耽美主義少女の脳内は栄光と永遠の楽園2

文字数 6,969文字

 鈴井(すずい)雛子(ひなこ)は、登校途中の東急東横線の車内で痴漢に遭った。
 雛子は大倉山駅に近いマンションに両親、姉の四人家族で住み、山手(やまて)誠栄(せいえい)女学院が最寄駅とするみなとみらい線の元町・中華街駅まで乗車している。
 東急東横線は横浜駅からみなとみらい線に直通運転をしている。
 横浜駅で多くの乗客が下車するかわりに、横浜市の中心部の地下を走るみなとみらい線に乗り込む利用者も多い。
 このみなとみらい線は終点の元町・中華街駅まで五駅しかない短距離で、文教地区の山手に多く建つ女子校の生徒を狙った痴漢が多発する。
 雛子は新高島駅を過ぎた辺りで、スマホの『アルバム』に記録してある六本木の東和麗華学園高等部の大堂(だいどう)恵礼那(えれな)の写真を表示させると、
「お姉さま、もうじき練習試合でお会いできますね。檜町公園で無差別殺人に遭ってから、雛子は強くあろうとがんばっています。わたしのがんばりがお姉さまに少しでも感じていただければ、嬉しい」
 満員電車の中で語りかけると、雛子の脳内では、荘重なオルガン曲が演奏され、ステンドグラスをとおして射し込む美しい陽の光に照らされる中、揃いのウエディングドレスに身を包んだ雛子と恵礼那が、結婚式を挙げる幻が描かれた。
 挙式の場として軽井沢が理想だったが、遠方に過ぎるということだったら、横浜の山手にある横浜カトリック教会か六本木にある鳥居坂教会も雛子は視野に入れていた。
 横浜カトリック教会は山手誠栄女学院に近く、鳥居坂教会は東和麗華学園に近い。雛子にとっても恵礼那にとっても、クラスメートに人生の門出を祝ってもらうには利便で、運命の導きに感じられた。
 このとき、鳥人の生徒に着用を義務づけられたマント越しに、雛子は何者かに尻を触られた。単に他者の体が触れた、という程度のものではなく、明らかに意図的になで繰り回している。
 雛子はプリーツスカートの中に入れておいたICレコーダーのスイッチを入れた。学校からの指導によるもので、防犯ブザーと一緒にもたされている。何者かは、
「ちぇ、子供じゃねぇか」
 不満そうに呟いた。雛子はむっと腹を立てると、尻を触れ続ける者の手首をわしづかみにするや、
「てめぇ、汚ぇ手で人の体にべたべた触ってんじゃねぇ!」
 力任せにひねり上げ、振り返った。白髪の老人が怯えた目をしている。
 車内に緊張した空気が走った。
「何だね、君は? わたしがいつ……」
 老人は(しら)を切り始めた。高級紳士服に身を包み、それなりに立場のある人物のようだった。
 雛子は、老人が檜町公園で襲いかかってきた榊田(さかきだ)浩一(こういち)の姿と重なった。強くあらなければならない――雛子は自らに命じた。
「ふざけるな! 下りろ!」
 みなとみらい線が県庁・日本大通り駅で停車したことから、雛子は老人をホームに引きづり出した。乗降客の目が集まったが、誰もが先を急ぎ、雛子と老人は取り残された。
「お嬢ちゃん、わたしは先を急いでいるんだ。後で謝るから……」
 老人は逃げ出そうとしたが、雛子は翼を広げ、老人の逃げ道を塞ぎ、ICレコーダーを突き出し、
「ちぇ、子供じゃねぇか」
 という音声を再生した。
「認めた、ってことだよね?」
 雛子が問いただすと、老人は目をそらせた。雛子は更に、
「あんた、名前は? 名刺ぐらいもってるよね?」
 問いただすと、老人は、
浜田(はまだ)秀市(しゅういち)。名刺はもってない」
 氏名を名乗ったが、どうせ偽名であろうし、背広の内ポケットに高価な名刺入れが入っていることも察しがついた。
 現行犯なら民間人でも逮捕はできるが、所持品検査と取り調べができるかどうかまでは、雛子は覚えていなかった。
 尋常ではない雰囲気に駅員が、
「お客さま、いかがされましたか?」
 声をかけてきた。雛子は薄笑いを浮かべた。
 駅員は無線で事務室に状況を知らせている。もはや老人は逃げ出すタイミングを逸した。雛子はスマホで110番通報すると、
「あ、もしもし、警察ですか? わたし、今、痴漢に遭って、みなとみらい線の県庁・日本大通り駅の下りホームにいて――はい、駅員さんもきてくれて、ええ、犯人は捕まえています」
