部活動再建の道は危なく険しく果てしなく1

文字数 6,598文字

 榊田(さかきだ)浩一(こういち)の目つきは、鋭さを増していた。
 六本木三丁目に借りている部屋は古い。カーテンも雨戸も閉め切り、もうそれが数か月続いている。
 家賃は銀行振込であったから、榊田が未亡人の大家と顔を合わせることはめったとない。
 未亡人も駐車場と墓地に囲まれ、谷間にある昭和の中頃のボロアパートなど、土地ごと売り払って、数百メートル先の六本木通りに面したマンションに移りたいのだが、亡くなった夫とは違い、世間に疎く、何かと不安が多い。
 どこに相談すればいいのかも解らない。
 その不安の中には、入居者の一人である榊田のこともあった。
 何日か前、榊田の部屋を目にする機会があったのだが、一体、どこから買ってくるのか、槍や剣の類いが無造作に散らばっていたのだった。
 銃刀法に厳しい日本のことだから、勿論それらは模造品であろうが、暖かくなり始めたこの時期になっても、部屋の中でもニット帽を深く被り、その奥から異様に鋭く、黄色に濁った目つきは不気味だった。
 榊田は、二十代も半ばを過ぎているにもかかわらず、いまだ定職に就いていない。
 高校を卒業間近にしたときは、調理師免許を取得し、赤坂の料亭でコツコツと板前の修業を続け、やがては小さくとも自分の店をもつ、という志望があった。
 しかし、社会に出ると同時にその願いは打ち砕かれた。
 格式のある料亭や知名度の高いファミリーレストランは、調理人は募集などしておらず、縁故で雇用されるのが実情だった。
 父はタクシーの運転手で、業界に何のつてもない榊田は、たちまちに行き詰まった。
 牛丼チェーン店は、本部で開発されたメニューを温めて出すだけで、工夫の余地などない。
 昼時になれば店先に行列ができるようなラーメン店も、調理師免許取り立てで、実績のない榊田を雇ってくれるはずもない。
 駅の立ち食いそば屋も競争が激しかった。
 榊田は、まるで当てが外れた。
「ちょっと、榊田さん。今、いいかしら?」
 ふと、ベニヤ板でできたドアの向こうで、大家である未亡人の声が聞こえた。
 榊田は仕方なくドアを開けると、しぼみ始めた風船のような初老の大家が立っていた。
「何ですか?」
 榊田が老女にぶっきら棒に尋ねると、
「少しは雨戸を開けて、風をとおしてちょうだい、部屋が傷むじゃないの」
「ここ、一階で、空き巣が怖いんですよ」
 何だ、そんな用事か、と露骨に舌打ちをし、榊田はドアをぴしゃりと音を立てて閉めた。
 榊田は、調理師ではとてもやっていけないことが解った。
 途方に暮れ、コンビニでアルバイトを始めたが、仕事が多岐にわたり、多忙に過ぎてとても手に負えない。
 それでも辛抱を重ね、働き続けていたが、客から目つきが悪いと、クレームをつけられ、すぐにシフトから外された。
 勤務内容はともかく、目つきまでは自分ではどうしようもなかった。
この頃、メールのやりとりを続けていた女性との音信が途絶えた。
 携帯電話ともども着信拒否にされたのだった。
 仕事を転々とする自分に愛想を尽かされたのだろう。
 秋葉原でアイドルになることを夢見て働く彼女とは、見ている世界が違い過ぎることは既に解っていた。
 心の奥底に、女性への恨みが生まれた。
 女性を酔わして、金を巻き上げてやるんだ――榊田は六本木交差点近くのホストクラブに入店した。
 クールな面差しが女性客には受けがいいらしく、ここ一、二年は収入が安定している。
 しかし、いつまでも続けられる仕事ではない。
 ――ちくしょう、ちくしょう!――
 榊田の目が異様に据わった。
 ふと、万年床の傍らに古新聞にくるまったダガーナイフを手に取った。
丁度、自分の前腕と同じ長さのものを秋葉原で見つけ、買った物だった。
 新聞には、先日、六本木交差点で崩落する足場から小学生を救出した近隣の女子校の生徒の活躍が小さく報じられている。
仕事にアブれた自分と華麗な翼を生まれながらにもつ女生徒……あまりに不公平な社会を榊田は見た思いになった。
 この鳥人を()るのは無理にしても、近隣のお嬢さま学校にかよう上流家庭の子女を……
 いや、誰でもかまわない、華やかな六本木で無差別殺人を起こしてやる、これは俺を捨てた社会への復讐だ、正当な行為なんだ!
