第5話 那珂川中流域の神々
文字数 3,966文字
翌朝、ニニギは6時に目覚めた。気が付くとサクヤの祖母が枕元に立ってニニギの顔をしげしげと眺めていた。それは見慣れた大きな目で、サクヤの50年後の顔だった。
「ニニギ君は、なかなかの美男子だね。高校でも人気者でしょう?」
「いやいや、それほどでも」
「サクヤとは、どうゆう仲なの?」
あまりにストレートな質問に、ニニギはどぎまぎした。
「ただのクラスメートです。でも、夏休みの宿題で朝房山のことを共同で研究することになったんです。今回は大変お世話になります」
「そうかい…、朝房山のことを調べるんだ。私の実家は、すぐ山の麓の木葉下町 という所なんだ。嫁いできた頃は、よく辛いことがあると、家の後ろの神社へ行って、そこから山を眺めたもんさ。実家にはまだ両親や兄弟もいたからね」
そう言うと、祖母は北側の窓を開け、山を指さした。
その背中を見てニニギは思った。この山には、暮らす人々の様々な思いが宿っているのだと。
「よかったら、実家の甥っ子に山や周辺を案内してくれるよう電話で頼んであげようかい。ちょっと変わった男だけど、この辺のことについては色々と詳しいから、何か役に立つことがあるかも知れないね」
「それ、ぜひお願いします。事前研究はしてきたけど、現地に立って分かることが沢山あるでしょうから」
気が付くと、部屋の扉の柱にサクヤが寄りかかって、この話を聞いていた。
「朝食の準備できたから、母屋 に降りてきて。その話だけど、今日はお父さんがあちこち案内したいと張り切っているから、お父さんとも相談して決めようよ」
「そうだね。あと3日しかここに居られないから、計画的に歩かないとね」
「その通りだよ。大洗で大笑いしている場合じゃないもんねぇ」
「いや、そこはぜひ行きたい。今年になって、大洗町の磯浜 古墳群が国の史跡に指定されたよね。この辺とも、どうやら関係がありそうなんだ」
「そうなの。初耳だけど。まあ、お父さんとも相談してみるね」
朝食の後、3人で今日の予定を相談した。
ニニギは言った。
「この前サクヤが調べた中に、那珂川を下って出雲氏がこの地に入ってきたり、その後オオ氏も那珂川方面に拠点を置いた話、していたよね。関係する神社や遺跡とか行ってみるのはどう?」
「それ、賛成。お父さん、ちょっと遠出になるけど大丈夫?」
「まかしといて。つまり、那珂川沿いを大洗まで下ればいいわけね?」
すると、ニニギは学習ノートと地図帳を持ち出した。
「阿波山上神社 →藤内神社 →大井神社 →愛宕山神社→磯浜古墳群→大洗磯前神社 →酒列磯前神社 →虎塚 古墳
このコースでは、どうでしょうね?」
「随分、強行軍だね。行ったことのない場所もあるけど」
「ナビは僕に任せて下さい」
そう、自信ありげに言った。そして、家を九時に出発した。朝房山を西北に眺めながら北へと進んだ。途中、木葉下町という信号表示に気付いた。前方の森の壁が視界をさえぎる。ここがサクヤの祖母の実家がある所かと思った。山中を進み、さらに小勝 という場所から東へ進んだ。やがて、大山と言う所から那珂川に沿って走る国道123号線に出た。
水戸方面へ南に下ると間もなく左手に城里町 の阿波山上神社がある。早速、車を降り参詣した。縁起に、出雲の大国主 と共に国造りをしたという少彦名 がここの大杉に降臨したという。そして、この地に粟を伝えたという。スクナヒコナは、粟茎 に弾かれ常世の国へ飛ばされたという極めて小柄な神であったという。
この縁起を見て父親が言った。
「粟を伝えたというけど。もしかして、米を伝えた可能性もあるよね。木葉下の従弟から、米の原産地とされる中国南部に近いベトナムでは昔、籾を粟と書いた話を聞いたことがあるよ」
サクヤは言った。
「那珂川は、昔は粟川と言ったそうよ。いずれにしても、農業を伝えたということかな。そうなると、弥生時代のこと?