 老人をにらみつけながら警察官を呼んだ。老人はがくりと肩を落としなおも、
「許してくれ、許してくれ」
 つぶやき、ホームに膝をついた。雛子は、
「偽名だろうけど、浜田秀市」
 老人を呼び捨てると、老人は顔を上げた。老人は雛子が見逃してくれるのか、と一縷の望みを抱いたが、
「お前は、神奈川県迷惑行為防止条例で裁かれる!」
 雛子は、一九七〇年代半ばから八〇年にかけて放送され、大ヒットとなった硬派な刑事ドラマで主役となった名俳優になりきり、冷然と告げた。
 雛子の脳内にドラマのクライマックスでながされたオープニングテーマの再生が始まった。
 タイミングよくオープニングテーマがさびの部分に入ったときに警察官が二人、駆けつけた。
 雛子はいくつか職務質問を受け、老人が連行されていくと、脳内のオープニングテーマの再生もぴたりと終わり、
「お姉さま、わたしは強くありたいとがんばっています」
 雛子は硬派な刑事ドラマ同様に、自分のアップで朝の出来事を締めくくった。


 暫定施設とはいえ、横浜駅東口に近い新高島にあるみなとみらい競技場は、本格的な設備をいくつも揃えたウイングボール競技場であった。
 観客席こそ簡易な雛段のごとくであったが、三八〇〇〇人が収容可能で、南北サイドスタンドに大型映像装置が二基設置され、試合の進行を的確に観客に伝えられる。その他にスピーカー三百九十台、照明五百五十灯を備えている。
 こうした最新設備をコントロールルームで一括管理するのは、山手誠栄女学院の生徒たちで、在籍校と他校の対戦試合の際には、『学生たちによる手作り』を旨としているからで、多少の失敗はあったとしても、応援にやってくる父兄からは評判がよかった。
 勿論、競技場所属で舞台設営の仕事に永年携わったベテランが、生徒たちからいつどんな質問が上がってもいいように、コントロールルームに詰めているが、最新鋭の設備を使いこなす学生の方がはるかに勝手が解っており、舌を巻かされることも多い。
 学生たちの中で、ディレクターと呼ばれる放送部の部長が、機器の不具合よりも画面に重ねる選手たちの情報の正確さに気を配り、何度もチェックさせている。
 近年はキラキラネームと呼ばれる難読な名がつけられ、誤読をしてしまっては、たちまちネット上のさらし者となり、直ちに謝罪しなければならない。
 ディレクターは、東和麗華学園中高等部との試合開始まで十二分あり、この間を埋めようと、観客席でインタビューを続けている高二4組の橋田(はしだ)澄果(すみか)を呼び出した。
「はい、こちらは観客席です。ゴールデンウィーク前半の日曜日ということから、みなとみらい新高島地区は人出でごった返しています。特に、外人の観光客が多く、この競技場に立ち寄ってくれる人も少なくありません。早速、お話を伺ってみましょう」
 澄香は、観光客らしく、上背のある口ひげを蓄えた外人に声をかけると、撮影クルーが素早く外人と澄香を囲んだ。
「日本の女学生のウイングボールに興味をもっていただけたようですね?」
 澄香がいうと、将来は英語圏で活躍したい、と志望をもった英文コースの高等部の生徒が、英語に翻訳して伝えた。
「ああ、興味津々だよ。いい試合を期待しているぜ!」
 友好的な言葉が返ってきた。二人目の外人と目が合うと、半袖から覗く筋肉質の両腕は、肩から手首までタトゥが入っていたが、澄香と通訳は臆することなく、
「今日は、どんなシーンに期待していますか?」
「ずばり、『黄金の女王』だね。でも……」 二人目の外人が含み笑いをすると、澄香は首をかしげ、
「ワッツ?」
「『黄金の女王』って本当にいるのかい? 僕が住む町ではCGかAIじゃないのかって噂だぜ。ペルーの童話だかアンデスの昔話だかの主人公が日本に現れた、だなんて……」
 澄香と通訳の足許でノート型パソコンを広げていた園田(そのだ)真希(まき)は、むっとして、インカムに、
「美羽、あんたの翼が目障りで邪魔くさいっていってるやついるよ」
 いうと、三百メートル上空で準備運動をしていた美羽が急降下してくるなり、
「エニィ クエスチョン?」 
