第19話 未来への扉

文字数 4,744文字

 サクヤとニニギは、ラウンジで黙ったまま項垂れていた。正直、先生からもう少し高い評価がもらえるかと期待していたのだが、足りない事ばかりであることに気付き、がっかりした。
 先生には「がんばります」とは言ったものの、大和朝廷は豪族たちの間の利害をどのように調停していったのであろうか。これまでの研究は、茨城県中央部の話だけで、確かにその域から抜け出せていない。
 ヤスロマロ先生が言っていた「地方史は、その地域の歴史が、都道府県の歴史、更には国の歴史や世界史においてどのような位置づけにあるのかまで視野において考察していく学問」には、とても至っていない。
 確かに、先生から新たに出されたこの課題については、これまでの研究だけではとてもカバー出来そうもない。全国各地で起きていたであろう、切り取り次第の戦国の状況を終わらせるに足る人物の登場が必ずあったはずである。
 サクヤが言った。
「常陸国風土記を那賀郡だけに限らず、全部に目を通してみようか。分かりやすい解説本を何冊か図書館で探しておくから。それから、当時の大和朝廷の動きも気になるよね。それ、ニニギ君に調べてもらえないかな」
 ニニギは頷いた。
「そうだね。時間はかかるだろうけど古事記や日本書紀にも自分なりにチャレンジしてみるよ。詰めが甘くならないよう、お互い頑張ってみよう。今の件、よろしくね」
 サクヤは早速、図書館へ足を運び、高校生でも理解できそうな本を探した。そして、書かれている内容や、著者の解釈も一通り読んでみた。
 ニニギも、監督には来週から練習に復帰すると伝えてあるので、他の夏休みの課題もこなしながら、自分でも読めるやさしい『古事記』や『日本書紀』の解説本などを、時間をやり繰りしながら読んだ。
 しかし、二人とも中々それらしい人物像は見えてこなかった。
 二人は、水戸に行ったときに撮った画像をそれぞれ眺めていた。ついこの間の事だったが、とても懐かしい。時系列に、その時の記憶も蘇ってくる。
 サクヤは、日鷲神社の画像を前に指を止めた。そして、呟いた。
「この神社、ヤマトタケルを祀っていたよね」
 更に指で画像を送ると、神社の裏から撮った朝房山のあの美しい景色が現れた。
 同じ頃、ニニギは大橋の吉田神社の画像を前に指を止めた。そして、呟いた。
「この神社、ヤマトタケルを祀っていたよね」
 ニニギは、さっそくサクヤに電話した。
「サクヤ、オオ氏と出雲氏を調停した人物、いや神様見えてきたよ」
「そう、私も見えた。それじゃあ、せーので声を合わせて言ってみようか」
「せーの、ヤマトタケル」
 二人は、ガッツポーズをした。
 サクヤは言った。
「明日、サッカーの練習の後、会えないかなー。詳しい話きかせて?」
「オッケー。それじゃ、いつものラウンジで」
 二人とも、電話じゃなくて、メールじゃなくて、直接会って話したかった。
 ラウンジで、二人は、しっかりと目を合わせた。互いに嬉しさが込み上げてきた。
 サクヤは言った。
「日鷲神社の画像を見て、ヤマトタケルが頭に浮かんだの。この後ろの田園から見た朝房山が見える風景、覚えているでしょう?あそこ、自転車で走ったよね。
そして、たどり着いたのが大足だったでしょう。調べていたら、この大足を名前に使った人物を偶然見つけたの。大足彦忍代別(オオタラシヒコオシロワケ)、何とヤマトタケルを東国へ派遣した父の景行天皇なの。
これって、偶然…。そうは、思いたくない。ヤマトタケルの背後に、守護するかのように大足はあるよね。さらに、その背後には朝房山。
それから、風土記の中でヤマトタケルがあちこちで活躍しているのね。」
 ニニギは言った。
「なるほどね。それは、実に興味深い話だね。
俺は、大橋の吉田神社の画像を見てて、ヤマトタケルが浮かんだんだ。
そこから真東へとフツヌシの神山朝房山、そしてタケカシマの大井神社と一直線に並んでいたよね。これって、俺のナビでは大和朝廷勢力の協力関係ラインに見えていたんだ。
それから、ある著名な研究者はマトタケルの東国遠征は国造の設置と関係していると言っているんだ」
 二人は、顔を見合わせガッツポーズをした。

