隠したオモイ
文字数 1,255文字
―三年生九月 受験まで五か月
思えば、初めてアニメを知ったのはいつだったろう。記憶は自分でも驚くほど曖昧で、朧げで、そして脆いものだ。
でも、今はもう忘れてしまった子どもの頃の僅かな思い出の節々には、確かにアニメがあった。
懐かしい。
毎週日曜日の朝、起きるとパジャマから着替えもせず、まずテレビの前のソファーにダイブする。そして、そこから少し離れた机にのったリモコンに手を伸ばしてチャンネルを変えると、すでに尚一はアニメの主人公だった。
「勧善懲悪」 「愛」 「勇気」そんな難しいことは脇に置き、ただかっこいいからという、いかにも単純な理由で尚一はアニメに夢中になった。
それからもう十余年たっただろうか。いまだに尚一はアニメに対して特別な感情を抱いている。他の何をしても得られないような感情を、アニメは100%の純度で送ってくれる。そんな自由さというか、自分が没入できるという所に、自分は中毒になっているのかもしれない。
だから、アニメをバネにして、そこからその制作に興味を抱くようになったのも早かった。
初めは自由帳に、そして画用紙、「うごメモ」、今ではソフトで作るほど沼にはまっていった。勿論あくまで”趣味”...のつもりだった。ある人に出会うまでは。
その人は、ちょうど尚一が小学校高学年ぐらいのときにツイッターでたまたま見つけた絵師で、”さち。”という名前で活動していた。
大胆だな〜、というのが最初に思った感想だ。アニメの絵と言ったら、線できっちりと部位が分けられ、陰影は塗る色の濃淡で表現するものとばかり思っていたが、”さち。”さんの絵はずんずんと線を引いているようで、意外に繊細な筆使いに思われる不思議なものだった。
それ以来ずっと”さち。”さんを追ってもう6年以上になる。今風に言うと、推しにあたる存在と言っても過言ではなかった。
”さち。”さんにあってからというもの、新たな絵をネット上に載せるたび、それを見よう見まねで描きためるようになった。そうすると自然にどうやって絵を描いているのかが分かるようになっていって、自分にはなかった発想や表現を見つけるたびに絵を描くことに熱中していった。
中学受験、塾の課題、学校の課題。多忙な日々の中でも相変わらずデジタルイラストへの熱は冷めやらず、むしろ尚一の日々の憩いとして確固たる立場を築きつつあった。
でも、「自分がアニメが好きで、デジタルアニメが好きで、”さち。”が大好きだ」なんて口が裂けても言えない。
理由は単純明快だ。A.他人の目が気になるから。
そんな小さなことで、尚一は自分が本当はどうしたいのかに明確な答えを持とうとするのを避け続けてきた。いや、正反対に、そんな小さなことを破って好きなものを否定されるのを恐れたと言った方が正確かもしれない。
だから、「東大」という選択肢を、甘えるようにして選んだ。
そんな自分を、ちょっとでもいいから変えたい。そうして藁にもすがる思いで尚一は初めて、”さち。”に自作のアニメとコメントを贈った。
思えば、初めてアニメを知ったのはいつだったろう。記憶は自分でも驚くほど曖昧で、朧げで、そして脆いものだ。
でも、今はもう忘れてしまった子どもの頃の僅かな思い出の節々には、確かにアニメがあった。
懐かしい。
毎週日曜日の朝、起きるとパジャマから着替えもせず、まずテレビの前のソファーにダイブする。そして、そこから少し離れた机にのったリモコンに手を伸ばしてチャンネルを変えると、すでに尚一はアニメの主人公だった。
「勧善懲悪」 「愛」 「勇気」そんな難しいことは脇に置き、ただかっこいいからという、いかにも単純な理由で尚一はアニメに夢中になった。
それからもう十余年たっただろうか。いまだに尚一はアニメに対して特別な感情を抱いている。他の何をしても得られないような感情を、アニメは100%の純度で送ってくれる。そんな自由さというか、自分が没入できるという所に、自分は中毒になっているのかもしれない。
だから、アニメをバネにして、そこからその制作に興味を抱くようになったのも早かった。
初めは自由帳に、そして画用紙、「うごメモ」、今ではソフトで作るほど沼にはまっていった。勿論あくまで”趣味”...のつもりだった。ある人に出会うまでは。
その人は、ちょうど尚一が小学校高学年ぐらいのときにツイッターでたまたま見つけた絵師で、”さち。”という名前で活動していた。
大胆だな〜、というのが最初に思った感想だ。アニメの絵と言ったら、線できっちりと部位が分けられ、陰影は塗る色の濃淡で表現するものとばかり思っていたが、”さち。”さんの絵はずんずんと線を引いているようで、意外に繊細な筆使いに思われる不思議なものだった。
それ以来ずっと”さち。”さんを追ってもう6年以上になる。今風に言うと、推しにあたる存在と言っても過言ではなかった。
”さち。”さんにあってからというもの、新たな絵をネット上に載せるたび、それを見よう見まねで描きためるようになった。そうすると自然にどうやって絵を描いているのかが分かるようになっていって、自分にはなかった発想や表現を見つけるたびに絵を描くことに熱中していった。
中学受験、塾の課題、学校の課題。多忙な日々の中でも相変わらずデジタルイラストへの熱は冷めやらず、むしろ尚一の日々の憩いとして確固たる立場を築きつつあった。
でも、「自分がアニメが好きで、デジタルアニメが好きで、”さち。”が大好きだ」なんて口が裂けても言えない。
理由は単純明快だ。A.他人の目が気になるから。
そんな小さなことで、尚一は自分が本当はどうしたいのかに明確な答えを持とうとするのを避け続けてきた。いや、正反対に、そんな小さなことを破って好きなものを否定されるのを恐れたと言った方が正確かもしれない。
だから、「東大」という選択肢を、甘えるようにして選んだ。
そんな自分を、ちょっとでもいいから変えたい。そうして藁にもすがる思いで尚一は初めて、”さち。”に自作のアニメとコメントを贈った。