外伝・聡子先生の一番長い日

文字数 7,930文字

 醍醐(だいご)聡子(さとこ)は東和麗華学園高等部の部長(校長)執務室で、高等部一年C組の穂積(ほづみ)美羽(みわ)と左手首に包帯を巻いた大倉(おおくら)環奈(かんな)が、借りてきた猫のようにおどおどと報告を終えると、
「解りました、穂積さん、気に病まないで下さい。大倉さん、お大事にして下さい」
 笑顔で応え、退室させた。
 二人の生徒の背が、分厚いドアの向こうに去っていくと、醍醐は執務机に向かったまま頭を抱えた。事は重大だった。
 明後日の日曜日に上野恩賜公園の中にある奏楽堂で、タンザニアから子供たちを招き、日本の私立校の活動を楽しんでもらうボランティアがある。
 これは、JICAと呼ばれている国際協力機構が、開発途上国の発展に協力する日本の援助活動の一環だった。
 従来のインフラ整備、教育、保健、災害や戦争の復興支援にとどまることなく、被支援国の子供達に、自国の将来に明確なビジョンをもたせることを目的として、先進国のあり方を体験させようと計画されたもので、既に十回目と実績を重ねている。
 元々、日本は島国であることから、発展途上国からの国民の受け入れに否定的だったが、一九八〇年以降に実現した中国残留孤児の肉親捜しを先例とし、外務省の肝入りで一回当たり、発展途上国の子供達十名から十五名を招待し、四泊五日程度の日程で、首都圏での社会見学が行われるようになったのだった。
 この支援活動に、東京私立中学高等学校協会をとおし、各校それぞれに特色をもつ都内の私立学校が、持ち回りで授業を離れた部活動で、特に優れた生徒を選出し、持ち時間十分から十五分程度で国際協力に貢献する、というプログラムが組まれている。
 醍醐の双子の妹が高等部部長を務める就学園では、琴の演奏を演し物にしている、と情報があり、姉としての威信を示さねばならない、と醍醐は考えた。その結果、東和麗華学園からはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータから特に著名な部分を演奏できる大倉環奈を選出し、本番に備えさせていた。
 ところが昨日の体育の授業でバレーボールを行っていたところ、『黄金の女王』の二つ名をもち、先週の第三十二回全国ウイングボール中高生大会地区大会第一回戦で、活躍著しかった穂積美羽のサーブをレシーブした環奈が、左手首を傷めてしまったのだった。
 この件について、学年主任からも体育科の教師からも報告はなく、今日の放課後になって、生徒の美羽と環奈が部長室にやってきて、醍醐は初めて事の次第を知った。
 環奈の代役を立てなければならない、室内楽部にモーツアルトの弦楽四重奏曲を演奏させるか、いや、今日の明日で演奏を仕上げろ、という方が非常識だ――
 では、当初の予定通り、ヴァイオリン協奏曲を演し物にするとしても、生徒の中でバッハの古今の名作と讃えられる楽曲を余すところなく表現できる者などもはやいない。
 そもそも環奈を選出した時点で、高等部の生徒のデーターベースを調べ尽くしているのだから、これ以上は悪あがきだった。
 撤退――醍醐は唇をかみしめた。
 このとき、美しいヴァイオリンの音色が窓の外から聞こえてきた。
室内楽部の誰かが中庭でレッスンをしているのだろうか、と思い、醍醐は窓辺に立つと、自分の目を疑った。
 中等部の鳥人の生徒が、クラスメートと思われる二人に演奏を披露しているのだった。
 そのクラスメート二人も鳥人で、ウイングボール部の部員だった。名前は、確か、三木(みき)華生(はなき)花之木(はなのき)仁菜(にな)で、先週の地区大会で活躍している。醍醐が茫然とヴァイオリンを奏でる生徒を見つめていると、一体何の偶然か、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータのパルティータ第2番ニ短調の第5楽章シャコンヌを小手調べ、と言わんばかりに弾いている。その生徒は、
