美羽の一番長い日3

文字数 7,004文字

 特急スーパーあずさが下諏訪駅、上諏訪駅と諏訪湖の湖畔に沿って走り始めると、車窓から見える湖面は初夏の陽を受け、眩しくきらめき、穂積(ほづみ)美羽(みわ)は思わず目を細めた。
 特に読みたい本もなく、新宿から松本までの二時間、美羽は退屈をもてあましていたが、ふと思いついてスマホのディスプレイのアイコンに触れ、動画再生ソフトを起ち上げた。
 お気に入りに登録してある園田(そのだ)真希(まき)制作の『黄金の女王の帰還』を再生した。
 美羽の間近で撮影していただけあり、美羽がマントを翻し、同時に巨大な黄金の翼を展帳すると、ビルの外壁修理のために組まれていた足場の部材が崩落を始め、東和麗華学園初等部の生徒の一人を抱きかかえ、わずか一回の羽ばたきで空高く舞い上がっっている姿をレンズに収めている。
 この飛翔から一瞬遅れて、就学園の『白銀の姫君』こと(かけい)美雪(みゆき)が歩道に取り残されたもう一人の生徒を美羽同様に救出している。
 この画像を見た全世界の反応はすさまじく、もはや八千八万回の再生回数たたき出している。
 その理由の一つに、全米で大ヒットを飛ばしているネット専門シンガーソングライター、ジャスティス・ケーンがコメントをつけたことが上げられる。
「クイーン・ミワは僕と握手してくれるかな?」
 という美雪を差し置いた他愛もない一文であったが、影響力は絶大で、一説に米国大統領のSNSを超え、運営会社の日米のサーバーを『破壊』しかけた、という噂が、ネット上にまことしやかに拡散された。
 また、動画のタイトルの由来となった『黄金の女王』伝説があった。
 美羽が翼を展帳した姿が、その昔、アンデス文明を構成した一部落が、『翼競争』という競技をもって『議員』を決めており、十五歳の少女が十五年間、連戦連勝を続けていた、という伝説に重なるところがあるのだった。
 『翼競争』を本気で開催すれば、部落は二、三年で参加者を全滅させるばかりか、アンデス文明域を競技会場としたら、とてものこと管理しきれなくなることに気づかない研究者や歴史マニアが、美羽はアンデスの少女の再来どころか生まれ変わり、とまでぶち上げ、更にとってつけたような与太話(よたばなし)で取り憑かれたように大騒ぎを繰り返している。
 肯定派もいれば否定派もいて、コメントの投稿には、遠慮も見せない。
『コラかCGに決まってんだろ。ハリウッドのデザイナーなら楽勝だぜ』
『生物学的に考えても、翼を金色に光らせられるわけはない。この姉ちゃん、ホタルか?』
『自分の身長の六倍近い翼って、話、盛り過ぎだろう』
『俺もこのお姉さんと握手してぇ』
『水着写真集、売り出さないかな?』
『薄い本でも俺、買うな』
 と、動画サイトで収まらず、SNSにも話が飛び交っている。これらに対して真希は、平安女流歌人で著名な和泉式部の娘の小式部の歌を引用し、

   大江山 いく野のみちの 遠ければ
  まだ文も見ず あまのはしだて

 とコメントを返している。
 小式部の歌があまりに優れているので、どうせ再婚して丹後に下った母の和泉式部の代作であろう、とからかった藤原定頼に小式部が突きつけた歌で、『母に代作などしてもらっていません』という意味であった。
 真希は転じて、『コラでもCGでもねーよ』という意味で、『荒らし』と呼ばれる無責任なネットユーザー達を一喝したのだったが、否定派に伝わったのかどうかは不明だった。
 美羽が助けた初等部の生徒二人とその両親から美羽は、執務室で丁重に礼を述べられているばかりか、所轄の警察署から感謝状が贈られている。
 檜町公園で通り魔を取り押さえたときにも美羽、大堂(だいどう)恵礼那(えれな)遙流香(はるか)の三人に警視庁から感謝状が贈られた。
恵礼那は山手誠栄女学院のウイングボール部と練習試合をしたとき、鈴井(すずい)雛子(ひなこ)を心肺停止にし、救急救命活動に尽力したとして、横浜市消防局からも感謝状が贈られている。
 東和麗華学園中高等部のウイングボール部は内外に注目されていた。
 美羽のいくところに騒ぎが起きる、と真希は密かに美羽を死に神呼ばわりしている。
 ウイングボール部の顧問が、高等部の部長(校長)である醍醐(だいご)聡子(さとこ)であることから、普通ならば三年間、部長の執務室には足を踏み入れることなく、卒業していたであろうが、今や美羽は日常的に出入りしている。
 あげくに、美羽が東和麗華学園高等部に入学した日にできた友人の真希が、どうやら六年前に、入場料も払わずに松本城に入り込んでは、地元観光を楽しんでいた美羽と既に関わりをもっていたらしい。
 都会育ちの真希が親しくしてくれることは、田舎者の美羽には嬉しかったが、どうにも腹黒い真希に、美羽は閉口させられる。
 とにかく、空気か路傍の石ころのごとく目立たない奨学生でいよう、と考えていた美羽の思惑は大きく外れ、現実は世界一目立つ女子高生になっている。
 どうしてこんなことになったのか? そして、郷里の松本で自分は一体、何を見、何を知ることになるのだろうか? 美羽は深い溜息を漏らしたとき、スーパーあずさは終点のJR松本駅に到着していた。

