(五)

文字数 2,090文字

 リョウとタンは、(せき)傳若(でんじゃく)の率いる小さな隊商(キャラバン)と共に、沙漠の旅を続けた。川沿いに南下してきて石傳若の隊商に出会ったのは、ちょうど東西の交易路になっているところだった。このまま東に向かえば涼州に着き、西に向かえば甘州だと教えられたが、まずは旅慣れた一行と共に行くのが安全だと考えたのだ。
 交易路と言っても、目に見える道があるわけではない。一行は、頂きが白くなっている南の高い山脈を右手に見ながら進んでいた。
「あの山を見ながらずうっと進めば涼州ですか」
「そういうことだ、あれは祁連(きれん)山脈という。山を見れば、今どこに居て、どこに向かっているかは、おのずとわかるものじゃ」
 それは、リョウが突厥で暮らしていたときと同じだった。ソグド商人も、もとをただせば遊牧民ということなのだろう。リョウは、よく一緒に交易の旅をしたアトとの会話を思い出した。
―山が見えないときはどうするのですか?
―木の枝ぶりや葉の大きさを見、木がなければ岩の(こけ)の付き方、草の濃さを読むのだ
―でも山も木も見えない吹雪の日にはどうするのですか?
―その時は風を聞くんだ、だがな、やたらと動かないということも知恵の一つだ

 石傳若が、鞍袋(くらぶくろ)から小さな木片を取り出してリョウに見せた。よく見ると魚の形をしている。
「これは、指南魚というものだ。この中に特殊な鉄がはめ込んであり、水に浮かべれば魚の頭が南を指す。磁鉄というもので、長安で高い金を払って入手したものだ」
「それを使って旅をするのですか」
「なに、よく考えてみれば、わしらにそんなものは必要なかったよ。山や星で十分だ。それに、もう気付いているだろうが、この辺りには、馬や駱駝(ラクダ)や、時には人間の骨も転がっている。それが一番の道標(みちしるべ)だ。ほら、そこにも」
 そう言って石傳若が指差した先に、馬の頭部の白い骨が半ば地面に埋もれるように転がっていた。
「それに、この辺りは、砂利と草をまぶしたような砂礫(されき)の大地だ。もっと西に行けば、駱駝でしか行けない砂漠もあるが、ここは馬も使えるから楽なのだ」
 石傳若はそう言ったが、近くに砂丘でもあるのだろうか、道はところどころ分厚い砂で覆われていた。

 北からの風が次第に強くなってきた。ついさっきまでは、冬の透明な空気の中で、日の光さえ(こお)っているように感じられた。それが今は、黄色の薄い膜の向こうに太陽がある。砂が顔にまとわりついてくるのにリョウは閉口した。タンはと見れば、大食(タージー)(アラビア)の商人のように顔を布で巻いていて、表情はわからない。リョウも(てい)が編んでくれた羊毛の襟巻を顔に引き上げた。しかし、毛糸の隙間にも砂が入り込んでくるので、結局、タンを真似て頭巾(ずきん)用の布を顔に巻くことにした。
「砂嵐が来たら絶対に動いてはだめだ。埋もれないようにしながら、じっとしているんだぞ」
 傳若は笑いながら言ったが、この辺でもそんな砂嵐が本当に来るのか、それとも脅しているだけなのか、リョウにはわからなかった。石傳若たちと出会わなかったら、何日も水さえ飲めず、砂嵐にあって、どこかで野垂れ死にしていたかもしれない。何とかなるだろうと思った自分の考えが甘かったことに、リョウはゾッとした。

「明日には、涼州の町に入る。そろそろ、本当のことを話してくれても良いのではないかな」
 (せき)傳若(でんじゃく)が、焚火(たきび)で羊の干し肉を(あぶ)りながら、リョウを見た。夜の冷え込みは厳しく、火にあたるか、毛皮にくるまって寝るしかない。もう旅も終わるので、壊れた木箱やら余計なものをみんな燃やしていた。(せき)斗莫(とまく)や家人たちは、食べ終わって寝る準備に入っている。リョウの隣にはタンが座り、無言で焚火に見入っていた。
「話によっては、涼州の町に入る通行証を何とかしてやっても良いと思っている。お前たちには、危ないところを助けてもらったのだからな」
 リョウは、タンの顔を(のぞ)いた。賊と戦った日に、突然タンを襲った発作のような症状は、その後は出ていないが、あれ以来、タンは一人で考え込むことが多くなっていた。ただ、落ち着きは取り戻したようで、リョウの眼を見て(うなず)き返してきた。
「私もタンも、れっきとした漢人です。ただ、何年もの間、突厥(とっくつ)に奴隷として(とら)われていました」
「やはりそうか。それでは、突厥がウイグルに負けたので、逃げ出してきたというわけだな」
「二人とも奴隷兵士として戦わされていました。ウイグルに負け、また唐の軍隊からも遊牧地を追われることになって、奴隷の身分から解放されたのです」
 これまでの石傳若の態度から、本当のことを言っても良いだろう、いきなり突厥の敗残兵としてウイグルに引き渡したり奴隷にすることはないだろうと判断したリョウだが、唐の軍隊とも戦ったとは言わなかった。唐の役人に知れたら、悪くすれば(ごく)につながれてしまうからだ。
「そうだろう、そうだろう。この間の戦いぶりを見れば、リョウは優秀な兵士だったとわかるものよ」
 納得顔でそう言う傳若は、タンの戦いを見ていない。それどころか、敵を刺し殺せずにブルブルと震えているところしか見ていないだろう。ただ、ここでタンが凄腕(すごうで)の兵士だと言っても、何の得にもならないので、そこは黙っていた。
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