耽美主義少女の脳内は栄光と永遠の楽園1

文字数 7,113文字

 六本木の繁華街にあり、夕食時間帯ということから、ステーキ専門店『ステーキグレート』は、家族連れで賑わっていた。
 穂積(ほづみ)美羽(みわ)は、(かけい)美雪(みゆき)とスープバーに近い、二人がけのテーブルにとおされていた。
 美羽と美雪はマントを背もたれにかけ、学校制式のショルダーバックを床に置いた。
 女子高校生の二人連れが、下校途中にファミリーレストランで食事など、美羽は気後れしたが、校則で禁じられているわけでもなく、美雪に大きな借りをつくった以上、誘いを断われない。
 『ステーキグレート』は、床一面フローリングで、壁も腰板を張り、カントリーサイドが演出されている。
 すぐに洗練された物腰のウエイターがオーダーを受けにくると、美羽はテーブルの上のグランドメニューにもたついたが、美雪は、
「一八〇グラムのサーロインステーキを二人前。サイドメニューは健康サラダバーにしてちょうだい」
 てきぱきとオーダーを告げた。ウエイターが去っていくと、
「健康サラダバーにしておくと、店内のものが実質食べ放題になるの」
 言うなり、スープバーからカレーライス、プチパンを取り皿に取り、オニオンスープをカップに注いだ。美羽は作法というのか要領に困っていたから、慌てて美雪の後について回った。
 二人がけのテーブルに戻ってくると、美雪はオニオンスープを口にしながら、
「美羽さんは面倒見がよすぎるのよ、一言『風を使いこなしなさい』と言えば済むものを、わざわざ模擬戦を始めるなんて。星野さんだっけ。あれじゃ、一選手にされて、コーチにならなかったじゃないの」
「……美雪さんは、本当にしっかりしていますね。二つ年上とは思えない。まるで、お母さんみたい……」
 先ほどの模擬戦で、中等部の部員を厳しく指導した姿勢といい、店内での洗練された振る舞いといい、美羽はとてもかなわない、と思えた。
「ただの慣れよ。部長をやらされ、父親にファミレスを連れ回されれば、こうもなるわ」
 美雪が自嘲していったとき、すぐ傍らで鳥人の幼女がじっと二人を見つめていることに気づいた。
 美羽は幼女の視線にたじろいだが、美雪は幼女に、
「何?」
 問うと、幼女は照れたのか、足音もけたたましく走り去った。すぐに、
「ママ、ママ。女王さまとお姫さまがいる」
 声が聞こえたかと思うと、幼女は母親の手を引き、美羽と美雪の前に連れてきた。ますます美羽は幼女同様に顔を赤くしたが、母親が、
「ま……あ、『黄金の女王』と『白銀の姫君』――ごめんなさいね、お食事中に」
 六本木五丁目交差点の事故の地元住民らしく、息を呑んだ。幼女は母親に何事か耳打ちすると、
「あの、娘がお二人の翼に触らせてほしいって。お願いできますか?」
 母親がおずおずというと、美雪は何のこだわりもなく、
「はい、どうぞ」
 白銀の翼をわずかに広げた。幼女が目を輝かせてなでると、美雪は、
「ほら、美羽さんも」
 幼女よりも照れて、おろおろしている美羽を促した。美羽も黄金の翼をわずかに開くと、幼女は嬉しそうに触った。
 オーダーしたメニューが運ばれてくると、母親は幼女の手を引き、何度も頭を下げながら去っていった。
 美羽と美雪はフォークとナイフを手に取ると、食事を始めた。ふと美羽は、
「わたし、目立っているんでしょうか?」
「翼が目立っているんじゃなくて、たたずまいが目立っているのよ。自分で気づかないの?」
 美雪がステーキをナイフで切りながらいうと、
「わたし、目立つのが苦手で……」
 美羽は困ったようにいうと、
「目立つか目立たないか、世間が決めることだから。でも、あなたはわたしよりもはるかに人を引きつける魅力がある。少しずつでも自覚していきなさい」
 鎌倉の清風ホームの神野が説いた美羽がもつ求心力を美雪も語った。
 自分のように何の自信ももてぬ者に、何の魅力があるのか? 美羽はますます困惑した。
 食事を終えると、美雪はレジでクレジットカードを出し、一括払いにすると、美羽は高校生にカードをもたせる美雪の父という人の考え方がはかりかねた。
 六本木の繁華街に出ると、美雪は、
「おいしかったわ、また付き合ってね」
 気さくにいうと、夜の都心を飛び去っていった。