粟や信仰が栃木県の那須温泉神社から那珂川を下り水戸方面へ、さらに大洗方面へと広まったと考える研究者が多いみたいよ。また、スクナヒコナは温泉や医薬とも関係している神だと聞いたことがあるわ」
そう、自慢げに話した。サクヤは、日本の神々や神社には特に詳しい。ネットに、神社に関するページを立ち上げている程、マニアックなのだ。
次に向かったのは、水戸市藤井町の藤内神社。ちょうど、朝房山方面から流れてくる藤井川に面している。ここの縁起には、経津主 の神山と言われる朝望山に霊光が輝き、それがこの地に降り立ったという。そこで人々はここに社を築いたという。
ニニギは言った。
「朝房山が、朝望山になっているよ。不思議だね。フツヌシって香取神宮に祀られている神と同じだよね?」
サクヤは答えた。
「その通り。フツヌシは、物部氏が信仰した神とも言われ、氏神とした大和の石上神宮 はよく知られているわ。石上神宮は大和朝廷方の兵庫 とも言われ、物部氏は大伴氏と共に軍事を担った氏族と言われているの」
「そうなると、この藤内神社は、この地に遠征してきた物部氏の一族が建てたことも考えられるよね」
「そうね。しかし、物部氏は、この地方ではオオ氏を支援したのではないかと思っているの。なぜなら、この地はオオ氏が初代国造という長官になっているのよ。それでは、つぎ行くね」
ニニギは辺りをしきりに見回しながら言った。
「しかし、朝房山がどこにも見えないのだけれど」
すると、父親は言った。
「ここからだと、手前の山が邪魔して確かに見えないね。那珂川を東へ渡るとよく見えたかな。そこは、那珂市になるけど」
ニニギはうなずき言葉を返した。
「と言うことは、川向こうの人たちが、ここに光が降りるのを見て社を建てたことになるよね」
ニニギは地図帳を取出し、そちら方面を確認した。そこには、戸 ・飯田・福田などの地名がある。
さらに、ニニギは言葉をつづけた。
「朝房山は、ある意味、朝日を望める場所でもあるね」
そこから更に那珂川沿いを車で十分ほど下ると、飯富町の大井神社の鳥居の前に出た。その前の駐車場に車を止め縁起を読んだ。オオ氏を率いてこの地にやってきた初代那賀国の国造、建借馬 と木花開耶姫 を祭神としていることが記されていた。タケカシマは、神武天皇の二男、神八井耳 の子孫とされているから大和系の神である。
「えっ、サクヤと同じ名前?」
そう、ニニギは声を上げた。
父親が言った。
「知ってか知らずか、ばあちゃんが名前を付けてくれたんだ。ご縁がありそうだからしっかりお参りしなさい」
サクヤは、早速、携帯のブラウザで、どういう神か調べてみた。
「えっ?」
「どうしたサクヤ?」
「いや、なんでもない」
ニニギは、きょとんとした顔で、頬を赤らめるサクヤを見た。どうやら、二人は前世で夫婦だったようなのだ。サクヤは、木花家では咲耶や開耶、桜を名前に付けた女性が何人かいたことは祖母から聞いていた。祖母は、ちゃんと知っていたのだ。
「これって、運命の出会い?」そうサクヤは、心の中で呟いた。
長い階段を上ってやっと社殿の前にたどり着いた。そこで、しっかりお祈りした。タケカシマを祀った神社は、ここの他にはどこにも無いという。このことが、この地にかつてオオ氏が本拠地を置いたであろうことの根拠になっているらしい。そして、この神社が建っている辺りを昔は大部 《おおぶ》と呼んだ。
ニニギは言った。
「タケカシマっていつの頃の人なのかな?」
「成務天皇 が初代の国造を任命しているのだから、4世紀頃の人だと思うよ」
サクヤは、自信たっぷりに答えた。事前に調べていたのだ。
ニニギは階段を下りながらサクヤにつぶやいた。
「この神社は、真東を向いて立っているけど、真西に朝房山があるはずなんだけれど…」
サクヤは足を止めケイタイの自分の位置情報を見た。それをずっと西にずらすと確かに朝房山があった。
「なぜ分かったの?」
「僕の頭のナビには朝房山の位置情報がセットされているんだ」
サクヤは、言葉を返した。
「そうなると、夏至には、ここの正面から上った太陽は朝房山方面へ暮れてくことになるよね。
そうか…。昔から、朝房山が常陸国風土記に出てくる伝説にあるクレフシ山だと言われているの。何かその意味が分かった気がする」
