第18話 新たな課題

文字数 2,443文字

 サクヤとニニギは、これまでの調査資料とそこから得られた仮説、その仮説を支える論拠を整理し、ここまでのレポートをヤスロウ先生へ提出した。そして後日、先生との口頭試問が行われることとなった。

<二人が整理したレポート>
 タイトル『朝房山の謎に迫る』
 サブタイトル「朝房山を中心とした資源と伝説を巡る地歴的一考察」
仮説1:ダイダラボウが、朝房山を西北側に動かした伝説は、山の西北側の人たちが、日の当たる東南側に進出してきたと捉えた。
(論拠)
「山が動く」とは、なかなか変わらなかったことが、変わる時に使われる言葉でもある。

仮説2:オオ氏の移動経路は、那珂川方面から笠間市の大橋方面へ入り、その後にその勢力の一部が水戸市の中原・大足方面へと進出したと捉えた。
(論拠)
① 山の西北側の笠間市大橋以南と那珂川方面に同じ地名が複数見られる…人の移動の可能性
② 同名の神社から…神社の分祀の可能性
  (那賀郡の延喜式内社である飯富の大井神社を新治郡の大渕へ分祀した可能性)
  以上から、オオ氏は本拠地の那珂川方面から大橋方面へと移動したと捉えた。
③ 仮説1から…山の西北側の人たちが、東南側に進出してきたと捉えた。
  オオ氏の一部が大橋方面から中原・大足方面へと進出したと捉えた。

仮説3:クレフシ山の伝説の子蛇はタケミナカタ、その父はオオクニヌシに(なぞら)えた物語であると捉えた。
(論拠)
① この蛇神が3日3晩で成長する物語は、奥出雲のタタラ製鉄のプロセスと一致していることが分かった。
② 出雲氏の男が、オオ氏の娘に近づき、そして産まれた蛇神がその叔父を殺す、或いは殺そうとした話である。しかし、母は我が子を殺すことはせず神力を奪いそこに留めた。
 出雲氏の男をオオクニヌシとした理由は、出雲氏の軍事を担ったであろう子のタケミナカタと関係する「諏訪」の付く地名があり、更に南には諏訪神社(タケミナカタ)とその祖神、須賀神社(スサノオ)まで控えている。そして、タケミナカタの本性は蛇であり。母はヌナカワヒメでヌカビメとも呼ぶ。オオ氏は、出雲氏の神業と言われるタタラの技術を手に入れるため諏訪系出雲氏と共存をはかろうとしたのではないかと仮定した。

まとめ:
 この二つの伝説は、大和朝廷の命を受けたオオ氏が、出雲氏たちが農業やタタラ製鉄で繁栄する朝房山の東南へ進出したことを物語るものであると仮定した。
 三輪山の神婚説話の夫は大物主だが、以上のような理由からクレフシ山のヌカビメの夫は出雲の大国主であることが、この物語にふさわしい。 
 結果的にオオ氏は、後にタケカシマが国造となることでこの地の良質で豊富な資源と人材、出雲氏の持つ高度なタタラ製鉄と農業技術まで手に入れたことになる。

 口頭試問の当日、二人はヤスロウ先生のいる社会科準備室前の廊下の椅子で、そわそわしながら先生から声が掛かるのを待ちわびていた。予定開始時刻5分前に扉の向こうから先生は顔を覗かせ手招きした。
「レポート読ませてもらったけど、面白い内容だったね。特に、水戸まで行って現地踏査が出来たことは貴重な体験だったと思う。ここで、疑問に思ったことを幾つか質問するよ。
まず、一点は、朝房山がクレフシ山だという論拠は何なの?」
 サクヤは答えた。
「昔から研究者の間でそう言われてきました」
「それでは、答えになっていないなぁ」
 ニニギは答えた。
「風土記の那賀郡の中でこの伝説は、茨城の里、ここより北に高い丘がありクレフシ山という。古老が言うには、そこにヌカビコとヌカビメの二人の兄妹が住んでいたという文章で始まります。この茨城の里は、大足・中原・杉崎から更に西へ行った小原(おばら)という場所が定説となっており、この北側に朝房山があります。それと、クレフシ山の名前の由来については色々な説がありますが、初代国造タケカシマを祀った大井神社から真西に朝房山があります。つまり、そこからは太陽が暮れ伏していく所の山、クレフシ山と自分なりに理解しました」
「なるほどね」
 サクヤは、ニニギのナビに記憶された明快な回答に感心した。
 すると、先生は言った。
「他の研究者の説も紹介し、それから持論を展開した方が読み手も比較でき、説得力が高まると思うよ」
 質問は続いた。
「クレフシ山のヌカビメがオオ氏であると述べているが、その根拠は何なの?」
 サクヤは答えた。
「物語の結末で、ヌカビメは、蛇神の神力を抑え込むことに成功し、子孫が代々に渡って瓫と甕を御祭しているという事ですから、風土記が編纂された時代まで勝ち組であったことを考えると、この地を支配したオオ氏の娘と仮定してよいと判断しました」
 さらに質問は続いた。
「延喜式内社についてだけど、論社って知ってる?」
 二人とも答えることが出来なかった。
 先生は続けた。
「千年以上も前の話だけに、延喜式内社について神社によっては候補地が複数あって、特定するだけの論拠が得られない場合もあるんだ。ここでは、大井神社や藤内神社がそれに当たるかな。有賀神社は、もとは藤内神社だったと縁起に述べているよね。そういう場合は、神社に敬意を払ってレポート上では論社とし、他の研究者の意見も紹介しながら、自分の持論を示すべきかな」
 サクヤとニニギは、なるほどと頷いた。自分たちには、まだまだ学ばなければならないことが山ほどあると気付いたのだった。
 先生は更に続けた。
「13代成務天皇の時、国造を任命したわけだけど、ここに至るまでは群雄割拠、戦国乱世の状態だったことが十分考えられるよね。こうした豪族たちの間を上手く調停しなければ、世界で頻発している戦争のように収まりどころが見つからないよね。
この後、大和朝廷は中央集権国家を築くことに成功していくのだけれど、二人のこの研究に、そうした事態解決の糸口を見いだせないかな?そこに地方史研究の大きな意義を見出してほしい」
 サクヤとニニギは顔を見合わせ、そして姿勢を正した。
「がんばります!」
「そうか、それでは成功を祈る」

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