たまにはマジメに

文字数 1,221文字

 ふざけ倒した内容ばかりだったので、ここらで一度、マジメに書いてみようと思う。
 マジメは漢字で「真面目」と書くが、「ま」と「め」はいいとして、面を「じ」と読むのはよう分からん。面は「めん」か「おもて」か「つら」くらいのものなんじゃないんかい。
 って、さっそくフマジメが暴れだしてるな。フマジメ、ハウス!
 しかし、マジメとは一体何をもって判断するのか。しかつめらしい顔をして、冗談も言わず、黙々と取り組むことだけがマジメなんだろうか。江戸時代の絵解きだったか、「ま」の文字を絞めて「まじめ」と読ませるのがあったが、あれだってマジメに絵解きというものに取り組んだ結果、表面的にはふざけているものが出来上がった、ということなんじゃなかろうか。
 「真面目にふざける」をコンセプトにした企業がいくつかある。一見並び立たぬ矛と盾に思えるのだが、このコンセプトというのは難なく成立させられるものだ。というより、より高いパフォーマンスを発揮できる可能性に満ち満ちている。ごく大雑把に言ってしまえば、目標に向かうことに真面目でありさえすれば、その過程を楽しむことは何ら支障にならない。どころか、楽しいという感情はやる気のブーストになり、「楽しい」が滲み出る場に人は集まり、それが連鎖して更に良い循環が生まれる。人間という生き物は、基本的に快を求めるように出来ている(他人から見たら不快なのを快と感じるようなものも含めて)。快はそのまま身の安全安心に繋がっているのだから、生存本能からしたらごく当たり前のことなのだが、なぜか、苦しい目に遭わなければ人として素晴らしくない、といった謎の価値観が長らく世に蔓延ってきたのもまた事実だ。まあ恐らく、放っておいたら快にばかり傾いてしまう本能をコントロールできるように、という意味なのだろうが、それであっても「苦しまなければいけない」までになってはさすがに行き過ぎだろう。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と徳川家康は言ったが、それが真であればあるほど、同時に楽しい気持ちも増やさなければバランスが取れないではないか。
 無論、努力をしなくていい、という意味ではない。努力なくして、何事をも成すことはできない。一見できたように思っても、それは単に努力を積み重ねた人の立っている遥か高みが見えていないだけだ。ただ、だからといって、眉間に皺寄せて苦行するばかりが方法ではない、というのが個人的な実感なのである。
 ……ぐっ、そろそろ息が詰まり始めてきたぞ……バランスが、バランスが取れねえ……。もっと、おふざけ(ルビ・ひかり)を!
 真面目とは、自分の向き合う対象に常に誠実であること、問われるべきはそれだけなのだと思う。後はどうなときゃーなろたい。
 ちなみに、冒頭の「面」がなんで「じ」なのか問題は、意味からの宛字だから、なのだそう。それにしても、カタカナでマジメと書くとフマジメに見えてしまうのは、何でなんだろうね?
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