 翼を小刻みに羽ばたかせ、滞空すると、外人にすごみをきかせた。ウイングボールの試合は広大なコートを用いるため、肉声では指示や伝達が伝わりにくい。そこでインカムを使うのだが、真希は醍醐から記録係兼広報係も命じられているから、ウイングボール部のレギュラー同様にインカムの装備も認められている。
 黄金に輝く巨翼を羽ばたかせた美羽が突然に眼前に現れ、外人は絶句し、
「ワォ! マイガッ!」
 すぐに美羽に握手を求め、
「光栄だよ、『黄金の女王』に声をかけられるなんて。故郷(くに)に土産話、いや自慢話ができたよ」
 CGかAI呼ばわりしたことを悔いた。
「調子のいいヤンキーだ」
真希は呟きながら、メールに大量に添付した恵礼那の写真を雛子のパソコンのメールアドレスに送信した。代金を振り込む真希の銀行口座は既に知らせてある。
 こうして、美羽や『白銀の姫君』の写真もファンに高く売れる。
 先日、東和麗華学園中高等部で模擬戦がおこなわれたとき、真希の『アルバイト』をバラされかねないSNSが流れ、ひやりとしたが、幸い誰も気づかなかった。
 このとき、恵礼那から第一ピリオドに出場するレギュラーメンバーに、センターラインへの集合が命じられ、美羽は不承不承、集合地点へ向かった。
 コントロールルームでは、澄香と通訳から競技場全体を俯瞰したカメラで出場選手がセンターラインで対向し、一礼をする画面を伝えると、すぐに放送席でレポーターを務める高三2組の小川(おがわ)愛輝(あき)を映すカメラに切り替わった。
 南北の大型映像装置に映し出されている画像の流れも自然で、山手誠栄女学院の放送部のレベルの高さが窺える。
 ヘッドホンに解説の紹介、選手の紹介とそのポジションの説明を始めるようディレクターの指示が入ると、愛輝は落ち着いた物腰で、
「皆さん、こんにちは。
 今日は東和麗華学園中高等部と山手誠栄女学院中高等部のウイングボールの練習試合を観戦いただきありがとうございます。
 ただいま南北の大型モニターに映し出されている画像は、全て山手誠栄女学院放送部によって制作されています。
 まずは今日の解説役として東和麗華学園高一A組の志垣(しがき)逸希(いつき)さんにお越しいただいています。
 志垣さん、今日はよろしくお願いします」
 中高生の手作りで、対戦校の部員を解説に招き、完全に中立を守っていることを印象づけた。
 しかし、愛輝は解説を逸希に頼んでいても双子姉妹の志垣(しがき)瑞希(みずき)は試合に出場していることは口に出さない。
 双子はいつも二人揃って一山いくら、という言葉尻をとらわれようものなら、逸希と瑞希はたちまちに機嫌を損ねることが解っているからだった。
「よろしくお願いします」
 制服姿の逸希がこたえると、愛輝は、
「それでは第一ピリオドの出場選手を紹介しましょう。
 まずは東和麗華学園からです。
 背番号1番、高三B組、大堂恵礼那、
 背番号2番、高一A組、大堂遙流香、
 背番号30番、高一C組、穂積美羽、
 背番号12番、高一B組、志垣瑞希、
 背番号23番、中一A組、花之木仁菜、
 ポジションは、
 PG(ポイントガード)は大堂恵礼那、
 SG(シューティングガード)は大堂遙流香、
 SF(スモールフォワード)は穂積美羽、
 PF(パワーフォワード)は志垣瑞希、
 C(センター)は花之木仁菜 。
 続いて山手誠栄女学院です。
 背番号1番、高三1組、鈴井雛子、
 背番号2番、高三1組、(はなぶさ)(さかえ)
 背番号5番、高二3組、大澤(おおさわ)智沙(ちさ)
 背番号6番、高一2組、汐井(しおい)(あかね)
背番号8番、高一1組、黒沼(くろぬま)明日香(あすか)
 ポジションは、
 PGは鈴井雛子、
 SGは英栄
 SFは大澤智沙、
 PFは汐井茜、
 Cは黒沼明日香、
 となります」
 試合前のインターバルを使い、選手紹介の音声に合わせ、南北の大型映像装置に情報が表示される。また、ポジションもコートの平面図に重なって図示されるので、ウイングボールを知らぬ者でも理解が深まる。
 センターラインに整列した美羽は、このとき初めてピーちゃんこと雛子が山手誠栄女学院のウイングボール部のキャプテンであったことを知った。
