第1話 サクヤとニニギ

文字数 2,747文字

「お父さん、夏休みに今年はどこへ連れて行ってくれるの?」
「そうだなー、去年は富士山だったけど、今年は水戸の実家でのんびり過ごすつもりだけど」
「サクヤ、今年もお山に行きたいなー」
「それじゃ、実家近くに不思議な伝説の山があるから登ってみようか?朝房山(あさぼうやま)っていう名前の山なんだけど…」
「不思議な伝説?楽しみ…。夏休みの課題研究のレポートにも使えるかも知れないから事前に調べておくね」
 そのあとスマホで検索すると、茨城県水戸市北西部に接する笠間市(かさまし)側に最高点がある二百一メートルの超低山だが、あまりに多くの情報にあふれ、すっかり虜になってしまった。それも十数年前までずっと水戸市の最高峰だったが、何故か今は笠間市に移ってしまった不思議な山でもある。
「頂上に燈った不思議な光が山麓へと降り立った話。ダイダラボウがこの山を移動させた話。もしかして、また移動させた?
へぇー、山に住む娘が小蛇を産んだ話まであるよ。ちょっと気味悪いけど面白そう」と独り言。
好奇心旺盛なサクヤは、夏休みに入るともっと詳しく知りたいと、通っている高校からほど近い国立国会図書館へ通い詰めた。
 神話や神社に幼いころから興味があったサクヤは夢中で本を読みあさった。いつしか、図書館の外は真っ暗、それも皇居の森が丸の内あたりのビル街の明かりを遮り、東京の空にしては珍しく大きな星がまたたいて見えていた。
 その星に目を凝らしていると、誰かに肩をポンとたたかれ振り返った。
「あら、瓊瓊杵(ニニギ)君じゃない。図書館に来ていたんだぁ。サッカー部はどうしたの?」
「この前の試合で、このざま。全治一か月」
 そう言うと肩から真新しい包帯で支えられた左手を突き出した。日向(ヒュウガ)ニニギは、同じ高校のクラスメートで、幼稚園からの幼馴染でもある。
「災難だったねー。次は高校サッカー選手権の地区大会だった?間に合うの?」
「ダメ。三年生は、この前の試合を最後に、選手権を目指したい生徒だけ練習を続けることになるから、ちょうど引き際だね。これからは大学受験に備えるよ」
「それで、図書館に来ていたわけ?」
 肩を並べて、皇居のお堀端を半蔵門のある方向へと歩いた。サクヤは、夏休みに行く水戸の事や朝房山の話をニニギに聞かせた。
「それって、面白いよ、絶対!俺も水戸に行っていいかな?」
 サクヤは、ちょっと困った顔を見せた。
「お父さんに男の子が来るって言ったら、どう反応するか…。いろいろ詮索されそうで怖いけど」
「いっしょに協力して課題研究をするっていうのはどう?そうそう、共同研究」
「…いいけど…。まあ、とにかく、二週間後は水戸に行っているからメールでもしてくれる。その時のお父さんの反応次第だからね」
「オッケー」
 イギリス大使館の前で別れて、それぞれ家に帰った。
 サクヤは夕飯を済ませ浴室に入ると、束ねた髪の毛が濡れないよう頭をタオルでしっかり包み、熱い湯に首までとっぷりとつかった。そして湯気の向こうに浮かぶ黄色いアヒルに視線を向け、様々思いを巡らす。これが、サクヤのいつもの入浴ルーティーンなのである。
「さて、これまで積み上げてきた情報から研究テーマを検討してみようかな。その前に先ずは疑問点を整理してみた方がいいよね」
 そうアヒルに呟くと、指でつまみ上げ二度鳴かした。
 学習机のある寝室に戻ると、さっそく表紙に「課題研究」と書かれた学習ノートを取出した。そして、これまでスマホや図書館で調べてきた内容、参考にしたウエブページ名・書籍名などを書き連ねたページの後に、自分なりに感じる疑問点を書き出してみた。
1 この朝房山は、地理的・地学的にどういう場所なのか?
2 この山の麓には、どういう人たちが暮らしてきたのか?
3 3つの伝説が、それぞれ意味するところは何なのか?
 そして、神社や古墳などの遺跡が、これらの伝説を解くカギであることも漠然と見えてきた。
「先ずは、その土地を知り、人を知る。それからじゃないと、伝説の意味は見えてこないよね」などとサクヤなりに頭を巡らした。水戸での滞在は一週間、この貴重な時間を出来るだけ神社や遺跡を巡ることに費やせればと考えている。そこから湧いてくる様々な疑問について、自分なりの知識や感性で「こういう事ではないのか」などと仮説を立ててみよう。その上で仮説を証明する根拠となる情報を少しでも多く探し出し論証してみよう。そう思うのだった。
 翌朝、サクヤはニニギに声をかけ、学校のラウンジのテーブル席で、昨晩考えた研究手順を話した。
「サクヤの提案通りで基本的にオッケー。でも、ストイック過ぎない?サクヤらしいけど少しは息抜きも必要だよ。遊び心から良い発想は生まれる」
「それ、誰の言葉?」
「俺の言葉。そういえばアニメの舞台で有名な大洗(おおあらい)海岸近いよね?海水浴にでも行こうよ。そこで大笑いするのもいいかも。笑う門には福来るって言うじゃん」
「何つまらないダジャレ言っているのよ。まったく。水戸へ来なくていいからね」
 その足で地歴を教える大野安郎(オオノヤスロウ)先生を訪ねた。課題研究は、始める前に関連科目の先生に研究テーマや内容・手順を相談する必要があった。そして、これが二人の共同研究であることも伝えた。
「面白そうな研究だね。こうした研究は、郷土史とか地方史とかで扱われる分野なのだけど、せっかくだから地方史研究として取り組むといいよね」
 ニニギは質問した。
「郷土史と地方史ってどう違うんですか?」
「郷土史は、その地域の歴史を顕彰する意味合いが強いかな。地方史は、その地域の歴史が、都道府県の歴史、更には国の歴史や世界史においてどのような位置づけにあるのかまで視野において考察していく学問ということかな」
 サクヤとニニギは、この違いを知って大きくうなずいた。自分たちでも歴史学者になれるような何か視野が広がっていく、そんな感動さえ覚えた。
 更に先生は言葉を続けた。
「二人が手始めにしようとしているその土地やそこに暮らした人々の事を調べることは大変な作業だけど、ベースになる大事なことだからしっかり頑張ってね。それでは、成功を祈る!」
 二人は、背筋を伸ばし「はい」と答えた。
 先生から研究の際の留意点について幾つかアドバイスを受け、そのあと二人は水戸に行く前に調べておかなければならない研究内容を分担することにした。
 ニニギは言った。
「俺、地理とか地学とか好きだから、水戸に行く前に調べておくね。小学生の頃、よく博物館へ鉱物や化石を見に親父に連れて行ってもらっていたんだ」
 ニニギは、水戸へ行く気、満々なのであった。
「あら、ニニギ君って意外と積極的ね。頼もしい。でも、もう一度言うけど水戸に来れるかは、お父さん次第だからね…。それじゃあ私、そこに住んでいた人々の歴史を調べておくね」
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