(十二)

文字数 2,089文字

 春が近づいてきていた。いつもなら嬉しい春の訪れだが、今年は違う。唐軍も、ウイグルら三派連合軍も、突厥(とっくつ)にとどめを刺そうと動き出す春だ。
 アユンは、大工の(こう)のもとに出向いた。巧は漢人の奴隷で、リョウに大工仕事を教えて、一緒に仕事をする姿を、アユンはよく眺めていたものだ。今日も巧は、馬を囲う柵の修理をしていた。
「巧、しばらくだな。元気にしているか」
「おや、アユンか。珍しいな。こっちの馬は気が荒くて、柵がすぐだめになるんだよ」
「巧は、集落に残ることも、唐に帰ることもできたのに、何でこんなところまで付いてきたんだ?」
「俺はな、アユン、唐の農村で暮らしてたんだ。働いても働いても、作った作物はほとんど取り上げられ、役人から土木工事に駆り出され、戦争ともなれば兵士として召集される。戦のさなかに、負傷して突厥の奴隷となったが、今から思うと唐での生活の方が、よほど奴隷暮らしで、こっちの方がずっとまともなんだよ、今さら唐に戻れるものか」
「そういうことか。しかし、それは良かった、俺にとってはな」
「いったいどうしたんだ?」
「俺も漢語を習おうと思ってな。漢人奴隷は誰もいなくなってしまったと考えていたら、巧のことを思い出したんだ」
「おいおい、いったいどういう風の吹き回しだ」
「安禄山という唐の武将を知ってるか、母親は俺と同じ突厥人で、父親はソグド人だ」
「いや、知らんな」
「安禄山という男は、唐の軍に入る前は商人で、六か国の言葉を話せるというのだ。それを聞いて、俺はリョウのことを思いだした。リョウの親父はソグド商人で、リョウは漢語の他にソグド語ができて、ここでは突厥語も覚えた」
「まあ必要に迫られて、ということだろうがな。アユンに、そんな必要があるのか?もしかして阿布思(アフシ)のように唐に降る準備か」
「馬鹿なことを言うな。俺の親父が言ってたんだ、いろいろな言葉ができるということは、時に槍や剣よりも強い武器になるってな。リョウを俺のネケルに抜擢したのも、さまざまな情報の収集能力を買ってのことだ。俺には最初、何のことかよくわからなかったが、最近、キョルクと話していて、漸く親父が言っていたことの意味が分かって来たんだ」
「それで、どうして敵の唐の言葉なんだ?」
「キョルクに何語がいいか聞いたんだ。キョルクも、突厥語の他に唐、奚、契丹の言葉を話せるからな。そしたらキョルクは、迷わずに漢語を習えと言った。唐は、西域にその勢力を広げるだけでなく、西域の文化や人、技術も積極的に取り入れている、開放的な国だ。長安では、突厥人の顔や服装をしているからといって、街中で変な目で見られるようなことはないし、むしろソグド人の胡服を、貴族や貴婦人がこぞって着ている、そんなところだと教えてくれた。いずれ役に立つときが来るだろうから、学ぶならまず漢語からだと言われた」
 その時アユンは心の中で、リョウに、いや、本音ではシメンに、漢語をもっと習っておけば良かったと思ったことは、巧には言わなかった。
「俺は字もあまり書けないから、王爺さんがリョウに教えたようにはできない。もちろん、日常会話で良ければ教えられる」 
「それで十分だ、頼んだぞ」

 それからアユンは、毎日のように父親に近い年齢の巧に漢語を習った。戦が近づいているので、部隊の軍事教練も怠らずに行ったが、その合間をみては、キョルクのゲルに行き、あちこちの珍しい話を聞くのも楽しみだった。
 キョルクもアユンを実の弟のように接してくれた。
「最近、面白い話を聞いたぞ。二月に、安禄山がまた長安に呼び出されて、平盧(へいろ)節度使に加えて、范陽(はんよう)節度使にも任じられたというのだ」
「范陽というのはどこだ?」
「平盧の少しばかり西で、幽州(現在の北京)が拠点だ。これで、唐の北辺の東半分は、全部、安禄山の支配下ということになった。もっとも面白い話と言うのは、そのことではなくて、安禄山は、宮廷に上がって皇帝に会った時、請われて宮廷の胡姫(こき)たちと一緒に胡旋舞(こせんぶ)を踊ったというのだ」
「胡旋舞っていうと、夏祭りにソグド商人が連れて来る踊り子たちの踊りのことですわね」
 一緒にいたソニバが、驚きの声を上げた。
「ああ、そのようだ。俺も子供の頃には目にした」
 ソニバは目の見えないキョルクを気遣ってか、一瞬気まずそうにしたが、最近は慣れて来ているのだろう、そのまま続けた。
「夏祭りでは、ソグドの女たちが、きれいな色の長い袖をひらひらさせて踊っていました。でも男の人が踊るのは見たことが無いですわ」
「俺は、ソグドの少年が踊るのを見たことがあるぞ」
 アユンがそう言うと、キョルクは立ち上がり、ひらりと舞い、くるり、くるりと回って見せた。
「まあ、本当にそんな感じです。あなたは、どうして踊れるのですか?」
「あの音楽を聞くと、身体が自然に動くので、教えてもらったことがある。安禄山も、そんなところだろう。だが、それを皇帝の前でやってしまうところが、さすがに安禄山よ。困らせようとした皇帝が、逆に安禄山に取り込まれていくのが目に見えるようだ」
 そう言ってキョルクは笑い、楽しそうに、ひらり、くるりと舞い続けていた。

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