出すノッポさんは、魔法使いというか、ヒーローのように見えたものよ。

「小さい人」というのは、子どものことですよね?
本を見る限り、ノッポさんは「小さい人」と「子ども」を意識的に使い分けているようね。「小さい人」は、互いを尊重する、友人たりえる存在に対しての言葉。一方で、電車で空席に座りたがる小学生のことは「子ども」と呼び表している。大人のずるさに染まってしまった存在として、ね。
ノッポさんが、「小さい人」を尊重しているのは、なぜなんでしょうか?
ノッポさんは記憶力がすごいらしくて、自分が幼児だったころ、大人に裏切られたり、けなされたりしたことの辛さや悔しさを忘れていないんだそうよ。同じく芸能人だった父親が、自分を励ましたり慰めたりせず、ただ信じてくれた、ということも、忘れていないの。
「励ましたり慰めたり」してもらえなかったってことですか?
励ましや慰めって、「お前はまだ成功していない」という烙印を押してしまうことでもあるでしょ。父親はそういうことはしなかった。ただ、ノッポさんが仕事で成功を収めたときに、「あなたなら当然でしょ」と言ったそうよ。
それほどまでに、我が子を信じていたんですね……。
そうした過去から、ノッポさんは自分自身を編み上げていったのね。
それで、「小さい人」と信頼関係を築くためには、何をしたらいいんでしょうか。
もちろん、プログラムやガイドラインのように、万物に適用はできないけど、学ぶところのありそうなエピソードは書かれているわ。

例えば、「赤信号は渡らない」。

それは、交通ルールでは?
「小さい人」は、大人なんかよりずっと、正義や公平といったものに敏感なんだ、とノッポさんは考えている。5歳のノッポさん自身がそうだったから。

もし、「小さい人」が見ている前で、大人が赤信号を無視していたら、それは重大な裏切りよね。

それは……身に覚えがあります……。
もう一つ、初対面の「小さい人」へのあいさつの仕方を紹介するわね。自分の公演に来てくれた「小さい人」に、ノッポさんはこう挨拶したの。そのまま引用するけど、

「初めまして、私、ノッポと申します。よろしかったらお名前を聞かせていただけますか?」

その後どうなったかは、ぜひ本を読んでちょうだいね。

正義や公平、自分がどう扱われているか、ということに敏感な「小さい人」の気持ちを考えていくことが大事なんですね。

そういうことね。

じゃあ……「ママがおばけになっちゃった!」の作者はどうしているかしら?

こういうインタビューがありますね。読み聞かせをしていて、

「子どもは読んでいる途中で『嫌だ! やめろ!』といって泣いたり、『もう二度と読むな!』って逃げ出したりするんです。」

という。

それで、読み聞かせは中止したのかしら?
「そこで『お前、ママがいなくなったらどうするんだ?』と問いかけます。」とはありますが、中止したとは読めませんね。
じゃあ、そのときの作者は、「相手が泣いて嫌がることでも、無理矢理続けるのは正しい」というお手本を示してしまったことになるわね。
あっ……。
さっきも見たとおり、「小さい人」は正義や公平にとても敏感よ。大人にそうしたお手本を示されたら、どうなるかしら?
その大人を「信頼に値しない」と切り捨てられればまだいいですけど、「そうか、この世界の正義や公平はそういうものなんだな」と理解してしまったら……「相手が泣いて嫌がることでも、無理矢理続ける」ようになるかもしれませんね
しかも、そこから得られるメリットがないのよ。

歯科医にドリルを当てられるのは苦しいけど、「虫歯が悪化して身体を壊す」という、より悪い未来を回避するという理由がある。

踏切の前でじっとしているのは苦しいけど、「電車に轢かれる」という、最悪の未来を回避するという理由がある。

でも、「母親は死ぬかもしれない」と聞かされる苦しみで、「母親の生命は有限である」という未来は回避できない。

じゃあ、その苦しみは苦しむだけ無駄じゃないですか!
ええ。自分ではどうにもならないことを持ち出して、苦しめてくる大人。そういう大人をありがたがる母親や他の大人。そうした大人たちに囲まれた「小さい人」はどうなるかしら。

私はここで恐れているのは、学習性無力感

学習性無力感?
自力で逃れられないストレス状態にずっと置かれた生き物は、抵抗する努力をしなくなってしまうのよ。それは、自分に降りかかる問題を解決できなくなってしまうことを意味するわ。

「本を嫌がって泣いて暴れていた子もそのうちおとなしくなる」みたいなことを作者は言っていたようだけど、それは学習性無力感のあらわれなんじゃないか、と私は恐れている。

保育に携わる人が、信頼関係の中で安定した情緒を保つことで幼児の成長が促される、と考えて活動しているのを、まるきり壊してしまうようなことなんですね。
そしてここでは、「小さい人」と「大きい人」が対等に敬意を持つという、ノッポさんの理想も踏みにじられている。これはこれからの未来を生きていく人に対しての、大人たちの罪と言ってもいい行いだと思うわ。
***補足***
この会話では、「トラウマ」という用語をあえて避けました。

絵本に対して「子どものトラウマになる」という主張があるのは承知しています。

しかし、以前紹介したフロイトの精神分析に倣えば、幼少期のトラウマは無意識に入り、後々大人になってから障碍をもたらすことになります。つまり、現在の段階では挙証ができません。

また、アドラー心理学に倣えば、トラウマそれ自体が機械的に人間の行動に影響するというより、そうした内的現実を自らの目的に対してどう使用するかに重点が置かれることになります。つまり、アドラー心理学は作者インタビューの「トラウマになるかどうかは、子ども自身が決めることで、大人が決めることじゃない」をある意味で支持していることになります。

そのため、この会話では、トラウマへの言及を避け、「小さい人」と大人の間での信頼関係の構築と、それによる発達・成長に重点を置くこととしました。これは、「小さい人」にとってはまさに現在の問題であり、かつ、将来にも影響する問題だからです。

せんせい! お茶冷めちゃいますよ!
はいはーい。今度は冷める前に飲むぞー。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色