 美羽も高輪の学生寮へ帰ろうと地下鉄の駅へ歩き出したそのとき、雑踏の中に長身痩躯の老人が不自然に立ち尽くして、自分を見つめていることに気づいた。
「あの人――生きている人じゃない」
 美羽はぞっとすると、逃げる思いで地下鉄の構内へつうじる階段を駆け下りた。


 東和麗華学園中高等部のグランドでは、ウイングボール部の練習が行われていた。
 高一B組で背番号12番の志垣(しがき)瑞希(みずき)は、高一A組の背番号13番の志垣(しがき)逸希(いつき)と中等部の部員を集め、講義をしている。
「さて、先日、体験してもらったとおり、ソートⅠでも天候次第で大活躍ができます。今日は更に自信をつけてもらおうと思っています」
 瑞希が言うと、
「花之木、前へ出て」
 逸希が、先日、『黄金の女王』からパスを受けて、模擬戦に決着をつけた中一A組で背番号23番の花之木(はなのき)仁菜(にな)を見ていうと、仁菜は瞬時たじろいだが、
「はい!」
 手を上げ、大きな声でこたえた。もはや、高等部の部員からも一目置かれた感のある仁菜に羨望の目が集中した。
「花之木、翼を全開」
 瑞希がいうと、仁菜は翼を展帳した。逸希は仁菜の翼を指示棒で指すと、
「わたしたち鳥人の翼は、鳥類と同様のつくりになっています。翼先端の長い羽を初列風切といい、これを広げると、翼面が拡大し、揚力と推力が飛躍的に増し上昇、加速を更に得ることができます」
 仁菜がぱっと初列風切りを開くと、微風でもよろけるほどだった。
 瑞希と逸希は打ち合わせもなく、呼吸の合った講義を続けられるのは、部員ですら見分けがつかない双子ならではなのだろうが、これを本人たちの前でいうと、たちまちに機嫌を損ねる。
 双子は二人揃ってやっと一人前、と幼いときから誰にともなくいわれる続け、早くに自立心を養ってきたのだろう。
「では、これからパスを受けた後、攻める側のA班、守る側のB班の二班に分かれて、飛翔、シュートの練習をしましょう」
 瑞希がいうと、逸希が素早く中等部の部員を二班に分けた。
 まず、A班にパスをする役として、高一C組で背番号30番の美羽が着いた。『黄金の女王』が中等部の初歩的な練習に胸を貸してくれることに、誰もが意外で顔を見合わせると、高一A組で背番号2番の遙流香(はるか)が、
「あれぇ、皆またビビっちゃった? 美羽に二つ名がついているからって、皆と同じ、入部三週間目の新入部員だからね」
 さりげなく念を押すと、仁菜は、
「いいえ! よろしくお願いします!」
 中等部を代表するようにいうと、すぐに、
「わたしもです!」
「よろしくお願いします!」
 積極的な雰囲気を取り戻した。
 先日の模擬戦同様に、美羽がA班になった仁菜にパスをすると、仁菜はすぐにゴールを目指して飛翔を開始する。
 これをB班になった中一A組で背番号27番の三木(みき)華生(はなき)がディフェンスを繰り返す。
「ほら、A班、B班、声出てないよ!」
 瑞希と逸希が揃っていうと、
「行くぞ!」
「ここから先は行かせない!」
 仁菜も華生も声を上げ始め、盛り上がっていく。
 練習が進むにつれ、強い風が吹き始めると、
「飛翔が無理になったら着地して下さい。着地して三歩以上歩くと反則になります。後続がすぐに入って、パスを繰り返し、ボールを奪われないようにします」
 瑞希がA班に指示を与えると、逸希がB班に、
「相手が着地したら絶好のチャンスと思って、降下してボールを奪って下さい。鳥類も餌の奪い合いのとき、位置の高い側が、優位になります」
 重力も利用することを説いた。
 パスを送る役を美羽ばかりにやらせているわけにもいかず、部長で高三B組で、背番号1番の恵礼那(えれな)と副部長の遙流香が交替で担い、ときには速度のあるボールを送っても中等部の部員たちは着いてこられるようになった。
 七月の大会に向けて、次第に部員たちが鍛えられていく状況に、恵礼那は第一回戦の対戦相手である就学園のキャプテン、美雪の下着を思い浮かべ、
「高校生のくせに、インポートやキュートランジェリーなんて……」
 自分のことは棚に上げ、腹が立ちかけたが、
「今年こそ、吠え面をかかせてやる。ウイングボールでも、セクシー下着でも」
 にんまりと笑った。美羽は、恵礼那が逞しくなっていく中等部の部員に期待を大きくしているのだろう、と思ったそのとき校内放送で、