さらに、下流方面へ向かうと、安戸星古墳 跡がある。前方後方墳という珍しい形態の古墳で、五領式土師器 と呼ばれる古墳時代前期の土器が周濠部から出土したことから3世紀頃の市内最古の古墳とされている。ちょっと車を止め景色を眺めてみた。残念なことに保存がなされず公園や駐車場となってしまっている。この古墳の形態は出雲地方に多く、上流の那須地方でも複数見られることから、早い時期に出雲氏が上流からこの地に進出したとされる二つ目の根拠になっているらしい。
そこから、水戸市街のある台地へと上りきると、渡里町 に古代の郡役所である那賀郡衙 があったとされる場所がある。国造は、大化の改新(645年)の後は廃止され、その後は土地の最有力者が郡司となり地方行政官として郡衙にて政治を司った。そこで、タケカシマの子孫であったオオ氏一族が那賀郡の郡司を務めたであろうと言われている。コンビニの駐車場に車を止め、隣にある台渡里 八幡神社の前に立った。
ニニギは足元を見て驚いた。
「これ、布目瓦 じゃない?」
確かに布目の付いた瓦や須恵器の破片が複数確認できる。ここは、奈良時代頃に創建された仲寺の塔跡だそうだ。発掘によって、東隣りに金堂、さらに北側には郡の政庁や租などの年貢を収納した正倉跡も確認されているという。
コンビニで昼食をそれぞれ購入し、車の中で食べた。予定してない場所にも、欲張ってついつい寄り道してしまった。二人には、今日中に見たい場所がある。時間をもっと有効に使いたい。そう思うのであった。
「ニニギ君は、なかなかの美男子だね。高校でも人気者でしょう?」
「いやいや、それほどでも」
「サクヤとは、どうゆう仲なの?」
あまりにストレートな質問に、ニニギはどぎまぎした。
「ただのクラスメートです。でも、夏休みの宿題で朝房山のことを共同で研究することになったんです。今回は大変お世話になります」
「そうかい…、朝房山のことを調べるんだ。私の実家は、すぐ山の麓の
そう言うと、祖母は北側の窓を開け、山を指さした。
その背中を見てニニギは思った。この山には、暮らす人々の様々な思いが宿っているのだと。
「よかったら、実家の甥っ子に山や周辺を案内してくれるよう電話で頼んであげようかい。ちょっと変わった男だけど、この辺のことについては色々と詳しいから、何か役に立つことがあるかも知れないね」
「それ、ぜひお願いします。事前研究はしてきたけど、現地に立って分かることが沢山あるでしょうから」
気が付くと、部屋の扉の柱にサクヤが寄りかかって、この話を聞いていた。
「朝食の準備できたから、
「そうだね。あと3日しかここに居られないから、計画的に歩かないとね」
「その通りだよ。大洗で大笑いしている場合じゃないもんねぇ」
「いや、そこはぜひ行きたい。今年になって、大洗町の
「そうなの。初耳だけど。まあ、お父さんとも相談してみるね」
朝食の後、3人で今日の予定を相談した。
ニニギは言った。
「この前サクヤが調べた中に、那珂川を下って出雲氏がこの地に入ってきたり、その後オオ氏も那珂川方面に拠点を置いた話、していたよね。関係する神社や遺跡とか行ってみるのはどう?」
「それ、賛成。お父さん、ちょっと遠出になるけど大丈夫?」
「まかしといて。つまり、那珂川沿いを大洗まで下ればいいわけね?」
すると、ニニギは学習ノートと地図帳を持ち出した。
「
このコースでは、どうでしょうね?」
「随分、強行軍だね。行ったことのない場所もあるけど」
「ナビは僕に任せて下さい」
そう、自信ありげに言った。そして、家を九時に出発した。朝房山を西北に眺めながら北へと進んだ。途中、木葉下町という信号表示に気付いた。前方の森の壁が視界をさえぎる。ここがサクヤの祖母の実家がある所かと思った。山中を進み、さらに
水戸方面へ南に下ると間もなく左手に
この縁起を見て父親が言った。
「粟を伝えたというけど。もしかして、米を伝えた可能性もあるよね。木葉下の従弟から、米の原産地とされる中国南部に近いベトナムでは昔、籾を粟と書いた話を聞いたことがあるよ」
サクヤは言った。
「那珂川は、昔は粟川と言ったそうよ。いずれにしても、農業を伝えたということかな。そうなると、弥生時代のこと?