<仮説4:二人で作成> ヤマトタケルが出雲氏とオオ氏の争いを調停し鎮めたのではないだろうか。
 金谷町の日鷲神社は、アメノヒワシとヤマトタケルが祭神である。この地において、『常陸国風土記』には、「ヤマトタケルの天皇(すめらみこと)」が登場する。ヤマトタケルは、天皇では無い。景行天皇の皇子である。常陸国においては、天皇と呼ばれるほど尊敬される存在であったのだろう。ヤマトタケルは、更に西の出雲氏が支配していた新治の地を通り過ぎ、そこの国造に命じ井戸を掘らせている。この神社は、田を潤す水の神でもあったわけである。朝房山との関係を考える上では、三月の初酉の日に人々が山を目指したというが、酉の市で知られる同神を祀る東京浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)でも月は違うが酉の日を特別な日としている。そして、日鷲神社は山を源流とする桜川が近くを流れる。
ある研究者は、ヤマトタケルの東国遠征を、国造の設置との関係から論じている。ヤマトタケルは国造を任命した成務天皇とは兄弟であった。そこに、豪族間の領地を巡る争いを調停して歩くヤマトタケルの姿が目に浮かぶ。

<参考資料:ニニギが作成>
成務天皇の時、タケカシマを那賀国の国造に任命している。その時の各有力豪族の勢力圏を基準に小国に分け、その国を治める長官として国造を任命したことだろう。
大和朝廷が国造を任命するということは、朝廷側の方針は、それまでの豪族たちによる領土の「切り取り次第」という乱世の状況から、領土を確定しその中での(まつりごと)を委ね、新旧勢力が力を合わせ平和で豊かな国造りの実現を目指させることを意味したことだろう。そうなると、氏族の違いを超えた人や産業、経済の結びつきが始まったかもしれない。そして、大和朝廷への中央集権化が進んでいったと考えられる。
下記は、後の常陸国を構成するベースとなった各小国と国造たちの出身氏族である。天皇から任命された国造は、その地の開拓を主導し政治的支配を確立していたと考えられる豪族である。

常陸地方における小国の初代国造配置状況

 久慈国(物部氏)多賀国(出雲氏)
          那賀国(オオ氏)       ⇒東の太平洋方面
 新治国(出雲氏)茨城国(出雲氏)      
        筑波国(物部氏)

*以上から、出雲氏 計3国  物部氏 計2国  オオ氏 1国
 小国数からは、出雲系3国、大和系3国で釣り合いを取っているかに見える。

出雲氏は、大和政権に国譲りした後、大和政権内の有力豪族の一つに組み入れられ、物部氏・オオ氏などの有力豪族と同様に東国の開拓へと向かい、それも一足先に出雲氏が県央地域をはじめ県内の広範囲に進出していたとされるが、今回の調査研究により、出雲氏は大和朝廷に支配される以前に、すでに東国の広範囲に進出を果たしていたと見ている。
初期における大和方の東国遠征は、いかに出雲系の勢力を取り崩すかに主眼が置かれていたように思えてくる。これは、ヤマトタケルが南九州の熊襲タケルや出雲タケルに勝利し、その後、間もなくして東国に派遣されている話からも窺い知れる。もし、ヤマトタケルが神話上の人物であったとしても、崇神天皇の時に四道(しどう)将軍が派遣されたように多くの親王たちが全国の係争地へ出向いたことは十分考えられる。有力豪族が調停に入ることもあったであろうが、大和朝廷の勢力拡大には、親王たちが果たした役割は極めて大きかったであろう。

