第7話 古墳の里

文字数 2,799文字

 サクヤの父親は、昨日のドライブで相当疲れたようで朝九時近くに起き出した。
 おばあちゃんが一言「お疲れ様」
 それでも、すっかり二人のお父さん気分で一日過ごせたので大満足の様だった。
 おばあちゃんが、独り言「娘心も知らないで…」
「今日は、家でのんびり過ごすぞ」父親は、そう言うと大きなアクビをした。
 サクヤとニニギは、二人きりで今日のスケジュールを立て終わっている。サクヤの心は、夕べの祖母のおかげで晴れやかだった。
 二人は、物置の奥から父とその姉が高校へ通うのに使っていたという古い自転車を持ち出し、それを今日は借りることにした。ほこりを払ってチェーンなどにオイルをさし、更にタイヤにエアーを入れ、今日の目的地に出かける準備を済ました。
 今日は、近場を探検することにした。
 コースは、午前は、すぐ西隣の大足町→牛伏町(うしぶしちょう)にある古墳公園(牛伏古墳群)→谷津町の立野神社(たてのじんじゃ)→Uターンして黒磯町の加茂神社→有賀町(ありがちょう)の有賀神社→中原町の八幡神社と周辺古墳群
 午後は、南の筑地町(ついじちょう)鯉淵町(こいぶちちょう)方面を予定している。
 祖父に行き先を告げ、家を出た。まずは祖母がよく朝房山を眺めたという近くの日鷲神社(ひとりじんじゃ)に立ち寄りお参りした。この神社の祭神は、天岩戸伝説に登場する鳥で開拓・殖産の神アメノヒワシ。そして、十二代景行天皇の皇子、倭健(ヤマトタケル)である。タケルは九州南部の熊襲タケルと戦い勝利し、出雲タケルにも勝利した直後、休む間もなく父より東国への遠征を命じられ、この常陸地方でも活躍したことが『常陸国風土記』から知ることが出来る。
 サクヤは、神社の裏手から見える朝房山を眺め驚いた。
「なに、この山の景色。朝房山だけしか見えない。他の山が視界に入ってこない。不思議…」
南から西を見渡せば、笠間市岩間の愛宕山・石岡市の難台山(なんだいさん)や吾国山・桜川市の加波山(かばさん)など、そこそこ高い山々が聳えているが、西北には朝房山だけがポツンと一個その存在感を放っている。さほど高さも険しさも無いのだが、神々(こうごう)しい優美な姿を見せている。
「そういえば、おじいちゃんが子供の頃、毎年三月の初酉(はつとり)の日に家族や友人たちと連れ立って、あの山を目指して歩いたって言ってた」
「へーぇ。そうなんだ」
「私たちくらいの時に、おじいちゃんとおばあちゃんが初めて出会ったのも朝房山だったって聞いたよ。若い人たちにとっては、出会いの場だったみたい」
「えー。それって、万葉集に出てくる嬥歌(かがい)みたいじゃない」
「嬥歌って?」
歌垣(うたがき)とも言って、元々は男女が互いに歌を贈りあうことを言ったそうだけど、筑波山などでは、男女が誘い合って山へ出かけ、まあそのー…」
「まあそのーって、何なのよ?」
「話が長くなるから後は自分で調べてみて。さあ、目的地へ出発!」
 サクヤは何かハグラカサレタ気分だった。しかし、確かにここで時間を費やしている場合ではない。気が付くと田んぼの中の一本道を、前を走るニニギの自転車がどんどん遠くへ小さくなっていった。サクヤも追いつこうと必死でペダルを踏んだ。
 大足の集落を過ぎ畑の多い道に入ると、右横にこんもりとした丘が見えた。そばに寄ると「船塚古墳」と表示がなされていた。これも相当大きな古墳である。この前見た二所神社の古墳の大きさにも匹敵しそうである。ウエブで検索すると、この地域では二番目の大きさだそうだ。その先にも円墳が見える。