「さあ、今の曲は何というタイトルでしょう?」
 仁菜も華生も顔を見合わせ、首をかしげた。鳥人の生徒は、
「有名なクラシックだよ、バッハのシャコンヌです。それじゃ次の問題ね」
 言うなり、中等部一年生とは思えぬ技量で数小節を演奏した。仁菜は、
「あ、これ知ってる、『四季』って……」
「残念でした。ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲第一番です」
 鳥人の生徒が笑うと、華生は、
「そのヴァイオリン協奏曲の第一番から第四番までが、春、夏、秋、冬っていうタイトルなんでしょ?」
「えー、衣音(いお)ちゃんったら。正解だよ!」
 仁菜が言うと、衣音と呼ばれた生徒はぺろりと舌を出した。演奏の技量ばかりではなく、知識も深い様子が窺えた。
 醍醐は、執務室を飛び出し、衣音に走り寄ると、
「あなた、お名前は? クラスは? ヴァイオリンはいつからやっているの?」
 質問攻めにした。衣音は中庭でヴァイオリンを鳴らしたことをしかも高等部の部長からとがめられているのか、と思い、怯えた表情をした。
 仁菜と華生にとっては、醍醐はウイングボール部の顧問だったから、妙に慌てた様子に怪訝な顔をしただけだったが、衣音には後ずさりするほどの出来事だった。醍醐ははっと冷静になると、
「あ、ごめんなさいね、えっと……」
 仁菜に衣音の名を尋ねようと目線を向けた。仁菜は、
「この子、鷲尾(わしお)衣音(いお)ちゃんです。わたしと華生ちゃんと同じ中等部一年A組」
 仁菜と華生同様に小柄でソートⅠである生徒が、『鷲』がつく姓であることに醍醐は微笑ましい思いで、
「鷲尾さん、ちょっとお話しがあるの。聞いて下さる?」
 穏やかな表情になった醍醐に、衣音はようやく安心し、うなずいた。

 衣音は、仁菜と華生に付き添われるようにして、高等部部長の執務室に入ると、醍醐に執務机の前に置かれた来客用のソファを勧められた。
「聡子先生……ごめんなさい、もう中庭でヴァイオリンは弾きませんから……」
 衣音は勘違いをして、醍醐に許しを求めたが、醍醐は、
「違うのよ。明後日の日曜日にね」
 タンザニアの子供たちに東京の私立中高校が国際協力をすることになっていて、東和麗華学園も参加予定だったものの高一C組の大倉環奈が怪我をしたことから、困り果てていた経緯を伝えた。
「それじゃ、衣音ちゃんがその代役を?」
 仁菜が目を輝かせて言うと、華生も、
「すごい! 衣音ちゃん! 聡子先生に認められたんだよ」
 我がことのように喜んだ。
 しかし、衣音は顔を(うつむ)け、首を左右に振った。醍醐も、仁菜も、華生も自分の目を疑った。醍醐は食い下がる思いで、
「どうして駄目なの? 舞台が大きすぎる?」
 尋ねると、衣音は首を左右に振り、
「ママが……衣音は下手くそなんだから、音楽教室でレッスンをするのはいいけれど、コンサートなんてもってのほかだって……」
 蚊の鳴くような声で言った。
察するに、衣音の母親は、衣音を早くからコンサートに出場させ、生で伝わる聴衆の反応がさっぱり、という挫折を味わわせたくないと考えるあまり、『下手くそ』という思慮のない言葉で傷つけ、長年のうち衣音から自信も、自主性も奪い取ってしまったのだろう。
 醍醐は生徒のデーターベースから衣音の家族構成を調べた。
 衣音は次女で、姉がいる。姉は公立中学へ通っている。父はサラリーマンで、母はヤマキ音楽教室でヴァイオリン講師をしている。衣音がヴァイオリンを持って登校したのは、今日はレッスンがある日なのだろう。
 母は、音大を卒業後、全日交響楽団でヴァイオリンを担当していたが、長女が生まれる際に退職し、次女とともに手がかからなくなったころ、音楽教室のヴァイオリン講師の職に就いたようだった。
