あの曲と似てる? 違う?(内省編)

文字数 2,203文字

「あたしおかあさんだから」に対して、大黒摩季の「あなただけ見つめてる」を思い出した、と言う人はすごく多かったです。私この曲知らないんですが、古い曲ですか?
1993年の曲だから、久恵里ちゃんよりはずっと年上ね。歌詞を見てみましょう

この曲のどんなところが、「あたしおかあさんだから」と似ているかしら?

表にしてみますね。


あなただけ見つめてる / あたしおかあさんだから


化粧をまず止めた / 今は爪切るの

車も詳しくなった / 新幹線の名前覚えるの

お料理もガンバルから / 苦手なお料理頑張るの

Partyには行きたい / 戻れたなら夜中に遊ぶわライブに行くの

嫌悪がってたあの娘とも絶交したわ / それ、ぜーんぶやめて

こうしてみると、細かな要素にも似通ったところがずいぶんあるものね。

以前取り上げた、物語の構造はどうかしら?

えっと……

I:「女」は、派手な化粧と髪を纏い、ぞんざいな言葉遣いで男たちを便利に使っていた。

II:「女」は、「あなた」に出会い、冬のドライブデートを経て結ばれた。

III:「女」は、地味で丁寧な「あなた好みの女」を目指している。

となりますね。

確かに、「あたしおかあさんだから」とよく似た構造を見出すことができそうね。

それで気づいたんだけど、2つの曲には、「破壊という贈与」が含まれているのね。

「破壊という贈与」?
贈与が社会を作るという話は以前にもしたよね。でも、場合によっては、「物を捨てたり壊したりすることが、贈与として働く」ことがあるのよ。それもとびきり強い働きをする。
想像がつきません。
アメリカ西海岸の先住民が行っていた、ポトラッチという儀式にそのヒントがあるわ。ポトラッチは「贈り物」という意味。

部族の長などの有力者が客人を招いて、豪勢な宴会を開く。そして沢山の財宝を贈る。受け手はお返しをしないといけないから、やっぱり豪勢な宴会を開いて財宝を贈る。これがどんどんエスカレートしていったの。

エスカレートして、どうなったんですか?
財産の詰まった倉に火をつけたり、壊してしまったりしたのよ。
もったいない!
でも、先住民たちは、精霊と共に暮らしているという自覚を持っていた。物を壊せば、それは精霊への贈り物になる。「誰もお返しができない、究極の宝物を俺は贈れるんだぞ」というメッセージになるわけよ。
ちょっと私たちと感覚が離れすぎているような……。
そうかしら? 今の日本でも、お葬式のとき、故人の好きなものを棺に入れて、一緒に荼毘に付すことがあるでしょ。物質的な世界からその物がなくなることで、故人にそれを贈ることができる、という発想は今の私たちの中にもあるはずよ。
あ、それは確かに。

捨てる、壊すということが贈与になる、ということはわかってもらえたかしら。

はい。ということは、「あなただけ見つめてる」の「女」も、「あたしおかあさんだから」の「あたし」も、過去の自分を壊すことで、過去も含めた自分自身を贈与しているということなんですね。
よく「愛が重い」という言い方をするけど、それはこうした「破壊による贈与に対するお返しができない状態」を表しているのかもしれないわね。この間話題に出した「太陽の季節」もそうなのかも。
共通点はわかりましたが、違いはあるんでしょうか。
まず、承認を与えるのが「あなた」であることは想像できるわね。「あなたがそう 喜ぶから」と明示されているから。ただ、これは決定的な違いではない気がするのよ。
他に決定的な違いがあるんですか?
それは最後の2行に表れている。

久恵里ちゃん、ちょっと読んでみて。

「あなたの微笑みはバラ色の鎖

 行けっ!! 夢見る 夢無し女!!」

意味わかる?
正直、わかりません。
それはこの歌詞が、およそ対極にあるもの同士をつなぎ合わせているからよ。レトリックの一種で、撞着語法と呼ばれるものね。
えっと、「バラ色」と「鎖」は対極にあるんでしょうか。
la vie en rose(バラ色の人生)というとおり、「バラ色」は幸福や栄華につながる言葉よね。一方、「鎖」は拘束具。わりと対極だと思うけど。これらをつなぎ合わせることで、「拘束されていることを自覚できるだけの内省的視点」と「拘束されることによる幸福」を同時に表現できているわけ。
なんかくらくらしてきました……それで、「夢見る夢無し女」のほうはどういう意味なんですか?
私にもわかんない。
え!?
でもね。元々この「あなただけ見つめてる」はテレビアニメ「スラムダンク」のエンディング曲に起用されていたんだけど、テレビで流れたときは「行けっ!! 夢無し女!!」という歌詞だったのよ。
フルバージョンを出すにあたって歌詞が追加された、ということでしょうか。
そうみたいね。しかも曲の一番最後、一際高い音で「夢見る夢無し女」は歌われている。私の想像なんだけど、これは、「バラ色の鎖」と相まって、あなただけを見つめる生き方の「矛盾」を突き付けるための言葉なんじゃないかな、と思うのよ。
もしこれが「夢無し女」だけだったら?
「束縛されて夢がない女」という矛盾のない終わり方をしてしまったでしょうね。

束縛を認識しないわけではなく、しかし束縛を拒否するでもない、という、複雑な生き方が、「夢見る夢無し女」に凝縮されているように感じられるわ。

そういう、「一歩離れたところから己を見る視点」は、「あたしおかあさんだから」には存在しないものですね。
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登場人物紹介

久恵里(くえり)

主に質問する側

せんせい(先生)

主に答える側

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