あの曲と似てる? 違う?(さだまさしさ編)
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1979年リリースで、久恵里ちゃんはおろか、筆者よりも年上の曲よ。だから、リリース当時のことは正直よくわからないのよね。Wikipediaによれば、さだまさしのシングル盤としては最大の売り上げになったんだけど、これは作者自身にも予想外のことだったみたい。その一方で、女性蔑視だと思われたこともあったようね。
歌詞はこれですね。でも……あれ? 「あなただけ見つめてる」のときみたいに、似ているところを書きだそうと思ったんですが、見つかりません……。
似ていると判断した人は、これら2曲を「女性の生き方に対して何らかの規定をするもの」というカテゴリーに入れたんじゃないかしら。この観点で言うと、Def Techの「Quality Of Life」という曲も仲間ということになりそうね。
関白は公家の最高位だと日本史で習いましたが、ここから「亭主関白」という言葉ができ、「偉ぶる夫」という意味になったんですよね。「宣言」というのは、世界人権宣言みたいに、自分や他人の将来のあり方に方針を示す言葉のことですね。
アメリカ独立宣言も、ラッセル=アインシュタイン宣言も、それによって自分や他人の将来のあり方を変えようとするから、権力的な性格を持つことになるわ。そして関白は権力の象徴なわけで。「関白宣言」というタイトルは、まず権力を想起させるということね。
ということは、「俺」は、本音を言うかもしれないけど、建前を守る心がけも持っている、ということになるわ。
しかも、「本音を聞いておけ」とは言うけど、「その本音に従え」とか、「従わなければ罰を課す」とかは明示していないのよ。そればかりか、「出来る範囲で構わないから」と付け加えて、達成の判断基準を相手に委ねてさえいる。
「俺は浮気はしない たぶんしないと思う しないんじゃないかな」のあたりはまさに竜頭蛇尾よね。コンサートだともっと情けない歌詞になったこともあるそうよ。
ともあれ、「関白宣言」という権力的な言葉で緊張させて、その緊張を崩すことで、「なんだ、優しい人じゃないか」と思わせる。そういう読み解き方の指針が示されているわけ。
ずるい、あるいはさもしいとも言えるわね。さだまさしの曲の中には、こういう「やさしさへのさもしさ」がよく出てくるらしくて、劇作家の野田秀樹はこれを「さだまさしさ」と呼んでいたこともあるわ。
ありかなしかで答えるなら「さだまさしくない」でしょうね。むしろ純粋すぎる。でも、言葉って空虚だから、純粋な言葉だけを与えられると、かえってそこに空虚さを見出してしまったり、聞き手自身の中にある願いを投影してしまったり、「私を騙そうとしているんじゃないか」と疑念を持ってしまったりするよね。
今の久恵里ちゃんが使ったのは、諷喩(アレゴリー)というレトリックね。直接的な言葉ほど話者の期待通りにならないから、いろんな「変化球」が必要になる。そのあたりも作詞家の技量だとは思うわ。