「ウイングボール部、大堂恵礼那、大堂遙流香、穂積美羽、高等部部長執務室まで」
 醍醐からの呼び出しがあった。

 恵礼那、遙流香、美羽の三人がユニフォーム姿のまま醍醐の執務室へ訪れると、醍醐は待ちかねていたように、
「妙なメールが受信されました。ウイルスが仕込まれているかもしれません。誰か、解る人はいますか?」
 三人が醍醐の執務机の上に置かれたノート型パソコンのディスプレイをのぞき込むと、メールソフトが起動し、受信トレイに『超洗浄』とタイトルがついたメールが入っている。
 部長室のパソコンがウイルスに汚染されては一大事であったから、慎重を期し、システム室の責任者を呼んだものの不在であった。
 パソコンに慣れた世代で、部長室への出入りに慣れた恵礼那、遙流香、美羽の三人を呼んだのだった。
 恵礼那は『超洗浄』とタイトルがついたメールをクリックすると、動画ファイルが添付されており、自動でアンチウイルスソフトが起動し、チェックされた。
 結果的にメールは異常がないことが解り、添付された日付がファイル名になった動画ファイルにマウスポインタを重ね、恵礼那がクリックしてみると、OSに付属する再生ソフトが起動した。
 再生ソフトのウインドウに現れたのは、 横浜の山手にある山手(やまて)誠栄(せいえい)女学院三年生のピーちゃんこと鈴井(すずい)雛子(ひなこ)であった。
 醍醐を警戒させた『超洗浄』とは、『挑戦状』の誤変換だったようで、雛子らしい。
「わあ、ピーちゃん」
 息災らしい雛子の姿を見て、美羽が喜ぶと、
「誰ですか?」
「東京ミッドタウンにウイングボールのハウツー本を探しに行ったときに、檜町公園で通り魔に最初にダガーナイフを振り上げられて、お漏らししちゃった子です」
 遙流香が醍醐に説明すると、美羽は首をかしげ、
「あの、聡子先生。ピーちゃんは、横浜にある山手誠栄女学院と六本木にある東和麗華学園が姉妹校だといっていましたが、随分と距離のある学校が同じ系列になるんですか?」
 質問をすると、
「日本の開港時代、大体、一八〇〇年代の後半にカトリックの宣教師が多く来日し、日本の女子教育の遅れに驚き、女学校を開校しました。長い年月の間にさまざまな事情で、分校になったり、統廃合したり、移転したり、名称を変更したりで現在に至っています」
 醍醐が一五〇年以上の歳月の変遷を説明し、美羽がうなずくと、雛子を写した動画ファイルの再生が始まった。背後に純白の聖母子像が映っていることから、どうやら山手誠栄女学院の中庭で撮影したらしい。
「先日はお世話になりました。
 神奈川県にある当校と東京都にある御校が、双方、ウイングボールの地区大会で、全国大会での出場校にならない限り、対戦はあり得ません。
 でも、練習試合となれば、話は別です。通年、頻繁に練習試合を行っている所以(ゆえん)がここにあります。
 幸い、ゴールデンウイーク中の四月の最終日曜日、みなとみらいにあるウイングボール競技場を午後二時から午後四時までの二時間、借りることができました。
 多くの観光客注視の中、正々堂々、戦いたいと思います。
 競技場の貸借料は既に支払いを終えています。よって逃げることは許しません。
 この試合でわたしが勝ったら、わたしとお姉さまが、中華街と山下公園でデートすることを認めていただきます。
 お姉さまの妹は、わたしこそがふさわしいのです。大堂遙流香、あなたはもうじきわたしも姉と呼ぶことになるでしょう。
 二人でおそろいのウエディングドレスに身を包み、生涯を誓い合うのです。
 わたしにはお姉さまのご期待に沿える用意があります。
 ああ、お姉さまはわたしの自由を奪い去り、七ミリの真紅に染めた麻縄をわたしの女の子に重ねて、すてきな姿にして下さるのです。
 炎が燃えるロウソクにだってわたしは引きません。お姉さまがそれを望んでいらっしゃいます。
 わたしの女の子にナニを入れられても、わたしは恐れません。お姉さまの思いがわたしの――」
 恵礼那は再生ソフトのウインドウを問答無用に閉じた。遙流香は不満そうに、
「あー、何で閉じちまうんだよ、面白くなってきたのに!」
「冗談じゃない、これ以上、再生していたら、ナニをしゃべっているのか解ったもんじゃない!」
