”夢”を人に語ること
文字数 2,077文字
@ 颯の家
(こうしているとすごく落ち着くなぁ)
ベッドの上で大の字になりながら颯は考える。考査も終わり、やっと自分のしたいことに集中できる。
颯はリラックスしてある画家の画集を眺めていた。
まるで本当に生きているかのような肌の質感やドレスのフリルの波形、空間の構成の仕方など、学ぶことが山のようにある。
中でも颯が好きなのは、着物を着た女性の描かれた絵で、女性ならではのしなやかさから髪の生え際まで、写実的に表現された様子はさながら蕭灑といった観を颯に抱かせた。
(ここの皺ってどうやって表現するんだろう。それにやっぱり一番難しいのは肌の色だよな。
ちゃんと生気が宿ってるように見せる配色とかも学ばないと。)
(あとは…)
「ふわぁぁぁ」
大きなあくびをすると、次第に強くなる眠気に負けて、既に颯は瞼を閉じていた。
・
・
・
ハッとして目を開けると、急いで時計を見る。"21:23"
その数字を認識するや否や、颯は焦ったように素早く体を起こし、そしてうなだれた。
(うわ、最悪だ)
と、ふと喋り声のようなものが聞こえた。父と母が何か話している。
「あれ、そろそろ颯の進路指導の時期だっけ?」
「ええ、1週間後ぐらいだったかしら。」
「昨年度は青林学院、東大合格者が急に落ち込んだから今年は特にピリピリした空気になってそうだな。」
颯は会話に耳をそば立てながらも、自室に飾ったある絵を見ている。
煌めく水面に、所々荒い岩が立ち並び、その周囲に白波が立っている。そんな、川の絵だった。
颯はゆっくりと、しかし確かに廊下を歩いていた。手には志望進路の欄に「東京芸術大学」と濃く書かれた進路指導用紙。颯が、この数か月間敢えて言おうとしなかったことを、もうすぐさらけ出すことになるだろう。
緊張はしない。芸術家になろうとすることは、颯を否定することの理由にはなり得ない事を知っているからだ。
しかし、もしかすると笑われるかもしれないし、真剣に取り合ってくれないかもしれない。それだけが、颯の抱える不安点だった。
遠くに人影がある。目を凝らして見ていると、だんだんとその姿が鮮明になってきた。拓だ。
どうやら颯の一つ前の時間に進路相談をしていたようだ。
「おっ、颯 次?」
「うん」
颯は少し歩調を緩めると、反対の道を進もうとする友人と軽く挨拶をかわし、すぐに再び進路指導室へと向かおうとした。
「え......」 後方から小さく驚きの声が漏れる。
颯は気づかないふりをして歩き続けようとしたが、拓の発する一言で淡い疑いが、色濃い確信へと変貌した。
「お前藝大目指してるの!?」
颯は振り返って、いつもの如く「まあ、行けたらだけどね...」と言った。
はたしてその時、颯はどんな顔をしていただろうか。覚えてはいられなかった。
「じゃあ進路指導用紙を。」
この言葉を耳に入れると、颯はさながら喉に小刀でも突きつけられているような気分になった。
「東京大学」
と書かれていれば、先生は安心するのだろうか。
おそらく既に何十回も”その”大学の名前を見たであろう先生の目は、「東京藝術大学」という文字を、しかと留め、見逃さずにいてくれるだろうか。
そんなことを考えつつ、颯は紙を先生に手渡す。
ゴクリと唾をのみ、じっと先生の顔をうかがう。
先生は「えっ」と小さく漏らすと、
「里木 藝大志望なのか?」と聞いてきた。
既に聞き覚えたその言葉の響きを再び味わうと、颯は危うくまた「まあ、」と言いかけたが、
「これまで1人ぐらいは出た年もあるけど、東京藝大って言ったら東大とは比べ物にならない程門は狭いぞ。」という先生の言葉に押しとどめられた。
正直、颯自身にもはたして自分に藝大を目指すほどの素質があるのかは未知数であり、拓や先生の反応も納得はできる。
「まあ、それはとりあえずいいとして、里木。東京藝大を目指すってことは、”落ちる覚悟”もそれなりになくてはならない。お前にはそれだけの覚悟があるか?」
落ちる覚悟...そうか、いや、そうだよな。当たり前だ。でも、
「まあ、それなりには......」
まだ、落ちることを覚悟してまで藝大を目指す決心はない。そう認識させられた。
「んー、もう一度よく考えてみろ。幸い里木は成績も良いんだから、充分東大も狙えるとは思うんだけどな。」
口を開けば東大の事ばかり。流石に辟易としてしまう。「自分たちは扱いやすい人形じゃないんだ」と言いたいが、事実として今現在中途半端な自分に、そんなことを言う資格がないのは目に見えて明らかだ。
(何で悩んでんだ。ちょっと道化を演じるだけでもいいのに、なんで自分は「落ちても後悔しない」って言えないんだ。)
「まあ、今日全部決めるわけじゃないから、もう一回よく考えてみてから選べ。」
「失礼しました。」
茫然自失 という言葉がもっともしっくりくるだろうか。自分の描いていた甘い展望が、天地ごとひっくり返された気分だった。自分≠大人じゃないことを証明されたかのようで、得体のしれない感情がこみあげてくる。
