第13話 縁(えにし)をつなぐ山

文字数 3,055文字

 神社の南下を流れる川を源流へとたどるコースを選んだ。
 確かに右手の神社の土手も険しく容易には登れない。そこを過ぎ神社の北側の切通からくる道を横切り、川に沿って上流を目指した。やがて、川沿いの田は段々の棚田となって終には谷津田になっていった。谷津田の奥には、たっぷりと水をたたえた池があった。田植えの季節には、ここの堰が開けられ木葉下の水田を下へ下へと潤していくのだろう。ここは、前沢川の源流にあたり、下流で藤井川と合流し那珂川へと流れていく。
沢に沿って細い登山道をしばらく行くと、ついに高く伸びた雑草で道が消えた。
 サクヤは心細げに言った。
「山にたどり着けるのかなー?」
「そんなに深い山ではないから大丈夫」
 ニニギはそう言って励ました。
 バラ科の植物が容赦なく衣類に絡み付き、チクチクとトゲを刺してくる。
 ニニギが先頭に立ってそれらを払いのけると、さらに伸びきったススキの葉が鋭い刃を向け行く手を阻む。
 そうこうしながらなんとか雑木が茂る峰にたどり着いた。
 ニニギは言った。
「ここは、おそらく小朝房(こあさぼう)と呼ばれる山の頂だ。金谷から見えた前方後円墳のような眺めからすると、右手にあった小高い丘だね。つまり、前方部。今は、ここが水戸市の最高点になっているらしいよ」
 サクヤは、安心したのか少し表情を崩した。一見登山の装備をしなくても済みそうな山だが、コースによっては厳しい。登山靴や草木を払う鎌も必要だ。
 ニニギのナビで道なき道を後円部目指して歩いた。すると、はっきりとした道に出た。
 正面を見ると杉の樹木がこんもりと茂る森が見える。そちらを目指して歩いた。やがて、別の尾根からきている道とぶつかり、右手に折れてしばらく歩くと鳥居の前に出た。
 鳥居に一礼し、そこをくぐって後円部の頂を目指し登り始めた。
 樹木の間の細く険しい登山道を、天辺に向かってほぼ一直線に進んだ。時には這うように背をかがませ、息を切らしながら歩かなければならなかった。
 小休止を繰り返し足元を滑らせないよう慎重に歩みを進め、やっと登り切った。
 二人は頂上にたどり着くと、広がった芝生の上にへたり込み、並んで大の字に仰向けになった。
 澄んだ大空が目の前にあった。
「疲れたけど、気持ちいね」
 そう、サクヤはニニギに語り掛けた。そして、そのままの姿勢でしばらく目を閉じた。
「ニニギ君…、ニニギ君」
 何の返答も無かった。サクヤは半身を起こしニニギを見た。寝息を立てて眠っていた。
「ハヤ、いつもよく眠れるねー」
 サクヤはあきれ顔でニニギの顔を覗き込んだ。すると、祖母の言葉が頭によみがえった。
〈いつかサクヤを幸せにしてくれる人だから大切にするんだよ〉
 サクヤの胸に、急にいとおしさがこみ上げ、ニニギの頬に口元をそっと近づけた。
 すると、下から山を登ってくる人の声が聞こえた。慌ててニニギから離れた。
ニニギもそれに気付いて目を覚まし、辺りをキョロキョロ見回した。
 二人は立ち上がり、頂上の三角点のそばにある小さな祠の前に進み出て、柏手を打ち祈った。
サクヤは、おじいちゃんと、おばあちゃんと同じように幸せになれますようにと…。
 サクヤは、ニニギに聞いた。
「何、お祈りしたの?」
「何って、きっとサクヤと同じだよ」
 地上の景色は周囲の樹木でほとんど見えなかった。しかし、サクヤは嬉しかった。ニニギの心の中が垣間見えたような、そんな気がした。
 作ってもらったお握りを食べ、さっそく下山した。ルートは、他の登山者から安全なルートを聞いて尾根伝いの道を選んだ。
 鎌倉坂を下る途中で、ケンタへ電話をかけセンター前まで迎えに来てもらった。そして、丁重にケンタとその奥さんに礼を言い、自転車で帰途についた。