粟や信仰が栃木県の那須温泉神社から那珂川を下り水戸方面へ、さらに大洗方面へと広まったと考える研究者が多いみたいよ。また、スクナヒコナは温泉や医薬とも関係している神だと聞いたことがあるわ」
そう、自慢げに話した。サクヤは、日本の神々や神社には特に詳しい。ネットに、神社に関するページを立ち上げている程、マニアックなのだ。
次に向かったのは、水戸市藤井町の藤内神社。ちょうど、朝房山方面から流れてくる藤井川に面している。ここの縁起には、
ニニギは言った。
「朝房山が、朝望山になっているよ。不思議だね。フツヌシって香取神宮に祀られている神と同じだよね?」
サクヤは答えた。
「その通り。フツヌシは、物部氏が信仰した神とも言われ、氏神とした大和の
「そうなると、この藤内神社は、この地に遠征してきた物部氏の一族が建てたことも考えられるよね」
「そうね。しかし、物部氏は、この地方ではオオ氏を支援したのではないかと思っているの。なぜなら、この地はオオ氏が初代国造という長官になっているのよ。それでは、つぎ行くね」
ニニギは辺りをしきりに見回しながら言った。
「しかし、朝房山がどこにも見えないのだけれど」
すると、父親は言った。
「ここからだと、手前の山が邪魔して確かに見えないね。那珂川を東へ渡るとよく見えたかな。そこは、那珂市になるけど」
ニニギはうなずき言葉を返した。
「と言うことは、川向こうの人たちが、ここに光が降りるのを見て社を建てたことになるよね」
ニニギは地図帳を取出し、そちら方面を確認した。そこには、
さらに、ニニギは言葉をつづけた。
「朝房山は、ある意味、朝日を望める場所でもあるね」
そこから更に那珂川沿いを車で十分ほど下ると、飯富町の大井神社の鳥居の前に出た。その前の駐車場に車を止め縁起を読んだ。オオ氏を率いてこの地にやってきた初代那賀国の国造、
「えっ、サクヤと同じ名前?」
そう、ニニギは声を上げた。
父親が言った。
「知ってか知らずか、ばあちゃんが名前を付けてくれたんだ。ご縁がありそうだからしっかりお参りしなさい」
サクヤは、早速、携帯のブラウザで、どういう神か調べてみた。
「えっ?」
「どうしたサクヤ?」
「いや、なんでもない」
ニニギは、きょとんとした顔で、頬を赤らめるサクヤを見た。どうやら、二人は前世で夫婦だったようなのだ。サクヤは、木花家では咲耶や開耶、桜を名前に付けた女性が何人かいたことは祖母から聞いていた。祖母は、ちゃんと知っていたのだ。
「これって、運命の出会い?」そうサクヤは、心の中で呟いた。
長い階段を上ってやっと社殿の前にたどり着いた。そこで、しっかりお祈りした。タケカシマを祀った神社は、ここの他にはどこにも無いという。このことが、この地にかつてオオ氏が本拠地を置いたであろうことの根拠になっているらしい。そして、この神社が建っている辺りを昔は大部 《おおぶ》と呼んだ。
ニニギは言った。
「タケカシマっていつの頃の人なのかな?」
「
サクヤは、自信たっぷりに答えた。事前に調べていたのだ。
ニニギは階段を下りながらサクヤにつぶやいた。
「この神社は、真東を向いて立っているけど、真西に朝房山があるはずなんだけれど…」
サクヤは足を止めケイタイの自分の位置情報を見た。それをずっと西にずらすと確かに朝房山があった。
「なぜ分かったの?」
「僕の頭のナビには朝房山の位置情報がセットされているんだ」
サクヤは、言葉を返した。
「そうなると、夏至には、ここの正面から上った太陽は朝房山方面へ暮れてくことになるよね。
そうか…。昔から、朝房山が常陸国風土記に出てくる伝説にあるクレフシ山だと言われているの。何かその意味が分かった気がする」
さらに、下流方面へ向かうと、
そこから、水戸市街のある台地へと上りきると、
ニニギは足元を見て驚いた。
「これ、
確かに布目の付いた瓦や須恵器の破片が複数確認できる。ここは、奈良時代頃に創建された仲寺の塔跡だそうだ。発掘によって、東隣りに金堂、さらに北側には郡の政庁や租などの年貢を収納した正倉跡も確認されているという。
コンビニで昼食をそれぞれ購入し、車の中で食べた。予定してない場所にも、欲張ってついつい寄り道してしまった。二人には、今日中に見たい場所がある。時間をもっと有効に使いたい。そう思うのであった。