 美羽は約六年ぶりにJR松本駅に降り立ったが、父母が亡くなった現場での献花も許されず、すぐに中央図書館へ向かった。
 松本駅前は元々が城下町で、攻められることを前提に町造りをしていることから、どうにも回りくどい。
 駅からメインストリートである大名町通りに出て、城地をぐるりと迂回するのだが、見応えのある大天守など松本城を構成する(いぬい)小天守、渡櫓 《わたりやぐら》、辰巳附櫓(たつみつきやぐら)月見櫓(つきみやぐら)を遠目に堪能することができる。
 松本城の真北にある旧開智学校を目指せば、中央図書館は解りやすい。黄金の翼を拡げて飛んでいけば、美羽には手っ取り早いが、好天に恵まれた週末ということから、観光客で賑わう学都・松本で、江の島でのような無用の騒ぎは起こしたくなかった。
 やがて、明治時代初期の洋風校舎で、文明開化を形にしたような旧開智学校が見えてくると、更にその北方にあり、松本市が運営する十の公立図書館の一つである、中央図書館が見えてきた。
 全面ガラス張りで、旧開智学校をくっきりと映し出す近代的なデザインで、平成生まれの美羽には好感がもてた。
 一階のインフォメーションで、美羽は長野県の地方新聞である信濃地域新聞の縮刷版を見たいと申し出ると、該当のフロアを案内された。
 該当のフロアへいってみれば、明らかに市の職員ではなく、エプロン姿のパートで、三十半ばの女性が申込用紙を美羽に差し出した。美羽は気圧される思いで信濃地域新聞昭和二十三年七月十二日の記事を目的にしていることを記入した。
 美羽は、検索したい単語を入力すれば、すぐにパソコンのディスプレイに表示されるCD-ROMかDVD-ROMを出されるのかと思っていたら、古い白黒映画のフィルムのロールのようなものを出された。美羽は思わず、
「これ、何ですか?」
 尋ねると、パートの女性は、
「マイクロフィルムです。使い方は知っていますか?」
 美羽が首を左右に振ると、パートの女性はマイクロフィルムリーダーと呼ばれる専用の投影機の前へ美羽を連れていき、慣れた手つきでフィルムのロールを投影機の軸に差し込み、マイクロフィルムの先端を巻き取り側の軸に巻きつけた。
 ディスプレイを点灯させると、古い映画よろしく新聞記事が鮮明に表示された。美羽はあっけに取られ、
「あの……もっと取り回しのいいCD-ROMのようなものを想像していたんですが……」
 こんな脆弱なものを素人が扱い、損ねてしまってはと思い、美羽がいうと、
「平成になってからの縮刷版はCDやDVDになっていますが、古いものになると書籍となっているか、マイクロフィルムにして保存しているんです。書籍として保存していると、膨大なスペースが必要となり、書庫もたちまち一杯になってしまうため、こうした保存方法しかないんです」
 パートの女性から説明を受けた。美羽は仕方なく、目の前の投影機のディスプレイともろそうなマイクロフィルムを腫れ物にでも触る思いで見ていると、パートの女性は、
「こうして巻き取り側の軸をくるくると回して、十二日の記事を探していく他ありません。十二日の出来事ならば、十三日付に掲載されているかも知れませんね」
 事務的に説明して去っていった。美羽は説明どおり、貴重なフィルムを傷つけないようにと、そろそろと巻き取り側の軸を回していくと、ディスプレイには七月三日、五日、十日と画像に変換された紙面が流れていった。
 まがりなりにも三、四歳の子供が死亡しているのだから、記事にならなかったはずはない。しかし、経済面や国際面、ましてや政治面やスポーツ面に載るはずはなく、地域面を辛抱強く見入ったが、それらしいものはただの一行もない。
 十三日付が巻き取られてしまうと、美羽はマイクロフィルムを十二日付までロール側に巻き戻し、もう一度、慎重に送ったが、台風の接近に警戒する記事ばかりで、子供の死亡記事などはない。
 もしかしたら、十三日付に掲載されたのだろうか? 美羽は目を皿のようにしてマイクロフィルムを送っていくと、地域面に、

