勉強一本のあいつ、弱気のままな自分

文字数 1,386文字

@ 青林学院 廊下
 6月初旬、灰色の雲が空を覆ったある日。
 高3の間では、もうすぐそこに控えた特別考査に関する話題で持ちきりだった。
「今年から「東大専科」が出来たからテスト難しくしてくるんじゃない?」
「ホント嫌だわー」
 そんな気だるそうな声を尻目に、颯は美術室へと向かって行った。

@ 美術室
 最近颯は専ら静物画ばかりを油画で描いている。
 美術部では周りとうって変わって絵を描くことに専念する部員が集まっている...という訳でもなく、ここでも3年生は口を開けば特別考査のことばかりだった。
 自然、そこから派生して話題は志望校へと移っていく。
「正直ちょっと東大は厳しいかなって思ってるんだよね。」
「あー、確かに俺も東大は無理でもせめて慶應に行けたらいいな。」
「でもかと言って芸術家とかもちょっとなあ」
「色んな意味で無いよな。」
「そうそう、どうせピカソとかダリみたいな有名人には実際問題一握りしかなれない訳じゃん。それにそもそも俺たちそんなに絵も上手くないし。」
 共感の声が湧き上がる。

 そんな風に進路話に花を咲かせる同級生の脇で、颯はそういう類の話について少しも気にかけず、黙々と絵を描いていた。
と、その時
「なあ、颯はどこ行くの?」と、いかにも興味ありげに話しかけてくる人があった。
 急だったのもあって颯は戸惑いながらも、
「自分は東京藝大に行きたい。」と口にした。

 瞬時、場に沈黙が漂いながらも、やがて
「えっ。凄いな。お前藝大目指すの?」と反応が返ってくる。
 好奇心と呼称すべきか、いや、それよりももっと獰猛とさえとれる、明らかに異質なものを見るような視線が颯に突き刺さった。
 好奇、馬鹿馬鹿しさ、驚き。
 色々な感情に囲まれると、ついつい颯は
「まあ、行けたらだけどね...」と付け足してしまうのだった。

 ―三年生六月 受験まで八か月
 高3特別考査。いくら難易度がとか、専科がとか言っていても、過ぎ去らない物事は無い。
 及時當勉勵 歳月不待人
というが、正にその言葉が示すように考査後には羽を伸ばす生徒が多かった。
 そんななか、幾日かが経過すると試験の結果が返却されてゆく。
 まるで青く澄んだ大空を隠してしまうかのように黒雲の立ち込めた6月中旬のある日。ギシギシと軋ませながら教壇にのぼった先生曰く、「特別考査は東大本番の試験を模している」そうで、特に今年は「東大専科」設立を機に試験が例年よりもどうだかこうだかと話している。

「早く返却しろよ」という生徒の内心を察したのか知らないが、先生は急に話を切ってせかせかと答案返却を始めた。
 テストは、返却の時とテスト前の詰め込みのときが一番盛り上がるものだが、多分それはどこの学校でも同じなのだろう。
「うわ、最悪。」
「え、お前何点?」
 教室中に一喜一憂する声、他人を気にする声があふれる。
「まだ本番じゃないけど、このテストを機にちゃんと気持ち入れ替えろよ。」先生が蛙鳴蝉噪に覆われた教室で、釘を刺す。

 まずまずの成績に収まった颯は、すでに関心を答案からちょうど描き進めている絵へと向け、ぼーっと黒板を見つめていた。
 うるさいはずの教室の喧噪も次第に意識から外れかけたころ、颯は前方にこれまた颯と同じく周りのざわめきから独り離れているらしい奴を見つけた。
 塚田尚一、彼もまた答案のことなどもう忘れたかのように何かを考えているようだった。 
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