受験の形骸化

文字数 868文字

 ―三年生二月 受験期

 卓上のカレンダーを見つめると、2月に赤丸が一つ。そして、一枚それをめくると、3つの赤丸が大きく書き込まれている。
藝大の試験日は二月末の一次試験、そして三月に入ると一次試験合格発表、二次試験、最終合格発表と僅か二十日ほどの間に颯の人生をひとまず決定する舞台がある。
 暖房の暖かさがほんのりと残った室内で、颯は今日もアトリエに行くための準備をしていた。2月15日、ちょうど10日後に一次試験が迫ったこの日、東京の天気は快晴、最高気温は5℃まで上がらない予報だ。
 
「いってきます。」
「いってらっしゃい。頑張ってね。」
 母に見送られて玄関から一歩外に出ると、一気に寒気に包まれた。道の所々に融け残った雪がある。
 不思議だ。僅か6ヶ月前まで熱気に包まれ、バテそうな人で包まれた町がこの頃はしんと静まり返ったような様相を呈している。
(懐かしい)
 そう思った。こんな気持ちは子どもの時以来、そう、あの川に行ったぶりではないだろうか。目の前に広がる風景を、ただの背景として見ていてはだめだ。
「ちゃんと見なさい。」
 あの言葉はこういうことだったのか、とハッとさせられた。
 その日の添削で、颯は久しぶりに褒められた。

@ 階 国立音大試験 
 音大の試験というと、漠然とした印象として楽器の演奏がまず浮かぶのではないだろうか。勿論それも「専攻試験」という形で含まれているが、同じく問われるのが、楽典の知識と聴音の正確さだ。
 階のように幼少期から楽器に触れていると、それだけ耳も鍛えられる。そのため、初めは余裕だと考えていた。
 しかし、やはりミスを完全になくすまでにはかなりの労力を使った。
 そうしてむかえた本番、うすうす感づいてはいたものの、意外にあっさりした終わり方だった。
 なんなら藤村さんに教えられていた時の方が何倍も難しく、辛かった。そして、何倍もつまらなく感じてしまった。
 なんだ、と思う。しかし、同時にピアノを弾くことへの耐性が付いたという点から見ると、階は間違いなくピアノを心から楽しんで弾くことが出来るようになっていた。
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