 榊田は、ダガーナイフを握る右手に力を込めた。

 ○

 鳥居坂といっても、六本木五丁目交差点に繋がる外苑東通りまでは、しばらく平坦な道が続く。
 下り坂になり始める、東和麗華学園の法人事務局や大学院が入る西洋建築の傍らにある中高等部の校門から穂積(ほづみ)美羽(みわ)は、放課後になると、大堂(だいどう)恵礼那(えれな)遙流香(はるか)姉妹とともに外出した。
 美羽は昨日、ウングボール部へ入部届を提出していた。
 実力からすれば、美羽は部長に()いても不思議ではないが、先任者の恵礼那の立場と副部長の遙流香の扱いも考え、副部長補佐という、とってつけた役職を与えられた。
「それで、ウイングボールのハウツー本って、東京ミッドタウンの中の大型書店にあるんですか?」
「そのはずよ、全国展開しているチェーン店だもの」
 恵礼那がスマホで調べていうと、遙流香が向かい側の歩道の電信柱の陰に見え隠れている鳥人の女子生徒に気づき、
「また、スズメのピーちゃん、きてるよ」
 姉にいうと、ピーちゃんと呼ばれた女子生徒は、
「わー、恵礼那さん、偶然ですね!」
 恵礼那に駆け寄ってきた。
 どう見ても、校門の前で恵礼那を張り込んでいたようにしか見えず、男子生徒ならとっくに守衛に追い払われているところだった。
 美羽はきょとんとして、
「ピーちゃん?」
 駆け寄ってきた女子生徒に尋ねると、女子生徒はクラスメートの園田(そのだ)真希(まき)よりも小柄な身長一四二センチの胸を張り、
「失礼ね、鈴井(すずい)雛子(ひなこ)。横浜の山手(やまて)誠栄(せいえい)女学院三年生。あなたね、『黄金の女王』って」
 美羽の背にたたまれた翼を見ていった。
 美羽は真希を思い出しながら、
「よろしく。穂積美羽です」
 自己紹介した。
 そういえば、美羽が、放課後に東京ミッドタウンに出かけるという予定を話したが、真希は珍しくついて行きたい、とはいわず、バイトで買ったという一二〇〇ミリの超望遠レンズを高級一眼レフデジタルカメラのボディに装備し、シリコンクロスで磨いていた。
「鈴井雛子、略してスズメのピーちゃん」
 ふと、遙流香がいった。
 スズメは鈴井からとり、ピーは雛子からもってきたのだろう。
「かわいらしい呼び名ですね」
 美羽が苦笑いしながらいい、
「でも、横浜の学校の生徒さんがどうして六本木に?」
 雛子に尋ねると、雛子は、
「恵礼那お姉さまの妹には、わたしがふさわしいの!」
 遙流香をにらみつけて叫んだ。
「東和麗華学園のウイングボール部は、姉妹校の山手誠栄女学院とよく練習試合をするんだけど、いつの頃からか、ピーちゃんが恵礼那に一目惚れをしたんだよ。それで、本物の妹のわたしより、自分こそが恵礼那の妹にふさわしい、とかいいだして……」
にらみつけられた遙流香が、美羽に説明すると、雛子は恵礼那の腕に抱きつき、
「妹じゃありません、お嫁さんです」
 美羽が茫然とすると、
「さあ、お姉さま、急ぎましょう。東京ミッドタウンに行かれるのですよね。わたしがご案内します」
 雛子は恵礼那を促すように歩き始めた。
 聞くところ、姉は日本のウイングボールを牽引した星野ゆかりに憧れ、ウイングボールを始めた。
 遙流香もそんな恵礼那に憧れて部活動を続けている。
 普段は険の強い顔をした姉だが、同性に憧れる女子高生らしい一面もあり、かわいらしい。雛子の姿は自分に重なる。
「それで、お姉さま、お式は二人きりで軽井沢で挙げたいんです。勿論、披露宴は紀尾井町のホテルで」
 遙流香が美羽と並んで歩いているその前を、雛子と恵礼那が歩いているのだが、雛子は恵礼那にプロポーズを始めている。
 遙流香も茫然としていると、
「住まいは、渋谷区にしましょう。同性の結婚を認めてくれていますから」
 雛子の話は具体的となっていった。
 周囲に高級マンション、鳥居坂教会、麻布地区総合支所、東和麗華学園初等部と幼稚園が広がり、都心の一等地らしい。