 さらに行くと、牛伏(うしぶし)の集落へ入った。集落の北のはずれの丘の上に巨大な前方後円墳が出現した。作られた当時の姿を見事に復元した堂々たる姿の後期古墳だ。周濠を持つ二段造りで、芝を貼ったり小石を葺いたりしている。発掘された埴輪のかけらから再現されたものなのか多くの形象埴輪や円筒埴輪のレプリカまで整然と配置されている。円墳上からの景色は見晴らしがよく、被葬者が子孫たちの行く末を見守るのにふさわしい場所だ。遠くに茨城県庁の高層ビルまで眺められる。
 この古墳は、「くれふしの里古墳公園」の入口を入った正面にあった。正式には、牛伏4号墳というそうだ。この地域には、国道50号線より北だけで何と大小合わせ約200基の古墳があり、この狭い公園内だけで16基が集中しているという。古墳の形体や副葬品などから、西から東へと扇を広げるように約200年間に渡って作り続けられてきたことが分かっている。
 西端にある最も古い形式のものは、前方部が発達していない典型的な前期古墳である。そのほか、帆立貝式古墳や円墳など様々な形の古墳を目にすることができる。古墳好きのニニギには、たまらない場所だ。
 最後に見た古墳は、神社のちょうど裏手にあった。この古墳は、東端にあることから、最後に作られた古墳だと考えられている。
 サクヤが言った。
「この神社の祭神が気になるの。十二所神社と言うのだけれど、祭神は建磐竜(タケイワタツ)とスクナヒコナ、そしてオオクニヌシなの。
タケイワタツはカムヤイミミの子とされオオ氏と同族なのね。そこに出雲の神々と一緒に祀られているのがどうにも腑に落ちない」
「確かに。何か事情がありそうだね」
 そこを後にして、さらに北へ進んだ田んぼの遙か上に堤防らしき芝の土手が見えた。
 自転車を降り、坂道を押し上げると、堤の先にたっぷりと緑色の水をたたえた大きな池があった。奥行きが深く突き当りの森の奥の方角には朝房山があるはずである。おそらく山からの伏流水がこの池を作っているのだろう。釣りをしている人に池の名を聞くと「三野輪池(みのわいけ)」だそうだ。なんと大和の三輪山を思い起こさせる名だと二人は思った。そこからすぐの所の森かげに谷津町の立野神社があった。
 サクヤは言った。
「神社の縁起を調べたら、祭神は級長津彦(シナツヒコ)級長津姫(シナツヒメ)で、どちらも風の神。タタラ吹き製鉄で使うフイゴとの関係を指摘する研究者もいるそうよ。もとは、大足・牛伏など七か村の総鎮守で、立野の「立」は、マムシを昔はタチバミと呼んだことから蛇と関係した社であると言われているの。それと、ここの谷津(やつ)という地名も蛇と関係していると言うのね。
おじいちゃんの話だと、この神社の周辺では、50年ほど前まで山砂鉄の採掘が盛んに行われ、ダンプカーでどんどん内原駅まで運んでいたと聞いたわ。それから、採掘場の土手に黒く光る太い砂鉄の帯があるのを見たって言ってた」
 するとニニギが言った。
「そうすると、三野輪池も砂鉄の採掘跡の可能性あるよね。堤の堰を開けて、池底にたまった泥水を滝のように下の田んぼへ流し、そこで砂鉄を分別したとは考えられないかな。製鉄の歴史を調べていたら、山砂鉄の採取にそういう方法があるって本に書かれていたよ」
「なるほどねー」
 すると、二人の足元を太く長い大きな蛇が横切った。
 サクヤはキャーと悲鳴を上げ、思わずニニギに抱き着いた。
 サクヤは、我に返って慌ててニニギの胸元から離れた。
「ゴメン」
 二人とも気恥ずかしくなって下を向いてしまった。
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