 ところが、先ほどまでの青空が打って変わって黒雲に覆われ始めた。そして、雷鳴がとどろき小粒の雨も降り始めた。
 ニニギが自転車を止めサクヤに声を掛けた。
「この道を左へ曲がろう。鉱泉宿があるはずだ。とりあえずそこで雨宿りしよう」
 サクヤは頷くとニニギの自転車の後に続いた。
 なんとか、大雨になる前に宿に着くことが出来た。
 そこの軒先にいると、一人の老婆が戸を開けて顔を出し、手招きした。
「そこでは、濡れるから中にお入りなさい」
 その言葉に甘えて中へ入れてもらった。
 広間に通されお茶まで出してくれた。
「そうかい、朝房山へ登って来たのかい。懐かしいね。山は近いけど、もう何十年も行ってないよ。若い頃は、今のようには娯楽が無い時代だったから、年に一度の山詣は楽しみでねー。みんなで出かけたものさ。出店も出てそりゃー賑やかだった」
 すると、老婆はニニギの腕の大きめのサポーターに気付いた。
「どうしたんだい、その腕は?」
「サッカーの試合で怪我して、それがなかなか良くならないんです」
「そうかい。そりゃあ大変だね。でも心配はいらないよ。ここのお湯は怪我によく効くことで昔から有名なんだ。何しろ、ここの鉱泉は、八幡太郎義家様が奥州征伐の折にこの地を訪れて、水を求めて地面に矢を指したら、そこから泉が湧きだしたというから、それは霊験あら高な湯なんだ。日蓮上人も怪我を癒しに、はるばるこの湯へ参られたそうだ。折角だから入っていきなさい」
「でも、お金が?」
「そんなのいいよ。朝房山の竜神様の御縁で来られたのだから。娘さんも入っていきなさい」
「ありがとうございます」
 二人は礼を言った。
 ニニギは、紺の暖簾をくぐり、サクヤは赤の暖簾をくぐり、浴場へと入っていった。
 サクヤは、脱衣場から風呂へと進み、天井から吊るされた薄暗い小さな電球が一つ燈る浴槽へと入った。
 すると、人の気配を感じた。
 なんと、そこにはニニギがいた。驚いたが、声を発するわけにもいかず静かに体を湯舟へ沈めた。
 ニニギが言った。
「これも、竜神様の御縁かな」
 サクヤは黙っていた。
 そして、湯気の向こうのニニギに向かって言った。
「どうして、こういう事になっているのよ。こちらに寄ってこないでね」
 すると、ニニギは言葉を返した。
「お願いだから、こちらに寄ってこないで」
 サクヤは、同じ言葉を返されムッとした。もしかして、頬にキスしようとしたのを知られたのではと思った。
 ニニギが先に風呂を出た。脱衣場から人の気配が無くなるのを待って自分も上がった。
 広間に戻ると、外が明るくなってきていた。老婆が西の方の空を眺めて言った。
「竜神様も、ご機嫌んを直されたかな…。朝房山辺りは、雷が生まれる場所として知られているんだ。だから、この辺では水をもたらす神の山としてあがめられ、ある時は洪水をもたらす神としても恐れられてきたのね。
この山向こうに三野輪池という溜池があるの知ってる?そこが、私が娘の頃に大雨で決壊してね、下流一体は水浸し、大変な騒ぎだったよ。水が、常磐線の盛り土の所で、やっと止まったんだ」
 それを聞いたサクヤは、数日前に自分が見た夢の事を思い出した。
「そうか、あの夢はダイダラボウが山を動かそうとするのを、皆で止めようとしていたんだ。山を持ち上げた時、竜神が怒ったんだ」そう呟いた。
 それを耳にしたニニギは言った。
「サクヤの夢の話は知らないけど、山が動いて、目出度し目出度しの話では終わらなかったよね?」
 サクヤは、「確かに」とうなずいた。
 ニニギは続けた。
「オオ氏が、この地域に進出して来たとして、竜神を信仰して元々この地に平和に暮らしてきた人たちはどうしたんだろうね…」
 すると窓の向こう側の丘に、大きな虹がかかった。





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