隻眼の獅子 第一話
文字数 2,820文字
エシリマ国女王マリュエティーナ二世自らが出陣した【ルントの戦い】は、両陣営に甚大な損害を齎すことになる。夜陰に乗じた混戦の中、女王が座上する飛行艇旗艦は、反女王軍に派兵されていたイサラエス国のマナ・レイテナ隊に強襲された。エシリマ国軍が敗走してもおかしくない状況を持ちこたえたのは、殿を務めるエリワナ公軍の働きがあってのことだった。エリワナ公配下の有望な人材を数多く失うことになるが、勝敗のつかないままに両軍は陣を引いた。
エシリマ国 ターサドナー朝歴四十七年 リューク領
女王に従軍するリューク領の公女レートアンは、後方の要所を守っていたことから、さしたる損害もなく領兵を帰還させた。国都より離れ大河の沿岸に位置するリューク領は、国難の動乱に直接の影響も少なく平穏な空気が続いているものの戦局激しい土地からの難民や流れ者も増え治安も不安定になりつつあった。
ルントの戦いから半月が過ぎようとしていた。
大気が澱む夜空に星々の瞬きは見えなかった。住み込みで働き始め十日が経つヤジンは、ジャンクの山に囲まれた事務所の二階で黴臭い長椅子に寝転がり窓越しに暗い夜空を眺めていた。大河に接する古い港町は、生まれ育った場所を想い出させる混沌さがあった。子供の頃を思い出していたからだろう。その夜、何時ものように長椅子で横になったが寝そびれていた。居た堪れない気分になるのは過去に遡っても記憶になかった。
ヤジンは、声を潜めて自らに言い聞かせた。
「オレもヤキがまわったか。」
夜も更けて、ジャンク山に囲まれた事務所の前で数台の車が停まった。夜のジャンク置き場に不審者が侵入するのは珍しくなかった。若者らの荒んだ話声が、外階段を伝わってきた。
「不用心な工場だな。階段も落ちそうだ。」
「ボロっちい事務所だ。金目のものはありそにないか。」
「それより、腹が減った。何か買って来いよ。」
事務所の鍵を壊す音がして十数名の若者が押し入った。
「口のテープを剥がせ。ここなら大声で騒がれても聞こえやしない。」
冷たい声に混じり物音がした。
「……痛ってぇ、このガキ、噛みやがった。」
「触るなッ。」
若い女の悲痛な声が響いた。若者らの下卑た笑い声が上がった。
「威勢がいいな。こりゃ、楽しめそうだ。」
「先ずは、裸にひん剥いてやるか。それから躾けようぜ。」
「イヤッ……。」
悲鳴を上げて暴れる音と、若者らの囃し立てる罵声が広がった。
「生娘のふりするかよ。手前もあばずれなんだろう。押さえつけろ。」
「ヤメテッ……。」
衣服を破り取る音が泣き声に絡み若者らの暴威が続いた。
事務所内を物色する一人の若者が、奥の長椅子に寝っ転がるヤジンに気付き驚き声を上げ呼んだ。
「……誰かいるぞっ。」
数人の笑い声が集ってきた。
「なんだって、幽霊でも見たか?」
数を頼んだ若者らの余裕のある声が続いた。
「臭うな、鼠か。それともドロボーか。」
ヤジンは、長椅子から起き上がった。外から零れる月明りに浮かぶ巌のような強靭な体躯に若者らは言葉を失った。悪さを重ねて遊び慣れている若者らは、嗅覚で目の前の大男が尋常でないのを感じ取った。
「……なんだ。オヤジか。」
若者の一人が凄み威勢よく言い放った。
「大人しく、お寝んねしてりゃ見逃してやるぜ。痛い目にあいたくないだろう。」
「見逃すって言ったか。」
ヤジンが、野太い声で言い返した。禍々しい雰囲気の威圧感に若者らは、思わず後退った。黒い肌と白い短髪が威嚇するように逆立ち凶暴な細い眼が冷たく無言の殺気を与えていた。
ヤジンは、眠れないままに時間を過ごし重苦しい記憶を呼び起こし虫の居所が悪かった。ガキの頃から散々に悪さを重ねてきたヤジンは、若者らの所業の悪さを咎めたり意見をするほども野暮でなかった。絡んでこなければ相手にしなかっただろう。
「どうした。」
リーダーが、姿を見せた。細身の長身で色白の若者は、ヤジンの雰囲気から危険な匂いを感じ取った。相手の様子を探りながら間合いを取った。
「親っさんの工場か。」
肝の据わったリーダーが尋ねる横で一人がナイフを取り出した。間髪を入れずにヤジンは、手元の帽子掛けの支柱でその若者を突いていた。ナイフを握ったまま床に崩れ落ちた。迷いのない非情な攻撃にリーダーも凍り付いた。
「刃物を持つなら、覚悟はできていたよな。」
