達人のお坊さんだって笑うんだし

文字数 1,390文字

 自分軸で生きることの大切さが改めて口にされている。それはその通りだと思うし、本当にめっちゃ大事なことなのだが、どうもこれはそんなに簡単なことでもなさそうだ。
 どだい、人間というのは群れの動物なのである。たった独り、まるで誰の手も借りずに生きるようにはできていない。一人で生きているように見えても、誰も来ない山奥に籠りきりでもない限り、インフラが引かれ、交通や流通の恩恵を受け、誰かが作った家に住んで、誰かが作った食材を享受している。先人の文明技術も受け継いでいる。
 何が言いたいのか、と怒られそうだからそろそろ本題に入るが、つまり、他人の目を欠片も気にせず生きるというのは、はなから無理なのだろう、ということだ。コミュニティ(人類単位の)から離れて生きようとしたら、ヒューマンなんぞ身を守る爪や牙すら持たぬ、しかも被毛さえほとんどなくて柔らかく食べやすい、弱よわクリチャーなのだ。だから、自分の身を守るために仲間の目を気にするのは、生物として当然の行動なのだ。恐らく遺伝子単位で組み込まれた本能なんじゃなかろうか。
 と、なんでこんなことをぐるぐる考えていたのかというと、好き勝手に生活して好き勝手な価値観でのんびり暮らしていたつもりだったのに、要所要所で他人をものすごく気にしている自分にふと気づいてしまったからである。評価されたら嬉しいし、いわれのない批判を耳にしたらむっとする。これらは他人の価値観であって、完全なる他人軸なのだが、どうもここを排除するのは少なくとも自分には無理そうなのだ。
 とはいえ、ある程度切り分けることは可能だ。そりゃ感情が動かないわけではないが、インパクトから時間が経ってちょっと落ち着いたら、相手の言葉は本当に妥当なものなのか、どんな文脈で発せられたものなのか、耳を傾け己の行動を変える必要はあるのか、そのあたりを冷静に考える。今の自分には理解できないことというのもあるかもしれないが、完全に的外れな、相手が自分自身の満足のために言ったようなことなら、ぶぁーーーか! と切り捨てて簀巻きにして埋めるか海に沈めるか爆破する(あくまで気持ちの扱いの話だから、生身の生物相手にやっちゃダメよ)。褒められたら嬉しいが、うん、嬉しい、超嬉しい。けど、それも妥当な称賛なのか、付き合いや打算で言ったのか、とりあえず検討する。でもまあ嬉しいよなあ、にへへ。
 先日、テレビで瞑想の達人の取材番組を放送していたのだが、達人であるお坊さんたちも案外心が動いているのだそうだ。瞑想中にわざと心を揺さぶる音を流してデータを取っていたのだが、我慢できずに笑い出したお坊さんズに、こちらも笑いが止まらなくなってしまった。えええー、そんなんでいいんだ?
 心を動かさないことを目的とする瞑想ですら、一瞬の揺らぎは当たり前なのだという。連発されて一瞬じゃなくなってしまったお坊さん、御愁傷様です。ま、楽しそうだったからいいか(いいのか?)。そんなわけだから、凡人たぬ丸、何をかいわんや、ってことなのだ。
 揺らいでもいい、竹のようにしなやかに戻ってくればいい、と番組は締めくくっていたが、たぶんそれが自他の軸にも当てはまるのだろう。常に揺らがずにいるのは難しいが、戻る場所は自分軸──あ、常に自分軸だけで動くタイプについては、その鋼鉄の背骨を取り上げてアスパラに交換しちゃうからな❤️
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み