”カンダタ”と同調圧力

文字数 1,981文字

 青林学院高校では、校長主導の「東大専科」設立発言を境に、 “東大”の日常に於ける存在感が増している。聞くところでは、「東大専科」に申し込む人が全校生徒の四分の一を超え、抽選が行われるまでになっているらしい。

 そうした動きの中で、確かに颯は孤立していた。しかし、実際のところ”孤立”は別に悪いことではないのかもしれない。
 この世界は「本当は憧れているもの」があっても、それになれるとは軽々しく明言できない仕組みになっている......と思う。
 そうやって、憧れるものを諦めざるを得ない苦しさ、そして悔しさの末に多くの人は勉学の道のみが広く開けて残り、それを選んだのだろう。そんな風な”消去法的思考”を、多くの人が共有してこの社会は成り立っているのかもしれない。
 だから、多少才能に恵まれている者はむしろ、その幸福さゆえに”孤立”してしまうのかもしれない。
 そう考えてしまうのは都合のいい見方だろうか。

 でも、例えば颯の隣のクラスの並澤階。音楽部部長の彼は、格好の例だろう。
 成績は名に冠するように”並”だが、群を抜くピアノ演奏の才があると評判で、いわゆる「普通」の生徒たちとは一線を画していると言える。



「よし、今日はここらへんにしよう。解散。」顧問の音楽教師がそう伝えると、つい先ほどまで音楽室でひしめき合っていた部員らは、あっという間に身支度を終えて帰ってゆく。
 音楽部の練習後、まだ少し練習が生んだ熱気を感じられる教室で、階は一人残っていた。
「今日もやるか?」
顧問にそう尋ねられると、「はい。」と返し、颯は音楽室の鍵を預かった。
 ここ数ヶ月、階は部活終わりに音楽室でピアノを弾くのが日課となっていた。家にもピアノがあるにはあるが、音楽室のものはそれよりずっと音質がいいので練習に使わせてもらっているのだ。

 窓の外を見ると、薄紫と橙の混じり合った夕暮れの空が広がっている。どこか感情的になるそんな夕空を眺めながら、階は演奏を始めた。
 曲はショパンの「別れの曲」。叙情的な曲調を如何に引き出してゆくかが、直近の階の悩む所であった。

「おお、また弾いてたんだ。」
 帰り支度のために一度自分の教室に戻っていたらしい階の友人、二階堂融は素っ頓狂な声を上げると、階の側に寄ってきた。
「何か上手くなってきてね?」
「それ前回も言ってたよ。ホントにそう思ってんのか?」苦笑しつつ、そう答えた。
「いや、本当だって。」
 お調子者のくせに、こういう時だけは真面目な顔をするのが少しにくらしい。でも、だからこそ自然と心を許してしまうのだった。
 思えば融は、階が幼いころ毎日ピアノ練習に追われる中でもずっと本物の”友達”として遊んでくれた存在だった。
 
 小学生時代、そのころから既にピアノ教室に通っていた階は、放課後遊びに誘われてもレッスンを理由に断ることが多かった。
 純粋な子供のことである。その純粋さ故にクラスメイト達の階に対する嫌悪感はどんどんと蓄積され、牙をむき始めるのも早かった。
 ”いじめ”という概念すらちゃんと理解できないうちから、階は仲間外れにされるようになった。
 子どもの残酷さは、アリを躊躇なく踏みつぶす感覚が人相手にも通用してしまうところにあると言える。”イジメる”当人からすれば何でもないような言葉、行動が”イジメられる”側になるとトラウマになる。これが残念ながらほぼ実態をとらえているのかもしれない。

 しかし、階にとって「蜘蛛の糸」となったのは融の存在だった。 


 そうして少しの間、階が埃のかぶりかけた思い出にふけっていると、
「ちなみにさ、お前何年くらいピアノやってんだっけ?」と聞かれた。
「えーと...確か11年ちょっとぐらいだったかな。」
「11年!?やっぱり階は凄いなあ。」
 わざとらしい驚き方だが、やっぱり融の目には嘲るような光は微塵も見てとれない。
「ありがとな。」

 きっと、傍から見れば平凡な会話にすぎないだろう。だけどそれがいい。最近はクラスも、というよりか学校全体が階からするとちょっとギスギスしているように感じる。
 ついさっきの部活の時間中だって、あまりにも塾の課題だとか、進路の事だとかの私語にふけっていたから、顧問の先生が部員に喝を入れていたぐらいだ。
「何か妙に学校にいづらい」というのが正直な感想だった。

 ふと階は疑問に思って「そういや、専科ってどうなの?」と尋ねた。
「いや、何か一回試しにっていう気持ちで入ったら結構スパルタでさ~
 宿題とか忘れると普通にキレられるし空気も悪いわで、自分は何か嫌だと思ったな。」
「へぇ、そうなんだ。」
 会話はそれっきりで、後は階の独奏会が続いた。

 最後の音をしっかりフェルマータの分迄伸ばして演奏をやめると、融が拍手してくれた。たった一人の観客。でも、一人いるのと、本当に独りなのは絶対に違うなと階は思った。
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