ヤジンは、そう言って冷たく笑った。
「死ぬ気でかかってきな。相手してやるぜ。」
「おい……、そいつを連れ出せ。」
リーダーは、昏倒した仲間を運ぶように命じた。威勢を崩さないで凶暴な視線を向けて凄んだ。
「見かけない顔だな。流れ者か。」
「かもな。」
「近頃は、挨拶のできねえ余所者が増えた。」
「そうかい。」
「顔、憶えておくからな。」
最後の若者が怯えを隠しながら階段を下りると、一人残るリーダーは煙草に火をつけて余裕を見せた。
「ガキは、くれてやるぜ。楽しんでくれ。」
そう言い残してリーダーが事務所を後にした。外の車から若者らの罵声が響いた。
「この礼はするぞ。」
「後ろには、気をつけるんだな。」
「タコがぁ。」
石が飛んで窓ガラスが割れて車が走り去った。
月明かりの中、全裸の少女が身を丸めて脅え震えていた。涙で潤んだ瞳で睨む少女にヤジンは、上着を投げた。
「誰か、迎えに来てもらえるのか。」
予想もしなかったヤジンの優しさに覚悟を決めていた少女は、小さく答えた。
「……お姉ちゃんが。」
「机の電話を使え。」
ヤジンは、事務所の灯りを付けると、少女を出入り口近くの椅子に座らせ熱い飲み物を手渡した。上着を纏った少女は、両手でカップを包み込んで握りしめ震えながらも必死で涙を堪える気丈な姿がヤジンのささくれ立つ気持ちを和らげ救われる感じがした。少女は、見た目より子供だった。十代半ばにも思えた。人種が混じった浅黒い肌は、リューク領で珍しくなかった。短い金髪と明るい碧の瞳が出生の複雑さを物語っていた。
ヤジンが、煙草をくゆらせながら窓の陰から外を窺っているとタクシーが着いた。急ぐ足音が外階段を駆け上がり事務所に若い女性が飛び込んできた。
「お姉ちゃん……。」
そう言って少女は、姉の胸に縋り震え泣き出した。今迄堪えていた辛い惨めな気持ちが一気に迸った。若い女性は慌てているが、状況を読み取ろうと冷静だった。自分の上着を妹に着せて妹を宥めた。ヤジンは、促した。
「早く行きな。」
若い女性は、礼を述べ妹を抱えタクシーに乗り込ませた。二人を見送ったヤジンは、事務所の灯りを消して深い溜息をつき呟いた。
「これもアリかな……。」
ルントの戦いで乗機の甲冑を撃破され敗残兵として逃げた失意と悔しさは残っているが、歴然とした力の差を身をもって知る戦いを終えて一区切りがつく気持ちになっていたからだろう。少しばかり余裕が生まれていたのかもしれなかった。
エシリマ国 ターサドナー朝歴四十七年 リューク領
女王に従軍するリューク領の公女レートアンは、後方の要所を守っていたことから、さしたる損害もなく領兵を帰還させた。国都より離れ大河の沿岸に位置するリューク領は、国難の動乱に直接の影響も少なく平穏な空気が続いているものの戦局激しい土地からの難民や流れ者も増え治安も不安定になりつつあった。
ルントの戦いから半月が過ぎようとしていた。
大気が澱む夜空に星々の瞬きは見えなかった。住み込みで働き始め十日が経つヤジンは、ジャンクの山に囲まれた事務所の二階で黴臭い長椅子に寝転がり窓越しに暗い夜空を眺めていた。大河に接する古い港町は、生まれ育った場所を想い出させる混沌さがあった。子供の頃を思い出していたからだろう。その夜、何時ものように長椅子で横になったが寝そびれていた。居た堪れない気分になるのは過去に遡っても記憶になかった。
ヤジンは、声を潜めて自らに言い聞かせた。
「オレもヤキがまわったか。」
夜も更けて、ジャンク山に囲まれた事務所の前で数台の車が停まった。夜のジャンク置き場に不審者が侵入するのは珍しくなかった。若者らの荒んだ話声が、外階段を伝わってきた。
「不用心な工場だな。階段も落ちそうだ。」
「ボロっちい事務所だ。金目のものはありそにないか。」
「それより、腹が減った。何か買って来いよ。」
事務所の鍵を壊す音がして十数名の若者が押し入った。
「口のテープを剥がせ。ここなら大声で騒がれても聞こえやしない。」
冷たい声に混じり物音がした。
「……痛ってぇ、このガキ、噛みやがった。」
「触るなッ。」
若い女の悲痛な声が響いた。若者らの下卑た笑い声が上がった。
「威勢がいいな。こりゃ、楽しめそうだ。」
「先ずは、裸にひん剥いてやるか。それから躾けようぜ。」
「イヤッ……。」
悲鳴を上げて暴れる音と、若者らの囃し立てる罵声が広がった。