「東和麗華学園の出場選手の中に、一人だけ中等部の生徒がいます。この生徒は相当の実力者、ということでしょうか?」
 愛輝が逸希に尋ねると、逸希は、
「特筆するものがある部員、ということではありません。ただ、花之木も御校のキャプテン鈴井選手もソートⅠであり、この機会にソートⅠの戦い方を経験してほしい、という当校の大堂キャプテンの判断によるものだ、と聞いています」
 中等部の部員を試合の展開によっては、次々と交替していく恵礼那の腹づもりを説明した。
 このとき、審判がセンターサークルでボールをトスアップした。試合開始だった。
 東和麗華学園のジャンパーは遙流香、山手誠栄女学院は雛子が高々と飛翔した。
 雛子は飛翔しながら、
「全知全能の神よ、今こそわたしが有罪か無罪かお裁き下さい」
 叫ぶと、遙流香も飛翔し、ボールをはたくと、
「ピーちゃん、なにかやったのか? カツアゲか? シャブか?」
 尋ねた。雛子には、この練習試合で遙流香を負かせ、恵礼那に認めてもらいたい、という思いと同時に、先日、県庁・日本大通り駅で痴漢をはたらいた老人を問答無用に警察に突き出したが、あそこまでやる必要はなかったのかもしれない、という思いがよぎり始めていた。
 しかし、電車内での痴漢には厳しくあたらなければならない、痴漢に遭ったことで恐怖から不登校や中退してしまう被害も絶えることがないのも実情だと、雛子は相談をもっていった生活指導部の教師から説かれていた。
 遙流香がはたいたボールをすぐに美羽が空中でキャッチし、山手誠栄女学院のゴールへ向かって羽ばたいた。
 サイドラインぎりぎりを飛翔することによって、側面からのディフェンスは片側からのみ気を配ればいい、という作戦だった。
 しかし、すぐに『attention』(注意)の文字が美羽の周囲で点滅し、同時に警報が鳴った。
 この空中に文字が複数、表示され、プレイヤーと一緒に移動する技術は、コートを構成する白いラインに人感センサーが設置され、センサーが作動すると、レーザーによって文字が表示されるハイテクノロジーであった。
 更に、競技場全体に警報が鳴っては試合の妨げになり、観客も非常警報かと慌てることから、ラインを超えた挙動をしようとしている選手のみに聞こえるパラメトリック・スピーカーという超音波を使い、鋭い指向性をもたせた音響システムだった。
 鳥人たちが高速で移動しながら試合を続けるウイングボールに求められた先進のテクノロジーである。
 美羽の周囲で点滅し、警報を鳴らすレーザーが五秒を過ぎると、『warnnig』(警告)に変わる。
 これが三秒を過ぎると、『violate』(違反)となり、ファールを取られるのだが、美羽はすぐにサイドラインから離脱し、山手誠栄女学院のバックストップ・ユニットへシュートをたたき込む姿勢に入った。
「『黄金の女王』!」
 雛子と智沙がリングに手を伸ばしたが、半瞬遅れ、美羽が二点を挙げた。
 競技場内に拍手が起きた。
「まだまだ! 試合は始まったばかりよ!」
 公の場で初めて見せた『黄金の女王』のプレイに気を呑まれた部員たちに、雛子が叱咤すると、恵礼那は遙流香のユニフォームの裾を引っ張り、着地させると、何事か耳打ちをした。
「『黄金の女王』が先取点! コートを縦断した独壇場を初めて目にした観客から拍手が上がっています。
 さすが、人命救助を果たした穂積選手。ひと味違うものを感じます!」
 愛輝が感嘆の声を上げると、逸希は、
「あ……いえいえ、美羽はウイングボール競技場のハイテク機器で遊んでみたい、といっていましたので、今のプレイは……」
 言葉を濁したが、当の美羽は、チームの誰彼構わずに目を輝かせて、
「すごいですね、見ました? 空中に文字が書かれて、警報が鳴るんですよ! ウイングボール競技場は聡子先生がいったとおり、ハイテクの塊なんですね!」
 一人で浮かれた。真希はチームベンチエリアから一二〇〇ミリの超望遠レンズを美羽に向け、高速シャッターを切りながら、
「田舎者」
 ぼそりと呟いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み