第6話 那珂川下流域の神々

文字数 3,173文字

 さらに、市街地を進み那珂川べりの台地上の住宅街のど真ん中に大きな森を見つけた。なんと巨大な前方後円墳だ。ここの後円部に鎮座するのは火の神カグツチを祀る愛宕神社である。一周するのに5分ほどかかっただろうか。その規模は、県内の古墳の中で三番目の大きさを誇る。そして、これがタケカシマの墳墓であると語り継がれてきたという。確かに国造の墓にふさわしい。しかし、タケカシマは4世紀頃の人、この古墳は規模からして5・6世紀のものだろうから、後世にここにオオ氏一族の国造後継者らと共に改葬された可能性もある。周囲の計測調査は行われてはいるものの神社であることから本格的な発掘調査は行われていない。それでも国指定の史跡となっている。
 更にずっと下流方面へと下った。途中から大洗ヘと南に進路を変えた。市街地から田園風景へと変わり、その中のコンクリートの高架橋上を鹿島臨海鉄道が走っている。正面方向の右手の丘に白い巨大なモニュメントが見えてきた。
「あれ、何?すごいよ、巨人じゃない?」
 ニニギは、大声を上げ見入った。
 父親が言った。
「あれね、ダイダラボウ公園。正確には大串(おおくし)貝塚ふれあい公園と言うのだけど、水戸市埋蔵文化財センターも入っているよ…。ちょっと寄ってみる?」
 3人は、ダイダラボウの周りをぐるりと廻った。ここは貝塚の上に築かれた丘で奈良時代の『常陸国風土記』に、大男が丘から浜辺まで手を伸ばし貝をすくって食べていたが、やがて貝殻が積りこの丘になったという。貝塚について文献に残る記録としては、世界最古のものと言われている。この丘の下の崖には、その貝塚の地層が直接観察できるようガラス窓のある小さなコンクリート製の施設が設けられていた。
 ニニギは呟いた。
「ダイダラボウの話って、やっぱ国造りの話だよね」
 サクヤは、やっぱり黙っていた。
 それから埋蔵文化財センターへと入った。入場は無料。中に入ると何と金洗沢遺跡の土偶の展示が行われていた。そう、サクヤがすでに調査していたあの土偶である。個人蔵とあるから普段は展示されていないものなのだろう。まさに幸いであった。素朴な作りのデザインの異なる多くの土偶を目にすることが出来た。さらに、前へと進むと内原方面などで発掘された古墳の副葬品や土器類の展示などが続々と続いた。
 ニニギはサクヤに言った。
「ここの展示すごいね。あの内原のショッピングセンター付近のこと、もっと詳しく調べてみる必要あるよね」
「そうね。あーなんか課題多過ぎ。本当に十一月の発表に間に合うかなぁー」
 そうサクヤは、ぼやいた。
「まあ、地道にやって行くしかないね。急がば回れだよ」
「何、のんきなこと言っているのよ」
 すると、父親が口を挟んだ。
「まあ、奥が深い研究になりそうだね」
 何の励ましにもなっていなかった。そのまま、3人は黙り込んだ。
 涸沼川にかかる橋を渡り、ついに大洗町(おおあらいまち)へたどり着いた。
 まずは、磯浜古墳群を目指した。そこは、太平洋を見渡す高台にあった。真下には北海道と結ぶ白い大型フェリーが停泊しているのが見えた。
 ここは、あの東日本大震災の津波の時、町民が非難した場所でもある。国の史跡に指定されたばかりで、古墳の位置を説明する地図や解説を記したチラシも親切に用意されていた。それを勝手に頂いて3人で見て歩いた。周囲に住宅はあるが、人影もない寂しい場所だった。
 ここには、姫塚古墳という前方後方墳があるはずだ。しかし、破損が激しいのか自分たちの目では確認できなかった。なんでも、あの安戸星古墳と同時代のもので規模も同じくらいだという。古墳時代初期のものと出会うのは容易ではない。ここでは、常陸鏡塚古墳と言う手鏡を横たえたような前方部が極端に細長い前方後円墳が、特に目を引いた。この辺りは、諏訪脇という小字の地名で、この辺に元は大洗磯前神社(おおあらいいそざきじんじゃ)があったとされる。
 さて、次に訪れたのは現在の大洗磯前神社であった。