 衣音はこうした母から英才教育を受けて育ち、今日あることは喜ばしいが、十三歳になってもまだコンサートに出さないとは、親としてあるまじきで、醍醐は、
「お母さまからお許しが出ればいいのね?」
 問題となっているところを衣音に確かめると、衣音は怪訝そうに、
「どうするんですか? ママは一度言い出しことは……」
 醍醐は、執務机の上に置いてある電話機を使い、交換室へ衣音の母の携帯電話の番号に繋ぐよう伝えると、すぐに、
「はい、鷲尾です」
 衣音の母である裕子(ゆうこ)の声で応答があった。醍醐は生徒たちには、口に人差し指に当て、何もしゃべらないようにとゼスチャーを送り、電話機を手ぶらモードにした。
「初めまして。こちらは東和麗華学園高等部で部長をしております醍醐聡子と申します。中等部一年A組の鷲尾衣音さんのお母さまですね?」
「えっ? 高等部の校長先生? 衣音に何かあったのですか!」
 裕子が驚き、緊張した声で尋ねると、醍醐は、
「いえいえ、衣音さんに今度の日曜日に執務室の仕事を手伝ってほしい、と思って、そのお願いです」
「中等部の衣音が高等部の……衣音に務まるのですか?」
 裕子は、中高一貫教育の私立校のあり方を知ると同時に、古い書類の処分か何かと思い込んだようだった。
「はい、衣音さんは大変に几帳面な性格ですから、是非お願いします」
 衣音はハラハラし、仁菜と華生は呆気にとられて醍醐を見ている。
「そういうことでしたら……」
 裕子は、安心したように了承した。醍醐は、
「それから、衣音さんの気が散るといけませんので、日曜日は衣音さんに携帯電話を持たせないで下さい」
 GPS機能で衣音の所在を母に知られぬ策を講じた。醍醐は、衣音を見たまま、
「あら、衣音さん、ヴァイオリンを置いたまま帰ってしまって。きっと高等部の執務室に呼んだことで、すっかり緊張させてしまったのですね。ごめんなさいね」
 そこに衣音がいないかのような話を始めた。日曜日に衣音が自宅からヴァイオリンを持って出ないようにするためだった。
「まあ、それじゃ、今日のレッスンは教室で用意しているものを使わせます。あの子は忘れ物が多くて……」
 裕子が苦笑すると、醍醐は、
「それではよろしくお願いいたします」
 手早く通話を終えた。
 受話器が置かれると、衣音と仁菜と華生は大笑いをした。醍醐自身も国際協力云々とは一言も言ってはおらず、裕子を騙したことにはならない。
 しかし、衣音が自宅で口を滑らせるなどの成り行きによっては、裕子が怒鳴り込んでこないとも限らない。衣音が見事に国際貢献を果たせれば、大きな自信を与え、同時に裕子の誤った考え方を正せる機会となる。
 醍醐の賭けが始まった。


 奏楽堂は、上野恩賜公園の緑の中に、ひっそりと息づいていた。
 木造二階建、桟瓦葺で、中央家と翼家から構成される奏楽堂は、東京音楽学校と呼ばれた現在の東京芸術大学音楽部の講堂兼ホールとして、明治二十三年五月に建設された。
 創建以来、日本の音楽教育の中心的な役割を担ってきたが、機能面と老朽化から昭和末期に使用禁止となり、次いで台東区が譲り受けた。
 その後、有志の活動により、現在地に移築、保存の後、一般公開され、国の重要文化財指定を受けている。
 こうした伝統ある建物の二階に設けられた日本最古の洋式音楽ホールでは、国際協力機構が募ったボランティアに引率されたタンザニアの子供達を主賓として、東京都の私立校の中高生によるミニコンサートが開催されていた。
 吹奏楽部による日本のアニメ映画のテーマ曲の演奏もあれば、室内楽団のクラシック演奏もある。日舞や琴の演奏とプログラムも多彩だった。
 発展途上国の子供達にこうした楽器演奏が受け入れられるのか、ボランティアの中で不安に思う声もあったが、正に音楽は国境を越えるの言葉通り、どの子も目を輝かせてステージを注視している。
