(十三)

文字数 2,164文字

 夏が近づき、唐軍やウイグル軍の動静が伝えられ、戦の予感に周囲が慌しくなる中、サイッシュがアユンに声をかけた。
「俺が鍛冶屋(かじや)だったのは知ってるな。実は、戦の準備で剣の鍛造(たんぞう)をする人間が足りないから、手伝ってくれと言われた」
「誰からだ?」
「俺の従弟(いとこ)のクゼールだ。近くの製鉄場で場長をしている。そこには俺の一族がたくさん居て、俺もそこで働いていたんだ。今度のことは、たまたま工人の調達に来ていたクゼールの依頼だ。通行証も用意してもらえる」
「通行証?草原を行くのにそんなものが必要なのか?」
「ああ、製鉄場は、むやみやたらと人が入れる場所ではない。製鉄技術の秘密を守るために、警備も厳しいし、中に入るには通行証も必要だ」
「そう言えばサイッシュは、武器作りの指導で俺の部族に派遣されてきたんだったな」
「そうだ。だがなぜか、お前の親父は製鉄場から俺を引き抜く交渉をして、お前のネケルにしてしまった」
「ああ、それは今度のことで良く分かった。親父は、特別な技能を持った人間を大事にしていた。でもそれは鍛鉄(たんてつ)のことだけじゃない。サイッシュの分析能力や戦術眼を見抜いて、俺の参謀役を期待したんだろう。そうでなければ、サイッシュのような年寄りを俺のネケルにはしないだろう」
「俺はまだ三十前だぞ、年寄りはないだろう」
「ハハハ、サイッシュはおでこが広くて知的に見えるって、ソニバが言ってたけど、髪が薄くなってるだけじゃないか」
「何を言ってるんだ。俺だって、ネケルになる前には、馬術や剣術の腕も試されたんだからな。そんなことより、アユンも興味があるなら、一緒に製鉄場に行ってみないか。行くなら適当に理由を付けて、通行証も用意してもらうから」
 アユンは少し迷ったが、結局、一月ほど向こうで手伝いたいというサイッシュと一緒に、製鉄場を見に行くことにした。最近になって、いかに今まで知らなかったことが多いかを痛感していたアユンは、何か新しいことを知る機会があったら、とにかく行ってみることにしていた。そのつど「ああ、来てよかった」と思うことの方が多く、少しずつだが、自分が周りを見えるようになってきたと感じていた。

 五日後、アユンはサイッシュと共に、昼から出かけた。もともと可汗(かがん)の本拠地は、武器を作る製鉄場の近くに置いてあるので、製鉄場までは馬で半日もあれば行ける。ただ、サイッシュは泊まってぜひ親族にも会ってくれと言うので、遠出の準備をしていくことにした。
 広い草原を北に向かって一直線に走っていると、やがて遠くに山脈が見えて来た。
「あの山の近くで鉄の石が採れる。製鉄場はあの山の(ふもと)だ。ここらで一休みしよう」
 サイッシュに促されて、アユンは馬を休ませることにした。草原に座って、水筒から水を飲んでいると、サイッシュがアユンに教えるように話し始めた。
「もともと部族連合に過ぎなかった突厥(とっくつ)が、どうして帝国と呼ばれるほど強大になったのか、アユンは知っているか」
「そりゃあ、騎馬民族は戦が強いからだろう」
「草原には、昔から俺たち以外にも騎馬民族が大勢いた。突厥は、その昔は柔然(じゅうぜん)という騎馬民族集団の奴隷だった」
「ほんとうか、俺たちの先祖が奴隷だったなんて、そんな話は初めて聞いた」
「まあ、そうだろうな。そういうことは、俺たち鉄に関わる一族にだけ伝えられてきているからな。柔然の奴隷といっても、ただの奴隷じゃない、鍛鉄(たんてつ)奴隷だ」
「鍛鉄っていうと、サイッシュがやっている鍛冶屋(かじや)のことか」
「そういうことだ。俺たちの先祖はここより遥か北西にある、鉄の石の産地に住んでいた。しかし、その製鉄の技術に目を付けた柔然の支配下に組み込まれ、鍛鉄奴隷として阿爾泰(アルタイ)山脈の南麓へ移住させられたのだ。その後、どんどん東に移り住む中で、鍛鉄技術に優れた阿史那氏が軍事でも急速に力を持つようになった。優れた鉄の剣を作れるのだから当たり前と言えば当たり前だがな。そして阿史那(あしな)氏が柔然を破って独立したのが突厥だ。今から二百年前の話だ」
「俺は子供の頃、母から先祖の話を何回も聞かされた。邪悪な者の虐殺から生き残った男と牝狼(めすおおみ)の間に生まれて、大鹿に守られてきたんだとな」
「そのとおりだが、それはさらにその昔、千年も前の大昔の話だろう」

 夕方近くになり、製鉄場の近くの丘の上に立ったアユンは、その景色に息を飲んだ。
 夕陽が大地に落ちてきたのかと見紛(みまご)うばかりに、一面、赤々と輝き、その光はゆらゆらと揺れている。よく見ると、広い敷地に、一尺(約30cm)ほど地面を掘り込んだ、一辺三丈(約10m)ほどの方形が無数に作られていて、その枡目ごとに背丈の高さほどの炉が置かれ、火が()かれているのだった。炉の数は、数百はありそうだった。
 横では、サイッシュが懐かしそうにその景色を眺めていた。
「俺は、この景色の中で育ったんだ。俺の親族も、みんなこの中で働いている」
「何人くらい働いているんだ」
「奴隷も含めたら千人以上いるだろう。なにしろ、二交代で昼夜休まず燃やし続けているからな」
「凄いものだな。山の木が伐採されて禿山(はげやま)になっているのは、燃料にしたからか」
「そのとおりだ。製鉄は、木炭を燃料にするので大量の木が必要だ。だから、製鉄場はこうして広大な森林の近くに作られる。近くの木が無くなると、森の縁に沿って少しずつ移動していくんだ」
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