 サクヤは、コノハナサクヤヒメとニニギの関係についても詳しく調べてみた。
『古事記』の中のニニギとコノハナサクヤヒメの話は、サクヤヒメが夫からかけられた疑念を晴らすため、自ら火の中へ入って子を産むという壮絶な話であった。そして、天孫に続く子供たちを無事出産する。しかし、桜の花のように美しく短命だったともいわれる。
「ねえ、ニニギ君、運命って信じる?」
「特に考えた事は無いけど。運命は切り開くものでしょう。努力して」
 その言葉に、サクヤは、神話の中で自分たちのことがどう描かれているかは、どうでもよくなった。
「努力しなくちゃね」そう、サクヤは心の中でつぶやいた。
 サクヤは、バッグからごそごそと何か包みを取り出し、テーブルに差し出した。
「この水色のお守りはニニギ君の分」
 それは、あの大洗の神社でニニギがトイレに行っていた隙に受けたお守りだった。
「そして、これは私の分」
 そう言って、手前に桜色のお守りを置いた。
「最後の試合、頑張ってね」
 ニニギは、黙って二つのお守りを見詰めた。
 すると、ニニギは目の前に置かれた水色のお守りに指先を添え、ゆっくりとサクヤに戻した。
 サクヤは「えっ、そうなの」と、一瞬がっかりした。すると、ニニギはサクヤの前に置かれた桜色のお守りを手に取った。そして、口を開いた。
「ありがとう。全力を尽くすね」
 ニニギとサクヤは、見つめ合ってほほ笑んだ。

 11月の中旬までに、二人してプレゼン資料を何とか完成させ、リハーサルを繰り返し、発表も無事に終えることが出来た。短い期間での研究だったこともあって課題は多く残ったが、とりあえず研究を成し遂げ発表まで漕ぎつけたことへの満足感はあった。また、聞いて下さった先生方や生徒たちからの感想や批評も多く頂くことが出来た。その中で、「タケカシマと鹿島神宮の関係」を質問されたが何も答えられなかった。そう言われれば、確かに気になる。この地域には鹿島神社が他に比べ圧倒的に多いのである。
 サクヤは、将来、研究者の道を歩めればと願っている。そして、今回残った課題についてもチャレンジしてみたいと考えている。今は、そのための大学受験の勉強に余念がない。
 ニニギはこの夏、古墳や神社建築などを見て回り、我が国の古来からの土木や建築の素晴らしさを改めて気付かされた。そして、進学先では法隆寺の五重の塔のように千数百年も雨風や地震に耐えてきた日本建築の仕組みや技術を研究し、未来の建築に生かせればと考えている。
 しかし、ニニギには、その前に成し遂げなければならないもう一つの課題があった。
 サッカー部は、都大会のブロックを順調に勝ち抜き全国大会へと進出を果たした。
 選手権の準々決勝の観客席には多くの観衆が集まり、応援の声で監督が指示する声やメンバー間で掛け合う声もかき消されている。
 後半の35分まで、0対0のままゲームは進んだ。そこで、監督からニニギに声が掛かった。
ニニギは、ユニホームのエンブレムの後ろに縫い込んだお守りを握りしめた。いよいよ出番である。交代の選手とタッチしてピッチに立った。
 敵の鋭い怒涛の攻撃を体全体を使って必死にディフェンスした。こぼれ球に必死に足を伸ばし味方へとつなぐと、一気に敵陣へ駆け上がった。すると、味方ミッドフィルダーから美しいループを描いた球が上げられ、測ったようにニニギの足元へピタッと収まった。
 ドリブルで相手ディフェンダーを機敏にかわし、前方のゴールキーパーの動きを瞬時に察知し、ゴール左隅めがけ思い切り蹴り込んだ。
 周囲から大きな歓声が沸き起こった。
 これが、決勝点となり、憧れの国立競技場での準決勝戦への切符を手にした。
 サクヤは大きな拍手をしながら呟いた。
「そうだよ、運命は切り開くんだね。ニニギ君、大好きだよ。だいすき」
 声にならない言葉が、ニニギの心に届いただろうか。

 日鷲神社からの朝房山の眺めは、水をもたらす神山であり麓に暮らす人々の統合の象徴であるかのように、今日も優しく穏やかな表情を見せている。
<了>

(次回20話は、「作品に寄せて」です)


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