 ミニコンサートは大成功だった。
 出演校六校の最後を飾る東和麗華学園からは、中一A組の鷲尾衣音と大倉環奈がステージに立ち、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの「パルティータ第2番ニ短調BWV1004第5楽章シャコンヌ」を奏で始めた。
 偶然に日曜日の午後に上野公園を通りかかり、ボランティア活動のためのミニコンサートに興味を引かれ、一般の聴衆としてホールに足を運び、三百三十八席全てを満席とした観光客までが、極めて高度な演奏技術をもったヴァイオリニストが、実は年端もいかない中学生であった事実に、愕然とした。
 演奏を始めた瞬間、観客席におや? という雰囲気が流れた。中等部の衣音が譜めくりで、演奏は高等部の環奈が行う、と誰もが考えたのだった。
 しかし、演奏が始まると、中等部の衣音が自在に指板に左手を滑らせ、四本の弦の周囲を正に超絶技巧で弓を弾き、古今の名作を奏でる姿に、誰もが唖然とした。
 譜めくりのために衣音の傍らに立った環奈だったが、衣音は殆ど楽譜を見ていない。
 シャコンヌは名称どおり変奏曲で、冒頭の八小節に現れる低音のシャコンヌを主題とし、種々の変形を受けながら、この主題が三十二回現われ、そのたびに上声を連続的に変奏する壮大な作品である。
衣音は母の耳と口が、姉の目もないヴァイオリ演奏がこれほど楽しいものだったとは、夢にも思っていなかった。
 母は、音楽教室でも発表会の場でも、些細なミスを聞き逃さず、他人の面前で衣音を叱りつけている。褒められた記憶などない。
 母から叱られまいと、住まいがある御殿山の町公園で練習を重ねれば、必ず姉が遠目に見張り、近所に自慢していたと衣音のすることなすことを曲解し、母に悪意たっぷりに告げ口されては、また母に叱られる。
 いつしか、一つ屋根の下でありながら、衣音は姉とは口も利かなくなり、音楽教室では当然であったが、 家庭でも母を『先生』とよそよそしく呼ぶことが当たり前になっていた。
 しかし、今日に限っては、リハーサルでも本番でも、家族はいない。いるのは、輝くような瞳と笑顔を絶やさぬ異国の子供達と公正な上野の観光客だけだった。
 最前列には、醍醐と担任の沼田のほか仁菜、華生の姿がある。
 やがて、衣音が大任を果たし終えると、観光客とボランティアは拍手を惜しまなかったが、タンザニアの子供達は立ち上がり、拳を振り上げ、全身で喜びを表現している。
 衣音も環奈も瞳に涙をにじませ、聴衆に深く頭(こうべ)を垂れた。

 奏楽堂の二階にあるホワイエと呼ばれる休憩スペースは、和やかな雰囲気に包まれていた。
 タンザニアから訪れた子供達が、ボランティアの通訳を介し、ミニコンサートの出演者となった中高生達に次々と質問を浴びせているのだった。
 学校の校訓や校風、授業の特色を尋ねるのではなく、水道の蛇口をひねれば、水が出るって本当? みんなどうやって学費を払っているの? という問いかけばかりだった。
 今回、招待されたのは、タンザニアでも特に貧しいモシ県、ムビンガ県の子供達が多く、超高層ビルが建ち並び、インフラが整った日本の首都圏は、正に夢の大地であった。
 こうした子供達の中でも、最年長と思われる十二、三歳の男の子が、醍醐に連れられた衣音と環奈の姿を見かけると、
「トーワ! ダダ! ダダ!」
 興奮して声をかけてきた。
 環奈と衣音が戸惑っていると、ボランティアの一人が、
「ダダというのは、スワヒリ語でお姉さん、という意味で、トーワは東和麗華学園のことだと思います」
 苦笑して説明してくれたが、男の子はすっかり興奮し、通訳の言葉を遮り、
「素敵な演奏をありがとう、本当にありがとう、僕達、今日のことは絶対に忘れないよ!」