(どうすればいいんだ。)
(こうしているとすごく落ち着くなぁ)
ベッドの上で大の字になりながら颯は考える。考査も終わり、やっと自分のしたいことに集中できる。
颯はリラックスしてある画家の画集を眺めていた。
まるで本当に生きているかのような肌の質感やドレスのフリルの波形、空間の構成の仕方など、学ぶことが山のようにある。
中でも颯が好きなのは、着物を着た女性の描かれた絵で、女性ならではのしなやかさから髪の生え際まで、写実的に表現された様子はさながら蕭灑といった観を颯に抱かせた。
(ここの皺ってどうやって表現するんだろう。それにやっぱり一番難しいのは肌の色だよな。
ちゃんと生気が宿ってるように見せる配色とかも学ばないと。)
(あとは…)
「ふわぁぁぁ」
大きなあくびをすると、次第に強くなる眠気に負けて、既に颯は瞼を閉じていた。
・
・
・
ハッとして目を開けると、急いで時計を見る。"21:23"
その数字を認識するや否や、颯は焦ったように素早く体を起こし、そしてうなだれた。
(うわ、最悪だ)
と、ふと喋り声のようなものが聞こえた。父と母が何か話している。
「あれ、そろそろ颯の進路指導の時期だっけ?」
「ええ、1週間後ぐらいだったかしら。」
「昨年度は青林学院、東大合格者が急に落ち込んだから今年は特にピリピリした空気になってそうだな。」
颯は会話に耳をそば立てながらも、自室に飾ったある絵を見ている。
煌めく水面に、所々荒い岩が立ち並び、その周囲に白波が立っている。そんな、川の絵だった。
颯はゆっくりと、しかし確かに廊下を歩いていた。手には志望進路の欄に「東京芸術大学」と濃く書かれた進路指導用紙。颯が、この数か月間敢えて言おうとしなかったことを、もうすぐさらけ出すことになるだろう。
緊張はしない。芸術家になろうとすることは、颯を否定することの理由にはなり得ない事を知っているからだ。
しかし、もしかすると笑われるかもしれないし、真剣に取り合ってくれないかもしれない。それだけが、颯の抱える不安点だった。
遠くに人影がある。目を凝らして見ていると、だんだんとその姿が鮮明になってきた。拓だ。
どうやら颯の一つ前の時間に進路相談をしていたようだ。
「おっ、颯 次?」
「うん」
颯は少し歩調を緩めると、反対の道を進もうとする友人と軽く挨拶をかわし、すぐに再び進路指導室へと向かおうとした。
「え......」 後方から小さく驚きの声が漏れる。
颯は気づかないふりをして歩き続けようとしたが、拓の発する一言で淡い疑いが、色濃い確信へと変貌した。
「お前藝大目指してるの!?」
颯は振り返って、いつもの如く「まあ、行けたらだけどね...」と言った。
はたしてその時、颯はどんな顔をしていただろうか。覚えてはいられなかった。
「じゃあ進路指導用紙を。」
この言葉を耳に入れると、颯はさながら喉に小刀でも突きつけられているような気分になった。
「東京大学」
と書かれていれば、先生は安心するのだろうか。
おそらく既に何十回も”その”大学の名前を見たであろう先生の目は、「東京藝術大学」という文字を、しかと留め、見逃さずにいてくれるだろうか。
そんなことを考えつつ、颯は紙を先生に手渡す。
ゴクリと唾をのみ、じっと先生の顔をうかがう。
先生は「えっ」と小さく漏らすと、
「里木 藝大志望なのか?」と聞いてきた。
既に聞き覚えたその言葉の響きを再び味わうと、颯は危うくまた「まあ、」と言いかけたが、
「これまで1人ぐらいは出た年もあるけど、東京藝大って言ったら東大とは比べ物にならない程門は狭いぞ。」という先生の言葉に押しとどめられた。
正直、颯自身にもはたして自分に藝大を目指すほどの素質があるのかは未知数であり、拓や先生の反応も納得はできる。
「まあ、それはとりあえずいいとして、里木。東京藝大を目指すってことは、”落ちる覚悟”もそれなりになくてはならない。お前にはそれだけの覚悟があるか?」
落ちる覚悟...そうか、いや、そうだよな。当たり前だ。でも、
「まあ、それなりには......」
まだ、落ちることを覚悟してまで藝大を目指す決心はない。そう認識させられた。
「んー、もう一度よく考えてみろ。幸い里木は成績も良いんだから、充分東大も狙えるとは思うんだけどな。」
口を開けば東大の事ばかり。流石に辟易としてしまう。「自分たちは扱いやすい人形じゃないんだ」と言いたいが、事実として今現在中途半端な自分に、そんなことを言う資格がないのは目に見えて明らかだ。
(何で悩んでんだ。ちょっと道化を演じるだけでもいいのに、なんで自分は「落ちても後悔しない」って言えないんだ。)
「まあ、今日全部決めるわけじゃないから、もう一回よく考えてみてから選べ。」
「失礼しました。」
茫然自失 という言葉がもっともしっくりくるだろうか。自分の描いていた甘い展望が、天地ごとひっくり返された気分だった。自分≠大人じゃないことを証明されたかのようで、得体のしれない感情がこみあげてくる。
(どうすればいいんだ。)