第16話 蛇神伝説とタタラ製鉄

文字数 2,290文字

 水戸で過ごす最終日、サクヤはこの前ニニギと行った内原図書館へと自転車を走らせた。
 図書館の隣りに「水戸市内原郷土史義勇軍資料館」があった。この前来た時には気付かないでいた。ちょっと覗いてみる。
 義勇軍とは、正確には満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍のことで、終戦までは中国への開拓移住を志願した全国の青少年たちがここにあった訓練所に集められ、3か月ほど訓練を受け中国満州へと渡ったという。当時のソビエトとの国境付近に開拓団の村が多く築かれ、軍事的にも最前線の防衛を担うこととなった。最後には、ソビエトの侵攻と日本の敗戦により行き場を失い、現地で多くの尊い命が失われた。その頃の様々な展示がなされている。
 サクヤは、自分と同年代の少年たちが、笑顔で訓練に励む写真の前で立ち止まった。この子達のその後に訪れた過酷で不幸な運命に思いを巡らすといたたまれなかった。
 それから、中原の古墳から出土した立派な鉄剣や、杉崎の古墳で発掘された顔に赤い眼鏡を掛けたような化粧をしたシャーマン風の埴輪、高貴な人が使ったと思われる美しいデザインの石枕などの展示もあった。
 そのあと、図書館で郷土資料などに目を通した。
 そして、この辺の神社や祭神についても調べてみた。
 すると、あの三野輪池から水が流れ落ちて行った先の桜川沿い左手の田島町に手子后(てごさき)神社があるのが気になった。ここの祭神は手名椎(テナヅチ)で、ヤマタノオロチからスサノオが助けたクシナダヒメの母に当たる。つまり出雲の神である。ヤマタノオロチの伝説が、かつてタタラ製鉄で栄えた奥出雲を源流とする斐伊(ひい)川の形状を物語ったものとも言われていることから、やはりここでも砂鉄やタタラと関係があるのではと気になった。
 また、中原町に八幡神社があったが、隣接する杉崎町(すぎさきちょう)にも八幡神社がある。この付近では鉄滓が見つかっている。近くに武具池があり、元々は三野輪池と同様に砂鉄の採掘跡だったような気がする。
 八幡信仰が初めて日本に伝わったことを示す縁起が、九州鹿児島の大隅八幡宮にあることも分かった。中国の陳大王の娘である大比留女(おおひるめ)は、七歳にして夫なく妊った。父母が怪しみ問うと、「夢に朝日胸を光らして覆ひ(はら)めり」と答えたので、驚いて誕生の王子もろとも空船に乗せて流したところ、大隅の八幡崎に漂着したという。これも神婚説話であろう。
 東国では、八幡神社については、平安時代に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)にて元服し八幡太郎を称した源義家が奥州征伐のさい立ち寄った場所などとして、神社の縁起に記されることが多いが、そのルーツは、もっと昔の事のようである。
 そして、黒磯町の加茂神社と鯉淵町の諏訪神社の祭神について調べると、更に驚くべきことが分かった。

<資料9:サクヤが作成>加茂神社と関係する神婚説話
京都の賀茂別雷(カモワケイカズチ)神社の伝承にタマヨリヒメが川を下って来た丹塗矢(オオヤマクイ)との間に子(カモワケイカズチ)を産む神婚説話がある。さらに子は、父と会うため雷となって天に上るのである。つまり、雷神(竜神)であった。そして、クレフシ山の伝承でも蛇神は天に上ろうとしたのである。この関係がとても気になる。

<資料10:サクヤが作成>諏訪神社と関係する神婚説話
高志国(越後)で大国主が求婚した沼河比売(ヌナカワヒメ、ヌカビメとも読む)との関りに注目している。この間に建御名方(タケミナカタ)が生まれたとされる。母のヌナカワヒメは新潟県糸魚川で産するヒスイ玉の祭祀者であった。
タケミナカタは、大国主の国譲りに反対して、天津神(天照)の使い武甕槌(タケミカズチ)と最後まで戦った諏訪の神である。天竜川源流の諏訪湖が凍結して表れる大蛇が通過したような御神渡(おみわた)り、長崎の諏訪神社で行われる長崎くんちの(じゃ)踊りにその正体を偲ぶことが出来る。

サクヤは、調べ上げたこれらのことをニニギへメールし、資料9と10は添付ファイルで送った。

<ニニギからのメール>
やっぱり、古事記の視点で見るとクレフシ山の蛇神の父親は、三輪山のオオモノヌシじゃ無いね。賀茂別雷神社のカモワケイカズチの父親は、スサノオの子オオヤマクイだし、諏訪神社のタケミナカタの父親はオオクニヌシだ。つまり、いずれも出雲系だ。そして、タケミナカタの母親が、ヌナカワヒメで、ヌカビメとも読むというのは大変な発見だよ。それも、雷神や竜神を産む話であることも興味深いね。鉱泉宿のお婆さんの話を思い出すよ。蛇神伝説の謎解きに一歩近付けた気がする。
さて、タタラ製鉄について調べた結果を添付ファイルで送るね。サクヤが帰ってくるのを楽しみにしているよ。それじゃあまたね。

<資料11:ニニギが作成>蛇神伝説とタタラ吹き製鉄の関りについて(研究者の説)
オオ氏は、タタラ吹き製鉄を得意とする一族であったと言われている。しかし、その技術は、元々は出雲氏によるものであった。
研究者によれば、伝説に登場する蛇の成長過程は、出雲系タタラ吹きによる玉鋼(たまはがね)の製造過程と一致するという。つまり、原料である砂鉄が刀剣などの鉄製品の材料(玉鋼)へと成長するまで3日3晩かかるという。そして、(けら)という動物でいえば子宮のようなものから赤く溶けた不純物である鉄滓(ノロ)が釜の小さな穴を抜けて流れ出る姿は、まるで蛇がヒュルヒュルと蛇行するかに見える。そして4日目の朝に釜を壊し、炉床に残された鉧を取出し、それを割ると、中からキラキラと輝く玉鋼が現れる。
この玉鋼は、熱を帯びれば柔軟で粘着性があり、冷えれば強靭(きょうじん)で錆びにくい。そして、世界に誇る美しい日本刀などに生まれ変わる。
伝説のヌカビコ・ヌカビメのヌカは糠で砂鉄を、蛇は生鉄を意味するという。
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