(十二)

文字数 1,359文字

 それから数日して高粱(こうりょう)(コーリャン)の収穫が始まった。それまでの間、タンは話に出た親子を遠くからそっと観察していた。宴会ではコウと聞こえたが、漢字は(こう)だという。康の家は村の中心部から少し離れたところにあり、今まであまり顔を会わせることは無かった。はっきりとはしないが、三年前のあの日、自分が殺すように命じられた母親の背格好に似ている気もした。娘は、六歳位だろうか。あのとき母と手をつないでいた女の子は三歳くらいだったから辻褄(つじつま)が合う。男の子は三歳だと言っていた。母親は大きなお腹をしていたのだから、これも辻褄があう。しかも、その赤子は夫が殺されたときに、突厥(とっくつ)の男に凌辱されてできたのかもしれないと言っていた。弱い者ほど、また重ねて酷い目にあう、そのやるせなさにタンは、今度こそ逃げ出したくなる思いだった。

 収穫の日、タンは作務衣(さむえ)を着、半年の間に伸びた髪の毛を手ぬぐいで覆い、指示された家に行った。村長の妻が言った“男手の無い家”というのは、実は何軒もあって、順番に手伝うことになったのだ。 
 天候不順で、今年は実の入りがあまり良くないと聞いていた。それでも茎が六尺にも伸び、赤茶色の穂が頭を垂れる高粱畑を見ていると、大地の恵みを感じる。
「ここまで育てるのは、大変だったのでしょう?」
「鳥追いや雑草取りは大変でも、高粱は肥え要らずだから、まだいいのさ。そっちの野菜の方が、大変だ。もっとも、どちらもお天道様(てんとうさま)しだいだけどね」
 おそらく大変な労力を掛けて高粱や野菜を育てたのだろう。しかし、その寡婦(かふ)は、何ごとも無かったように軽く答えた。新しい牧草を追って、牛や羊と共に移動する遊牧民には、とてもできないことだ。
 収穫も大変だった。茎の途中から穂を長めに残して刈り取り、束にしたものを天日干しのために竹竿に掛けていく。農作業に慣れていないタンは、すぐに腰が痛くなった。こうした労力を一切掛けずに、収穫の時期を待って略奪に来ることの卑劣さを、思い知らされているようだった。

 手伝いの二番目が(こう)の家だった。初めて近くで顔を合わせ、挨拶を交わしたとき、康の眼が一瞬、見開かれたように感じた。しかし、そんなことはあるまい。真っ黒に日焼けした農婦の顔は、初めて見る顔だ。だいたい、俺が殺さなくても、他の誰かが殺しただろうから、生きているはずもない。おそらく自分が少し神経質になっているだけだろう、そう自分に言い聞かせた。よく見ると、康は鼻筋が通り、大きな黒い瞳の眼を持つ、美しい顔立ちの女だった。
 作業の間中、康はほとんど話をしなかった。宴会での女たちの話からも、康はもともと寡黙な性格のようだった。しかし、周囲からの中傷にも耳を貸さず、ひたすら二人の子を育てて重労働を続ける康は、強い芯を持った女なのだろうとタンは感じた。

 高粱の収穫は順調に終わった。せっかくだから脱穀まで手伝っていきなさい、と村人に言われるままに、タンはさらに数日を村で過ごすことにした。村人は、タンにタダ働きさせたいわけではなく、名残惜しいのだということがタンにも良くわかっていた。それ以上に、もう少し康の家族を見ていたいという気持ちもあった。
 収穫後は晴天に恵まれ、乾燥、脱穀、袋詰めと、作業は順調に進んだ。さすがに、そろそろ帰らなくてはとタンは思い始めていた。
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