 六本木五丁目交差点に四人がでると、先日、足場が崩落したビルは外壁工事を終え、それまでのモルタル吹きつけから、赤レンガ貼りへと外観を変えている。
 外苑東通りは繁華で、そのまま頭上を首都高が走る六本木交差点へと続いている。
 美羽は、大江戸線と日比谷線の駅がある地下道を通るのかと思っていると、三人は六本木通りの信号が赤から青へ変わるのを待ち始めた。
「あの、地下道を通らないんですか?」
 誰にともなく尋ねると、
「地下道を使うと、階段を上ったり、下りたり、右にも左にも遠回りするから、嫌なの」
 恵礼那がこたえた。
 四人全員が鳥人なのに、東京ミッドタウンまで飛んでいかないのは、六本木は電線が多く、危険だからだった。
 六本木交差点を渡ると、すぐにガラスの塔が建ち並ぶような東京ミッドタウンに着いた。
 一流企業が多くテナントとして入り、レストランも軒を競う東京ミッドタウンは、複数の建物からなり、雛子のいうとおり、ガレリアという棟で大型書店をぞろぞろと四人の鳥人女子高生が探し回っても行き着けない。
 幸い、ホテルのフロントのようなインフォメーションを見つけ、雛子が慌てて道筋を尋ねると、イーストと呼ばれる棟にあることが解った。
「ピーちゃん、しっかりしろよな」
 遙流香がいうと、雛子は、
「お姉さまと少しでも一緒にいたいの。女の子の心の機微を察してよね」
 わざと道に迷った振りをしているように言いつくろった。
 ようやくに大型書店に着くと、スポーツの書架はすぐに見つかったものの、ゴルフやプロ野球のハウツー本が数えるばかりで、後は月刊や季刊の専門誌だけだった。
 東京ミッドタウンの大型書店にウイングボールのハウツー本を見つけ、今までの口伝のごとくの部活動ではなく、論理的な練習をしたい、と言い出したのは恵礼那だったから、恵礼那も言葉をなくしたが、すぐに、スマホを取り出し、岸体育館内にある全国ウイングボール連盟の事務所に電話をかけると、幸いにも星野ゆかりが出た。
 恵礼那は、新入部員が多くなったこの時期に、論理的な練習のためにウイングボールのハウツー本を探しているが、当てにしていた書店には一冊もなかったことを話し、星野に助言を乞うと、
「ウイングボールのハウツー本はどこの出版社も発刊してないの。強いて言うなら、大会規則集を連盟が、同人誌よろしく扱っているぐらいね。それも、日本語に翻訳した人が数人いたからか、表現が一定していなくて」
 ウイングボールは、日本では知名度が低いことを印象づける結果になった。
「それじゃ、ほかの学校や実業団はどうやって練習しているんですか?」
 恵礼那が尋ねると、星野は、
「仕方ないから、バスケットボールとラグビーの入門書から抜粋して練習に活かしているわ。それから、発行部数が少なくて手に入るかどうか解らないけれど、野鳥の観察のための手引き書、みたいなのがあって、鳥人の挙動を鍛えるための参考になるの」
 有効な情報を与えた。
 恵礼那は、野鳥の観察入門書とは盲点で、深く礼を述べると、通話を終えた。
 美羽と遙流香と雛子に、資料はネット注文することにしたと説明すると、檜町公園を歩いてみたく、東京ミッドタウンのイースト棟を出た。
 東京ミッドタウンも檜町公園も二〇〇年前は萩藩毛利家の下屋敷があった場所で、その広さを体感すると、毛利家の権勢も窺い知れた。
 緩やかな斜面に芝生が広がり、遊具に子供が歓声を上げている。
 池に面した休息所と名づけられた和風建築が彩りを添えている。
 美羽、恵礼那、遙流香、雛子がのんびりと遊歩道を歩いていると、不意に傍らで、
「うおおおおおおっ、ぶっ殺してやる!」
 男の怒声が上がった。
 榊田浩一がダガーナイフを振り上げ、四人の女子高生に襲いかかったのだった。
 檜町公園の空気が凍りついた。