 恵礼那が顔を羞恥心で真っ赤にしていうと、醍醐は、
「な……何ですか、この耽美(たんび)主義少女は!」
「耽美主義って何ですか?」
 美羽が再び質問をすると、
「美が至上、とする考え方です」
 再び醍醐が説明し、
「で、どうするのですか? 恵礼那さん」
「受けるしかありません。競技場の貸借料は、通常ならば対戦する二校で折半が慣例となっているものを、既に山手誠栄女学院が支払いを済ませています。試合を断ろうものなら、東和麗華学園がネットのさらし者にされます」
「中等部の部員たちに更に自信をもたせるのに、絶好の機会です」
 恵礼那に続いて美羽が雛子の挑戦を受けて立つと、醍醐はうなずいた。
「ピーちゃんの恥ずかしいセリフ、もっと聞きたかったなぁ」
 遙流香が残念そうにいうと、
「聞かなくていい!」
「ピーちゃん、難しくて何をいっているのか解りませんでした」
 恵礼那に続いて美羽がいうと、遙流香が、「後で教えてあげるよ」
 大笑いしながら美羽を見た。


 高輪にある学生寮の一室で、美羽は夢を見ていた。
 父と祖父が、恐ろしい怒声を上げ、罵り合っていた。白い翼をもった母が、幼く震える美羽を抱きしめ、なすすべもなく座り込んでいる。
 場所はどこだか解らない。
 ただ、窓の外に大きな川が流れ、水面が眩しく陽の光を受けて、きらめいている。
「お前、嫁と娘にあの姿をやめさせろ!」
 祖父が母と美羽を指さし、父に憎しみを露わにして怒鳴ると、家族を否定され、激高した父が、
「やっぱり連れてくるんじゃなかったよ、親父。美羽が三つになった祝いに、四柱神社に参拝した帰りに寄ってみれば、これだ!」
「ふん、訪ねてくれ、と頼んだ覚えはない。俺はお前らの結婚は許していなかったんだ。そこに孫娘だって? いい加減にしろ!」
 祖父が怒鳴り返すと、父は祖父の胸ぐらをつかみ、
「おう、いい加減にしてやる。あばよ、親父。会社は松川村の弟に継がせるんだな」
 父は涙を浮かべながら、
「さあ、美羽、帰るよ」
 美羽を抱き上げ、母の手を引いた。
 美羽は祖父を振り返ると、
「おじいちゃんも泣いてる」
 肩をふるわせた祖父の後ろ姿に、なおも気遣った。
 いつの間にか、美羽は小学校中学年になっており、体育祭でラストを飾るリレーのアンカーを任されていた。
 鳥人だから速く走れて当然、といわれるのが嫌で、美羽は翼を一切使わず、脚力だけで勝負を続けた。父兄席には両親が応援に駆けつけている。
 美羽はチームの半周遅れを見事に切り抜け、一着を飾った。
 両親は喜んで美羽に拍手を送った。
 体操着姿で一着の旗をもった美羽が父兄席に足を運び、
「パパ、ママ。おじいちゃんは? おじいちゃんにも喜んでほしい」
 両親にいうと、父も母も美羽から目をそらせた。
 更に、交通事故で両親が亡くなった葬儀の席に、美羽はぽつんと座っていた。あちらこちらで、
「あんな小さい女の子遺して」
「鎌倉の施設に送られるんだって」
「だって、じいさんがいただろう」
偉介(いすけ)のじいさん、美羽ちゃんの引き取りを拒否したんだってさ」
「そんな話ないだろう!」
 降りしきる雨音の中で、美羽は周囲の大人たちの会話の中から、自分は唯一の身内にも捨てられ、遠い地に送られることだけが理解できた。
 ○○のじいさん――
 美羽が唯一の肉親の名を確かめようとしたとき、はっと目をさました。
学生寮の一室に置いたベットで、自分は眠っていたのだった。枕元に置いた目覚まし時計は午前二時半を過ぎている。
 父が四柱神社と夢の中でいっていたのは、松本城の大手門近くにある古い神社であろう。七五三のたびに連れて行かれた覚えがある。
 父と祖父の仲違いは、美羽にとって最もつらい記憶だった。
 ふと、傍らに人の気配を感じた。
 ここはセキュリティー万全のワンルームマンションで、不審者などあり得ない。美羽はまだ夢を見ているのかと、冷静を取り戻そうとしたそのとき、あっと声を上げた。
 不審者は、生きている人間ではなかった。六本木の雑踏の中に立ち尽くしていた老人の霊だった。
「おじいちゃん?」
 美羽が呟くと、霊は力なく美羽を振り返り、うなずいた。
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