四歳児死亡
増水した梓川に転落
鳥人の救助甲斐なく
 松本市梓川倭(まつもとしあずさがわやまと)に住む穂積二郎さん(35)の次男、恵介(けいすけ)ちゃん(4)が、前日の台風8号で増水した梓川に転落し、居合わせた宇野(うの)(あきら)さん(27)の必死の救助の甲斐なく、救急搬送先の病院で、死亡が確認された。
 県警によると、恵介ちゃんは兄の偉介ちゃん(6)と自宅近くの増水した梓川を見にやってきて、足を滑らせ、流れに巻き込まれた。恵介ちゃんを助けようとした宇野さんは重体。

 小さな死亡記事があった。美羽は二度、三度と記事に目を走らせた。鳥人、穂積二郎、恵介、偉介、梓川倭、七月十二日と全てがアテーナ司法書士事務所に調べさせた美羽の父方の先祖の名と住所地、そして日時が合致している。
 この小さな死亡記事が、美羽が十五年間、背負い続け、はるばる東京から松本まで訪ね、求めていた真実であった。
 わけが解らない――
 穂積恵介は鳥人に殺されたわけでもなんでもない、
台風で増水した梓川を見物にきて、自分で転落している、
 そして、宇野という鳥人は恵介を助けようとして、命を落としている、
 偉介はなにか勘違いをしているのだろうか、
 こんな空振りにもならない、お粗末な結果をどう報告したらいいのだろう、
 美羽は茫然としながら、小さな死亡記事を大きく引き伸ばして印刷すると、丁寧にマイクロフィルムを巻き取り、投影機から外して返却した。
  
 美羽は松本市街の目抜き通りである大名町通りでタクシーを拾うと、倭橋(やまとばし)までいくよう運転手に伝えた。
 タクシーは野麦街道と呼ばれる百五十八号線を西へ向かい、新村交差点を右に曲がると、すぐに梓川(あずさがわ)をまたぐ倭橋(あずさばし)だった。
 美羽は倭橋南交差点から梓川の左岸を当てもなく歩いた。祖父の弟である恵介の死亡現場を訪ねてみたかったのだった。
美羽はあっと声を上げると、周囲を見渡した。
 偉介の霊が、学生寮である美羽の部屋に現れる直前に、父と祖父の仲が決定的となってしまう夢で、窓の外に見えた第一級河川とは、梓川だったことに気づいた。この近くに父祖の住まいがあったのだろう。
 恵介が亡くなった昭和二十三年七月十二日の午後は、前日の台風の接近により豪雨となり、梓川は濁流となっていたのだろうが、今日は川底も見えるほど穏やかな流れになっている。
 ふと、美羽の目に、増水した河川を侮り、流れに近づいた幼い兄弟のうち、弟が足を滑らせ、濁流に呑み込まれる幻がよぎった。
 そこへ偶然とおりかかった鳥人が、正に尾羽打ち枯らし、半狂乱となった兄の声が響く中、弟を助けようと濁流と戦った。
 この鳥人はなぜ、そこまでして赤の他人の恵介を助けようとしたのだろうか? 美羽が死亡現場に足を運んだ理由の一つを考えたとき、ふと甘いにおいが漂ってきた。甘いにおいの先を目で追うと、菓子工場があった。
 美羽は手を引かれるようにその工場の正門に立つと、古い花崗岩に『宇野明君慰霊碑』と刻まれていることに気づき、目を見開いた。
 たまたまとおりかかったグレーの作業着の下にYシャツを着て、きちんと濃紺のネクタイを締めた五十半ばの男性に、美羽は思わず声をかけた。
「あの、済みません。宇野さんという方は、この工場の関係者だったのですか?」
「古い話ですね。わたしもまだ小さな子供でした。ええ、そうですよ、宇野さんはこの工場で検品係をしていた、と父から聞かされました。あなたは?」
「宇野さんが助けようとして出来なかった男の子の兄が、わたしの祖父なんです。祖父は鳥人が弟を殺した、といい続け、家族はバラバラでした。その祖父も四月の初めに、肺炎で亡くなりました。
 祖父はわたしに十分すぎるものを遺したばかりか、若いときに『黄金の女王』伝説を絵本にしていたことも知りました。
 鳥人を恨み、憎んでいたはずの祖父がどうしてそんなことをしたのか、わたしは確かめたかったんです。でも結局は、解らないままで……」
 美羽はそういうと、肩に羽織っていたショールを取り、タンクトップの背からばさりと羽音を上げて、巨大な黄金色の翼を拡げて、五十半ばの男に見せた。男はしばし目を見開いたが、
「あなたが『黄金の女王』ですね? 動画サイトで拝見しました。まさか、今日、突然にご本人とお会い出来るとは思ってもいませんでした。それと以前から穂高、大町、仁科三湖、白馬に金色の翼をもった女の子が、深夜になると飛び回っていると噂になっていました」
 にっこりと笑い、懐から、
 
