偶然と必然の狭間で
文字数 1,786文字
@ 某駅のストリートピアノ
「ふーん、上手いなあ...あれは何処の子だろう?」
黒橡のブレザーに紫色のネクタイをきっちりとしめ、少しくすんだ灰色のズボンをはいた少年は、どこか気品さえはなっている。
部活がない日の放課後、ここでしばらくピアノを弾いて帰ることがあった階は、この日もしばらく演奏していた。
今日はこのくらいにして帰ろうと思い、椅子から立ち上がってリュックを背負い、人ごみを抜けようとしたとき、その中に見覚えのある人がいたような気がした。
「ん?」
不思議に思って目を凝らすと、視線の先には洒落た服に身を包んだ、ショートヘアの女性が立っている。
階は、その女性をしかと捉えた瞬間、硬直し、自らの目を疑った。
「藤村さん...」無意識に、そう呟いていた。
ー藤村絢音 日本最年少でショパン国際ピアノコンクールで第3位に輝いた、今最も注目されるピアニストの一人。ー
声は、忙しなく駅構内を歩く人々の声や雑踏に呑み込まれ、届かない。
(今このチャンスを逃したら...)
気づくと階は走り出し、女性の跡を追っていた。
「すみません!」
大声でそう呼び止めると、女性は振り返ってくれた。その人は初め、戸惑うような不信感のこもった目で階を見たが、階が自己紹介すると
「ああ、あの子ね。なかなか上手だったじゃない。」と返した。
藤村の口調は、かなり“お高くとまった”ものだったにもかかわらず、階は全く気にもせず、
「どうしてここに?」と尋ねた。
「たまたま今日近くのコンサートホールで公演があったから通りがかったのよ。」
「そうだったんですね!!」
興奮が抑えられない様子の階に、藤村は
「ところで、いつもああやってピアノを演奏してるの?」
「え、はい!」
「なら大学は音大に進むの?」
「いや。流石に自分には無理ですよ。上には上がいます。
はっきり言うと、自分はどちらかというと不器用な人間ですから、がむしゃらにそれを補おうとしてるだけの凡才ですよ。」
そう言っていて内心階も驚いている。二重人格というわけではないが、理想に努力する自分とは違って現実を突きつけようとする見方が自分の中にあることを改めて実感した。
「そう。それは残念ね。あなたは才の...ちょっと待って!もうこんな時間!?行かないと。じゃあね、君。」
(...嵐のような人だな)
最後に何か言おうとしていたのが少し気にかかったが、まさかの出会いと憧れの人からの賞賛が階の頭をいっぱいにして、もう何も考えていられなかった。
ー音楽室
思わぬ出会いから数日後の音楽室。もうほとんど慣例のようなものに化してしまった”階の独奏コンサート”はこの日も計1時間半ほどに渡った。
最近は拓以外にも何人か観客が来るようになり、他学年の部員もちらほら見えた。
「次何の曲がいい?」
階の問いかけに次々と声が上がる。
「ラ・カンパネラ!」
「いや、トロイメライ弾いて!」
「乙女の祈りでお願いします。」
(皆んな凄いなあ)我先にと、ある種熱狂的に声をあげてくれるのが嬉しかった。それだけ皆んな音楽が好きだということだし、なによりも階の演奏が認められているのを感じられたからだ。
演奏を終えた後、(いつもはたいてい一人で帰っているのだが)珍しく拓と一緒に帰った。
帰路途中まで雑多な話をしていたが、二本目の赤信号に捕まった時、階は唐突に口を開いて言った。
「拓、ちょっと相談したいことがあるんだけど。」
「何?」
「いや、何ていうか......俺、音大に行きたいと思ってるんだけどさ。やっぱり親としては卒業後の収入とかいろいろ心配するだろうからさ... それをどう親に打ち明ければいいか分かんなくって。」
「え?ちょっと待って。お前音大行くことにしたの?すげえじゃん。」
「うん。成績がっていうのもあるけど、それ以上にピアノをもっと弾きたいし、それに、いろんな人を笑顔にするために自分が出来ることはやっぱり音楽かなって。」
「いい理由だな。」
「でさ、肝心なのはそれをどうやって親に説明するかなんだよね。」
「え?普通に今のをそのまま言えばいいじゃん。」
「いや~、でもな、何かまだ志望する理由としてはあやふやさが残ってるっていうか、まだきちんとした気持ちの整理が出来てないっていうか。」
「じゃあさ、その国立音楽大学?そこの文化祭とか行ってみれば。」
「文化祭...確かにその考えはなかったな。」
「ふーん、上手いなあ...あれは何処の子だろう?」
黒橡のブレザーに紫色のネクタイをきっちりとしめ、少しくすんだ灰色のズボンをはいた少年は、どこか気品さえはなっている。
部活がない日の放課後、ここでしばらくピアノを弾いて帰ることがあった階は、この日もしばらく演奏していた。
今日はこのくらいにして帰ろうと思い、椅子から立ち上がってリュックを背負い、人ごみを抜けようとしたとき、その中に見覚えのある人がいたような気がした。
「ん?」
不思議に思って目を凝らすと、視線の先には洒落た服に身を包んだ、ショートヘアの女性が立っている。
階は、その女性をしかと捉えた瞬間、硬直し、自らの目を疑った。
「藤村さん...」無意識に、そう呟いていた。
ー藤村絢音 日本最年少でショパン国際ピアノコンクールで第3位に輝いた、今最も注目されるピアニストの一人。ー
声は、忙しなく駅構内を歩く人々の声や雑踏に呑み込まれ、届かない。
(今このチャンスを逃したら...)