 たどたどしい日本語で感謝を述べた。衣音は、感謝しているのはむしろ自分の方で、どう伝えたらいいものか考えていると、醍醐は通訳に、
「練習らしい練習も殆ど出来なかった生徒の演奏に、こんな喜んでいただけて、私達の方こそ感謝に堪えません、と伝えて下さい」
 衣音と環奈の思いを代わって伝えた。ボランティアの通訳が、異国の子供達に醍醐の言葉を伝えると、最も年少と思われる六、七歳の女の子が、衣音の腰に抱きついてきた。
 衣音は、その女の子に、まるで母の愛を無意識に追い求めている自分自身を見たような思いになった。そして、自らが最も望んでいるとおり、何度も何度も優しく頭をさすった。


 醍醐は、左手首に包帯を巻きながらも譜めくりに尽くした環奈と、愛用のヴァイオリンをソフトケースに収め、背負った衣音を連れ、東京メトロ日比谷線を上野駅から乗り、六本木駅で下車すると、陽が傾いてなお交通の激しい六本木通りの歩道を、外苑東通りへ向かって歩いた。
「今日は何だか不思議な一日でした。自分が国際協力を出来たなんて、夢みたい」
 環奈が嬉しそうに言うと、衣音はうなずき、
「本当に助けてもらったのは、わたしの方だと思っています。聡子先生、わたしも何かしたいんです。でも、何を、どこから、どう始めていいのか解らない。どうしたらいいですか?」
 思いもかけず、貧困を極めながらも、瞳の美しい輝きを失わないタンザニアの子供達と触れ合う機会を与えてくれた醍醐に、真摯に問いかけた。
 醍醐は、思いが重なり合い、華麗な織物のようになった生徒達の心の成長に目を細めながら、
「そうね、鷲尾さんの場合は、まずご家族に元気に声をかけることから始めましょう。おはよう、とか、ありがとう、とか、おやすみなさい、などかしらね」
 にこりと笑って応えた。衣音は拍子抜けし、
「そ……そんなことでいいんですか?」
「あら、最初は照れくさくて、なかなか出来ないものよ」
 醍醐は衣音の家庭を見抜くように言った。姉とは、既に二年以上もろくに会話していなかったし、母には、音楽教室ばかりではなく、家庭でもよそよそしく『先生』と呼んでいる。
 しかし、先ほどのタンザニアの最年長の男の子が拙いながらも、日本語で懸命に伝えた感謝の言葉を思い返せば、たった挨拶一つが心を救う強大な力をもっていることが解る。
 刹那的な出来事に対して、鳥人も人間もどのような思いを感じ、どう行動をするのか、その品性の基礎を築かれるのは、家庭であった。
 衣音が醍醐の言葉に思わず考え込んでしまうと、醍醐は、
「衣音さんから家族に温かな関心を寄せていけば、家族も衣音さんに重きをなしていって、必ず大きな結果に繋がっていきますよ。がんばって!」
 ミニコンサートで目の当たりにした、ずば抜けて優れたヴァイオリンの演奏技術を早くから身につけた、衣音の無限に拡がっている未来に思いを馳せて言った。
「聡子先生、今、何て言ったんですか? もう一度、教えて下さい!」
 思わず聞き返した衣音のまだ幼い顔を、対向車線を走ってきた行楽帰りの互いに笑い合う家族連れを乗せたワンボックスカーのヘッドライトが、祝福するかのように明るく照らし出した。

 翌朝、地方紙の首都圏新聞を購読する鷲尾家で、裕子が地域面に目を通すと、東和麗華学園の制服に身なりをととのえた次女の衣音が海外協力に参加し、タンザニアの子供たちに囲まれている姿が大きく取り上げられていることに気づき、愕然とした。
 衣音は何も気づかず、
「ママ、おはよう!」
 普段では口にもしないことを言い出した。裕子も、
「おはよう、衣音」
 反射的に返すと、衣音が妙に嬉しそうな顔をした。裕子は首都圏新聞を折りたたむと、ヤマキ音楽教室が主催した、コンサートのようなイベントを開催できないものかと、考えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み