(十六)

文字数 2,193文字

 バシュミル軍を先鋒とする三派連合軍の攻撃は、二日後の朝方に始まり、熾烈(しれつ)な戦いが繰り広げられた。しかし、突厥の劣勢は隠しようがなく、アユンもグネスの指揮下で、防戦一方というありさまだった。
 テペは、アユンがグネスに勧めたこともあり、百人隊長に抜擢されて奮戦していた。それでも、アユンの百人隊に寄り添うように戦う姿に、アユンは思わず胸が熱くなった。バズは、カルやほかの奴隷武人たちと共に、アユンの傍を離れなかった。

 昼前に、戦場が大きく動いた。ウイグルとカルルクの支援を受けたバシュミル軍が、烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)の親衛隊に殺到したのだ。逃げる可汗の旗がアユンからも見えた。もう戦う意味は無かった。ビュクダグ傘下のタクバンの部隊も敗走を始めた。
 大会戦での敗走が頭をよぎった。最後方を捨て身で守ってくれたドムズも、今はいない。一族の者を守るには、俺が残って戦うのか?一瞬、迷いが出た。馬の歩を緩めたアユンに気付き、グネスが大声を出した。
「ここで無駄死にすることはない。全員退却だ」

 突撃太鼓の音が止み、三派連合の軍は追撃を止めた。
 振り返ったアユンたちが見たのは、馬上で槍先に掲げられた烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)の首と、その周りで勝鬨(かちどき)を上げるバシュミル兵たちだった。

 本拠地に戻ったアユンたちは、慌しく移動の準備を始めた。移動というよりは逃走だろうなとアユンは思った。敵は、一気に本拠地に襲い掛かるかと思ったが、案に相違して引き返していった。これ以上、東に行っても大興(だいこう)安嶺(あんれい)山脈にぶつかるだけだ。可汗を討ち取った今、そんな所まで行っても何の得もないと思ったのか、あるいは他の何らかの事情があったのか、アユンにはわからなかった。ただひとつ、考える余裕ができたことだけはありがたかった。
 
 可汗の周辺は諦めていなかった。死んだ烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)の弟を次の可汗とする布告がなされた。急遽行われたその就任の儀式の後、敗戦にもかかわらず褒賞(ほうしょう)の大盤振る舞いが発表された。
「褒美でも配らなきゃ、誰も可汗と認めてくれないからだろう」
「逃げるのにも、財宝が重すぎて持っていけないんだろう」
 さまざまな噂や悪口が、アユンにも聞こえてきた。そんなとき、タクバンが一族の者を集めた。
「今度の可汗の名は、白眉(はくび)可汗という。我々は引き続き、ビュクダグと共に白眉可汗に従って行くこととする」
 アユンが、声をあげた。
「あいつらは阿史那氏の血が絶えない限り、戦いを止めないつもりだ。俺たちは阿史那氏ではない。可汗は討ち取られたんだ。羊を追っているだけなら、ウイグルも俺たちを殺しはしない。無駄な抵抗で一族の命を削るのはもう止めにしたらどうだ」
「お前は何を言ってるのだ。ソニバの結婚で、俺たちは立派な貴族の親族だぞ。阿史那氏を支えるのは当たり前だろう。それを忘れるな」
 早速、褒賞の大盤振る舞いが効いているようだな、とアユンは思った。戦場ではどこにいたかもよく分からないタクバンが、褒賞の分配では誰よりも巧みに動き回ったそうだと、キョルクが笑っていたことを思い出した。
「アユンは、もう部族長ではない、偉そうな口を聞くな」
「タクバン、それよりも俺たちの褒美はどうなった」
 タクバンの取り巻きが、口々に声を上げ、話は褒賞の分配に移った。噂通り、銀器、西域の硝子の酒器、絨毯、珍しい宝石などが、万人隊長を通してたっぷり配分されたという。いずれも戦には不要で、移動には邪魔なものだ。それでもタクバンは、一族の幹部や百人隊長に、後で褒賞を届けさせると言って、会は終わった。
 しかし、その後もアユンへの褒賞の話は無かった。アユンが訊ねると、タクバンは面倒くさそうな顔をした。
「お前は、部族長の家族だ。俺とおまえの分は、皆に配った残り物で、それを俺が預かるのは当然だろう」
 残り物は、他の誰に配ったものより高価なんだろう、とアユンは思った。
「俺も百人隊長として、部下に褒美を配りたい。部下のために、もらえるものは、もらっておきたい」
「何が欲しいか言ってみろ」
「金貨か銀貨が欲しい」
 アユンは、あえて大きく出た。どうせもらえないだろうが、タクバンの考えている水準を引き上げるためだ。
「そうきたか。残念ながら、金貨や銀貨は俺にも配分されなった。なんだかんだ言って、逃げるとき持ち運びに便利なものは、自分の手元に残しておきたいんだろうよ。俺たちの褒美はソグド商人を使って換金するしかないが、羊なんか売れないし、あいつらの手数料は高いからな」
 タクバンが、本音を漏らした。アユンはその隙を逃さず畳みかけた。
「それなら、俺は誰も欲しがらない羊でいい。それに、弓と矢を加えてくれたらもっといい」
「羊はいいとして、弓矢なんか、戦になればいくらでも配られるのに、どうしてそんなものが欲しいのだ」
 勘ぐるようにタクバンが聞いた。
「ここに来る時に、洞窟の備蓄が役に立ったのは、タクバンも忘れていないだろう。いざという時、ウイグルと戦うためだ」
「おお、お前も漸くその気になったか。そういうことなら、羊と弓矢に、剣と馬も付けてやろう」
 戦で死んだ兵士の馬が、空馬で何頭も戻ってきていた。中には、落馬しないよう足を(くく)り付けた兵士の死体と一緒に戻って来る馬もいた。唐に売れば高価な馬でさえ、今は欲しいという者はあまりいないようだった。
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