田村製菓株式会社
代表取締役社長 田村 (はじめ)
 
と記された名刺を差し出した。美羽は翼を折りたたむと、田村に促され、応接室にとおされた。

 田村は、女子事務員に緑茶と銘菓梓(めいかあずさ)という縦横三センチ、高さ二センチほどの直方体の洋菓子をもってこさせると、美羽に勧めた。
 美羽は梓を口に入れると、ホワイトチョコをスポンジ生地に程よくブレンドさせた上品でまろやかな旨味が拡がった。
「おいしい!」
 美羽は驚き、それまでのどこか思い詰めた表情から、年相応の明るい顔になると、田村はほっと安心して、
「それは当社(うち)の主力商品でしてね、信州銘菓として、おみやげ用に、駅やホテル、旅館に卸させていただいています。ご好評を頂戴し、毎年五月に行われる大規模な自転車イベントの穂高エイドで、参加者の皆さまにも喜んでいただいているんですよ」
 商品の説明をすると、傍らの書架から信州のガイドブックに混じって置いてあった薄い社史を取り出し、二代社長で田村の父である田村(たむら)(とおる)のカラー図版を美羽に見せると、、
「宇野さんの慰霊碑はわたしが幼いときに、社長だった父が建てさせたものだと聞いています。
 聞くところ、宇野さんは無口で大人しい性格だったそうです。体も弱かったので、力仕事の倉庫係はとても無理で、検品係をしてもらっていたそうです。
 昭和二十三年のあの日は、台風一過だったのですが、梓川の水量は納まらず、流域の住人は誰もが不安そうに過ごしていました。遅い昼食を終えた宇野さんは、男の子が落ちたぞ、ロープを持ってこい! という声を聞き、普段は見せなかった翼をひろげ、川面で波に浮き沈みする男の子を助けようとしましたが、元々、体が弱かったこともあって、間もなく力尽きてしまったそうです」
「なぜ、宇野さんは見ず知らずの男の子ためにそこまでしたのですか?」
 一番、気がかりだったことを美羽は田村に尋ねると、田村は、
「わたしも宇野さんの個人的な事情は知りませんが、宇野さん同様に体の弱い妹さんを病で亡くした過去があったということです。病から妹さんを助けられなかった、それがずっと心に残り、濁流の中に見え隠れする男の子を助けることによって、妹さんの追善供養にしようとしたかったのか、あるいは贖罪にしようとしたのかも知れませんね。
 ともかく父は、そうした宇野さんを讃え、慰霊碑を会社の正面に建てたのです。あれからもう五十年が過ぎ、その出来事さえ記憶している者ももうわずかです」
 田村の言葉が跡切れると、美羽は不意に訪ねてきた高校生に懇切な対応をしてくれた礼を述べ、田村製菓を後にした。
 何の当てもなく梓川の左岸を歩き、美羽は、自分はこれから何を成せばいいのか考えた。
 このとき、すぐ傍らに人の気配を感じた。美羽は、
「ねぇ、全然、解んないんだけど。ちゃんと説明してくれる?」
 祖父の霊に怒りを押し殺した低い声でいった。
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