気づくと階は走り出し、女性の跡を追っていた。
「すみません!」
大声でそう呼び止めると、女性は振り返ってくれた。その人は初め、戸惑うような不信感のこもった目で階を見たが、階が自己紹介すると
「ああ、あの子ね。なかなか上手だったじゃない。」と返した。
藤村の口調は、かなり“お高くとまった”ものだったにもかかわらず、階は全く気にもせず、
「どうしてここに?」と尋ねた。
「たまたま今日近くのコンサートホールで公演があったから通りがかったのよ。」
「そうだったんですね!!」
興奮が抑えられない様子の階に、藤村は
「ところで、いつもああやってピアノを演奏してるの?」
「え、はい!」
「なら大学は音大に進むの?」
「いや。流石に自分には無理ですよ。上には上がいます。
はっきり言うと、自分はどちらかというと不器用な人間ですから、がむしゃらにそれを補おうとしてるだけの凡才ですよ。」
そう言っていて内心階も驚いている。二重人格というわけではないが、理想に努力する自分とは違って現実を突きつけようとする見方が自分の中にあることを改めて実感した。
「そう。それは残念ね。あなたは才の...ちょっと待って!もうこんな時間!?行かないと。じゃあね、君。」
(...嵐のような人だな)
最後に何か言おうとしていたのが少し気にかかったが、まさかの出会いと憧れの人からの賞賛が階の頭をいっぱいにして、もう何も考えていられなかった。
ー音楽室
思わぬ出会いから数日後の音楽室。もうほとんど慣例のようなものに化してしまった”階の独奏コンサート”はこの日も計1時間半ほどに渡った。
最近は拓以外にも何人か観客が来るようになり、他学年の部員もちらほら見えた。
「次何の曲がいい?」
階の問いかけに次々と声が上がる。
「ラ・カンパネラ!」
「いや、トロイメライ弾いて!」
「乙女の祈りでお願いします。」
(皆んな凄いなあ)我先にと、ある種熱狂的に声をあげてくれるのが嬉しかった。それだけ皆んな音楽が好きだということだし、なによりも階の演奏が認められているのを感じられたからだ。
演奏を終えた後、(いつもはたいてい一人で帰っているのだが)珍しく拓と一緒に帰った。
帰路途中まで雑多な話をしていたが、二本目の赤信号に捕まった時、階は唐突に口を開いて言った。
「拓、ちょっと相談したいことがあるんだけど。」
「何?」
「いや、何ていうか......俺、音大に行きたいと思ってるんだけどさ。やっぱり親としては卒業後の収入とかいろいろ心配するだろうからさ... それをどう親に打ち明ければいいか分かんなくって。」
「え?ちょっと待って。お前音大行くことにしたの?すげえじゃん。」
「うん。成績がっていうのもあるけど、それ以上にピアノをもっと弾きたいし、それに、いろんな人を笑顔にするために自分が出来ることはやっぱり音楽かなって。」
「いい理由だな。」
「でさ、肝心なのはそれをどうやって親に説明するかなんだよね。」
「え?普通に今のをそのまま言えばいいじゃん。」
「いや~、でもな、何かまだ志望する理由としてはあやふやさが残ってるっていうか、まだきちんとした気持ちの整理が出来てないっていうか。」
「じゃあさ、その国立音楽大学?そこの文化祭とか行ってみれば。」
「文化祭...確かにその考えはなかったな。」