 まさか、無差別殺人が発生するとは、今の今まで誰も想像すらしていなかった。
 ダガーナイフが眼前に迫ると、雛子は悲鳴を上げ、遊歩道にへたり込んだ。
 榊田は恵礼那を目にすると、
「てめぇが『黄金の女王』か!」
 人違いを始めた。
 恵礼那は、女の子の名前を呼び間違えた男にかぁっと腹立ちを覚え、どうしてやろうかと、考えた。
「恵礼那!」
 遙流香は、姉の名を叫ぶと、わずかに羽ばたき、問答無用に榊田に鼻へ膝蹴りを食らわせた。
 通り魔の鼻骨が、他愛もなく潰れたことが膝の感触から解った。
 通り魔は鼻血を吹き、顔面を血まみれにした。
 ニット帽とダガーナイフは吹き飛び、薄れゆく意識の中で、初めて自分がとんでもない一団にケンカを売ったことが解った。
 それだけでは済まなかった。
「『黄金の女王』はわたしだよ!」
 美羽も人違いをされたことに激怒し、ダガーナイフを振り上げた榊田の右手首を力任せにひねり、通り魔の体を遊歩道にたたきつけた。
 榊田は気絶する一瞬、遙流香に膝蹴りをまともに食らったときに見えた、遙流香の下着がまぶたの裏によぎり、
「フリフリのピンク色のパンツ……」
 手を伸ばそうとしたが、意識がなくなった。
「女の子の名前を呼び間違えて!」
 恵礼那はプリーツスカートのポケットから手錠を取り出すと、血まみれになって気絶した榊田の両手にガシャリと音を立てて手錠をかけた。
 たちまち、檜町公園で憩いのひとときを楽しむ人々が拍手して群がってきた。
「ベリーストロング!」
「ナイス ジャパニーズ ハイスクールガールズ!」
「おい、『黄金の女王』がまたやってくれたぜ!」
「フォト プリーズ!」
 通り魔を生け捕りにした美羽、恵礼那、遙流香は歓声の中と、電子機器のシャッター音の中に放り込まれた。
「ピーちゃん、いつまで座り込んでいるんだ?」
 榊田が襲いかかってきたときに、悲鳴を上げてへたり込んだ雛子を遙流香が助け起こすと、雛子は失禁していた。
「あの、これ、お漏らしじゃないの。スポーツ飲料こぼしちゃって……」
 遙流香は雛子の粗相に気づき、自分のマントを素早く雛子に肩にかけた。
 雛子は小声で、
「次は負けないんだから」
 ぼそりと遙流香にいった。
 遙流香は、無様に遊歩道に叩きつけられた通り魔の手首に食い込んだ手錠を見ると、
「なあ、恵礼那。お前、いつも手錠なんか持ち歩いているのか?」
「ち……違うよ、今日はたまたま持っていただけ。普段は、ちゃんと」
「変な性癖は勘弁だぜ」
 妹にSM趣味を見抜かれると、雛子にまで、
「わたし、慣れるようにします。吊されても、叩かれても、縛られても、大丈夫です。ろうそくを垂らされるのだって」
「あれ、熱くない!」
 恵礼那は声を上げて、遙流香と雛子に言い返した。
「何の話ですか?」
 美羽だけが話について行けず、首をかしげ、尋ねた。
 恵礼那ははっとして、妹を見ると、
「遙流香、あんた、フリフリのピンク色のパンツって……」
 榊田が気絶する一瞬に言った言葉を思い出して言うと、
「まさか、あんた、わたしの、また勝手に」
 遙流香のプリーツスカートの裾をまくり上げると、妹の下着を確かめた。
 フランスのセクシー下着を専門に扱うメーカーの製品で、バラの刺繍が入り、レースをふんだんに使ったTバックで、間違いなく恵礼那がネット通販で取り寄せたものだった。
「いやぁ、やめて!」
 衆目の中で下着をさらけ出され、遙流香は慌ててプリーツスカートを押さえて叫んだ。
 遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

 この出来事から十五分もたたず、アカウント名マキちゃんが、超望遠レンズで撮影した檜町公園の通り魔事件の連続写真をSNSで世界中に発信した。 
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