(一)
文字数 2,961文字
涼州の馬を霊州の軍馬牧場に届けたついでに、陽林のタンを訪ねたが、そこにタンは居なかった。お寺の
竹筒の水をごくりと飲むと、リョウは再び馬を走らせ始めた。
「傳若は俺と入れ替わりで、涼州に帰ったぞ」
「タンが陽林に居なくてな、長城の先の北の村まで行って来た。遅くなって、すまない」
「タンはどうしてた?」
「実は、その村でいきなり賊に襲われて、タンと一緒に一戦してきた」
「軽く言うが、大丈夫だったのか」
「ああ、タンが世話になっている坊さん、剛順っていう名前だが、唐軍の百人隊長だったとかで、めっぽう強くて、三人で撃退してきたよ」
「それじゃ、タンは元気だったんだな」
「ああ、戦闘で切り傷やら矢傷やら負ってしまったが、大丈夫だ。陽林にある剛順の寺に住みこんでいるそうだ」
リョウは、タンの父母の話や、タンの心が不安定な状態だったことは言わなかった。
「タンが仏典を読んでいると聞いて、俺は本当にびっくりした。あいつは字も書けなかったのに」
「それじゃ、ますますタンには戻ってもらいたいな。馬の商いが大きくなってきて、馬を良く知る奴がもっと、もっと欲しいからな」
「俺も誘ってみたが、まだ当分、寺の方が良さそうだ。
タンが居た村から陽林に戻るまで、急いでも四日かかった。その代わり、その間、少しずつ落ち着いてきたタンと話をすることができた。アユンやシメンの話も出たが、近況を知らないので、話は弾まない。剛順という坊さんが、ときどき一緒に話に入ってきたが、彼らの話す世界は、別世界だった。
「近頃、長安には
剛順がどこで手に入れたのか、隠し持っていた酒を飲みながら独り言のように言うと、しばらく考えていたタンが応じた。
「仏教の信者が、同時に景教も信じるということができるかな?」
「うん、いい線だ」
「今の唐では、
「そうよな。町中では、儀式のたびに、道教の説法やら儒教の説教、果ては禅の瞑想まである」
「景教では、全知全能の神だけを信じると聞いた」
「唐の人々には受け入れ難いだろうな。ただ、人がより良く生きられるように、と教えるところは、同じかもしれんな」
これが酒を飲みながらする話か、リョウは
―― 学問というのは、人を作るものだな。できればいつか自分も学んでみたい
そう痛感して帰って来たのだった。
「そう言えば、リョウには別の用事があるから、できるだけ急いで帰れって、傳若から
斗莫の言葉に我に返った。
「どうも、
「よし、わかった。支度したら、すぐ
そう言って、リョウは馬を替えるために馬小屋に向かった。
涼州の牧場に戻ったリョウに、傳若は待ってましたとばかりに話しかけてきた。
「リョウ、実はな、お前も知っているパラだが、お前の嫁にどうかと思ってな」
タンの様子を聞くでもなく、吐蕃の話でもないので、リョウは拍子抜けした。パラは、近くの店の娘で、リョウもときどき話すことはあった。
「いや、俺には嫁なんて、未だ早い。それに、パラは、妹のようなものだ」
「そう言えば、お前の親父はソグド人で、妹もソグド系の目鼻立ちだって言ってたな」
「ああ、そうなんだ。パラは妹に似ている。俺は、ソグド系の顔には恋愛感情はわかないんだ」
「そんなものかな。俺は、ソグド女じゃないと、そそられないがな。まあ、商売仲間の娘だし、気が変わったら、いつでも仲立ちするから言ってくれ」
「ああ、わかったよ」
「リョウのおかげで商売は順調だ。ここに腰を落ち着けてくれたら、俺も助かるしな」
リョウは、心の中で傳若の心遣いに感謝した。ソグド商人の子であるリョウは、漢語もソグド語もできて、漢字も書ける。通訳もできれば、手紙の代筆も、金勘定もできる。そして、何より
でもリョウは、いつまでもここで馬商人をしているつもりはなかった。シメンを探しに西域に来たが、もうシメンは見つからないかもしれない。それなら、俺は長安に行かなくては、そう思っていた。それにリョウは、突厥の村で愛し合った漢人奴隷の
「おい、リョウ。急ぎの用事というのは別にあるんだ」
少しぼんやりしていたようだ。傳若が本題を告げた。
「