 神磯の鳥居が磯に立ち、絶え間なく波が打ち寄せる。正月に、この鳥居の正面の海原から神々(こうごう)しく初日が立ち昇る姿は特に有名である。そして、巨大な二の鳥居、そこをくぐり抜け丘へと立ち上がる急な長い階段を登りきると太平洋の大海原から神を迎え入れるかのように、大きく立派な社殿が築かれている。
 ここには、出雲のオオクニヌシとスクナヒコナが祀られている。3人並んで神前に進み出て柏手を打ちお参りした。
 ニニギがサクヤに耳打ちした。
「何お願いしたの?」
「言わない」
 そう言って、社殿を後にした。オオクニヌシは、縁結びの神でもあった。
 ニニギは、階段の降り口近くに御当地アニメのキャラクターである少女の等身大の衝立を見つけて、サクヤにスマホを渡し、さっそく撮影を頼んだ。そして、嬉しそうに、キャラクターに寄り添いブイサインを突き出した。
 サクヤは、チーズと声をかけ、思わず首から下を撮影してしまった。
 もう1枚ねと言って、今度は心を悔い改め全身を撮影してあげた。
 サクヤは、何故そういう意地悪な事をしてしまったのか分からなかった。後で、ニニギが写真をチェックしてがっかりする姿を思い浮かべると、急に気持ちが落ち込んだ。
 車に乗り込み今度は、那珂川にかかる朱色の鉄橋、海門橋を渡った。高架橋から右手に太平洋の大海原、左手に西側に開ける壮大な川の流れと南から合流して来る涸沼川がよく望めた。奈良時代頃までこの入り江から先ほどのダイダラボウのあった丘の下まで広大な内海が広がっていたに違いない。ニニギには先ほどまでいた大洗一帯が、出雲氏の故郷、島根半島のイメージとピタリと重なった。まるで、汽水湖である涸沼は宍道湖(しんじこ)、そして神磯の鳥居は稲佐(いなさ)の浜の鳥居のように思えた。
 ひたちなか市に入り、白亜紀の地層が生み出した美しい海岸線を北へと進み、海に面した丘に建つスクナヒコナを祀る酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)をお参りした。参道が椿などの常緑広葉樹に囲まれトンネルと化し不思議な空間を作っている。すぐそばにある川子塚(かごづか)古墳と言う巨大な前方後円墳を見た。そして急くように虎塚古墳へと向かった。
 虎塚古墳は6世紀頃の前方後円墳で、丸や三角の幾何学模様の彩色壁画が発見され話題にもなった。そのデザインが佐賀県鳥栖市の田代太田(たしろおおた)古墳などの壁画と類似していることから北部九州出身であり那賀国造であったオオ氏との関係が注目されてきた。展示室でレプリカの石室を見たが、正面の白壁に朱色のドーナツ状の大きな円が二つ並んで、描かれていた。それが、とても謎めいて見えた。太陽と月を表現しているという研究者もいるが、三人とも、とてもそうとは思えなかった。サクヤには、大きな目に心の中を覗かれているように思えた。その下方には武具などを擬した様な絵が、やはり朱色で描かれている。そして、石室の入り口は被葬者の再生を祈るかのように△を交互に重ねた蛇のウロコに似た模様で縁取られている。
 ニニギは、車に乗り込むと、疲れたのか、間もなく後席で寝息を立てはじめた。
 その隣でサクヤは、ニニギの寝顔を眺めながら心の中で呟いた。
「お疲れ様でした。今日は海水浴できなくて残念だったね。私も残念だったよ」
 その夜は、月がきれいに空に浮かんでいた。ニニギは、余程疲れたらしく、入浴を済ますと、ろくに話もせず早々に離れの部屋に戻って行った。
 サクヤは、縁側に一人座り月を見上げながら泣いていた。
 そこへ、祖母がやってきた。
「一体どうしたんだい?」
「なぜ涙が出るのか自分でもよく分からない」
 そう言うと、祖母はサクヤの隣に座り、そっと肩を抱き寄せた。
「分かってしまったんだね。ニニギ君の事…。私は、名前を聞いてすぐに分かったよ。いつかサクヤを幸せにしてくれる人だから大切にするんだよ」
 サクヤは、祖母の胸にうずくまり小さくうなずいた。
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