「生娘のふりするかよ。手前もあばずれなんだろう。押さえつけろ。」
「ヤメテッ……。」
衣服を破り取る音が泣き声に絡み若者らの暴威が続いた。
事務所内を物色する一人の若者が、奥の長椅子に寝っ転がるヤジンに気付き驚き声を上げ呼んだ。
「……誰かいるぞっ。」
数人の笑い声が集ってきた。
「なんだって、幽霊でも見たか?」
数を頼んだ若者らの余裕のある声が続いた。
「臭うな、鼠か。それともドロボーか。」
ヤジンは、長椅子から起き上がった。外から零れる月明りに浮かぶ巌のような強靭な体躯に若者らは言葉を失った。悪さを重ねて遊び慣れている若者らは、嗅覚で目の前の大男が尋常でないのを感じ取った。
「……なんだ。オヤジか。」
若者の一人が凄み威勢よく言い放った。
「大人しく、お寝んねしてりゃ見逃してやるぜ。痛い目にあいたくないだろう。」
「見逃すって言ったか。」
ヤジンが、野太い声で言い返した。禍々しい雰囲気の威圧感に若者らは、思わず後退った。黒い肌と白い短髪が威嚇するように逆立ち凶暴な細い眼が冷たく無言の殺気を与えていた。
ヤジンは、眠れないままに時間を過ごし重苦しい記憶を呼び起こし虫の居所が悪かった。ガキの頃から散々に悪さを重ねてきたヤジンは、若者らの所業の悪さを咎めたり意見をするほども野暮でなかった。絡んでこなければ相手にしなかっただろう。
「どうした。」
リーダーが、姿を見せた。細身の長身で色白の若者は、ヤジンの雰囲気から危険な匂いを感じ取った。相手の様子を探りながら間合いを取った。
「親っさんの工場か。」
肝の据わったリーダーが尋ねる横で一人がナイフを取り出した。間髪を入れずにヤジンは、手元の帽子掛けの支柱でその若者を突いていた。ナイフを握ったまま床に崩れ落ちた。迷いのない非情な攻撃にリーダーも凍り付いた。
「刃物を持つなら、覚悟はできていたよな。」
ヤジンは、そう言って冷たく笑った。
「死ぬ気でかかってきな。相手してやるぜ。」
「おい……、そいつを連れ出せ。」
リーダーは、昏倒した仲間を運ぶように命じた。威勢を崩さないで凶暴な視線を向けて凄んだ。
「見かけない顔だな。流れ者か。」
「かもな。」
「近頃は、挨拶のできねえ余所者が増えた。」
「そうかい。」
「顔、憶えておくからな。」
最後の若者が怯えを隠しながら階段を下りると、一人残るリーダーは煙草に火をつけて余裕を見せた。
「ガキは、くれてやるぜ。楽しんでくれ。」
そう言い残してリーダーが事務所を後にした。外の車から若者らの罵声が響いた。
「この礼はするぞ。」
「後ろには、気をつけるんだな。」
「タコがぁ。」
石が飛んで窓ガラスが割れて車が走り去った。
月明かりの中、全裸の少女が身を丸めて脅え震えていた。涙で潤んだ瞳で睨む少女にヤジンは、上着を投げた。
「誰か、迎えに来てもらえるのか。」
予想もしなかったヤジンの優しさに覚悟を決めていた少女は、小さく答えた。
「……お姉ちゃんが。」
「机の電話を使え。」
ヤジンは、事務所の灯りを付けると、少女を出入り口近くの椅子に座らせ熱い飲み物を手渡した。上着を纏った少女は、両手でカップを包み込んで握りしめ震えながらも必死で涙を堪える気丈な姿がヤジンのささくれ立つ気持ちを和らげ救われる感じがした。少女は、見た目より子供だった。十代半ばにも思えた。人種が混じった浅黒い肌は、リューク領で珍しくなかった。短い金髪と明るい碧の瞳が出生の複雑さを物語っていた。
ヤジンが、煙草をくゆらせながら窓の陰から外を窺っているとタクシーが着いた。急ぐ足音が外階段を駆け上がり事務所に若い女性が飛び込んできた。
「お姉ちゃん……。」
そう言って少女は、姉の胸に縋り震え泣き出した。今迄堪えていた辛い惨めな気持ちが一気に迸った。若い女性は慌てているが、状況を読み取ろうと冷静だった。自分の上着を妹に着せて妹を宥めた。ヤジンは、促した。
「早く行きな。」
若い女性は、礼を述べ妹を抱えタクシーに乗り込ませた。二人を見送ったヤジンは、事務所の灯りを消して深い溜息をつき呟いた。
「これもアリかな……。」
ルントの戦いで乗機の甲冑を撃破され敗残兵として逃げた失意と悔しさは残っているが、歴然とした力の差を身をもって知る戦いを終えて一区切りがつく気持ちになっていたからだろう。少しばかり余裕が生まれていたのかもしれなかった。