ろくでもない出来事の後始末は、昼休み突然に1

文字数 4,778文字

 代々木に建つ岸記念体育館の一階にある会議室からは、女子中高生の嬌声が絶えず聞こえていた。
 七月から始まる、第三十二回全国ウイングボール中高生大会への出場権を得る、東京地方大会第一回戦の組み合わせ抽選会が開かれているのだった。
 ウイングボールとは、ペルー発祥の球技と言われ、欧米では国をあげて熱狂的だが、日本では知る人も少ない。
 しかし、色も形も様々な翼を羽ばたかせながら、バスケットにラグビーの要素を加えた空中戦を、中高生の女子生徒が競う姿は、迫力にあふれている。
 もっぱら女子校の選手が出場するにもかかわらず、近隣の男子校の応援部が会場に駆けつける習慣も微笑ましい。
 六本木にある東和麗華学園中高等部のウイングボール部のキャプテン、大堂(だいどう)恵礼那(えれな)は、身長百七十一センチ、体重六十キロという女子にしては大柄な体躯を緊張させ、会議室の正面で、1から34までの数字が記された抽選番号札が入った箱から21の札を引いた。
 会議室の正面には、大型のディスプレイが設置され、代表者が引いた数字がぱっと学校名に切り替わるため、21の欄は東和麗華学園中高等部、と表示が変わった。
 中高生の嬌声が一層、響き渡る。
 20番は既に新宿にある(しゅう)学園中高等部と決まっていたから、恵礼那は彫りの深い端正な顔をうつむけ、唇をかみしめたた。
 就学園といえば、去年と一昨年の東京都の代表校で、二回戦進出も経験したことがない東和麗華学園など、足下にも及ばない。
 恵礼那は高等部三年生で、もはや来年の三月には卒業となる。在学中はウイングボールに打ち込みながらも結局は一度も他校に勝てなかったことになる。
 やがて、第一回戦の組み合わせすべてが決定すると、鳥人の中高生たちはぞろぞろと会議室を後にし始めた。
 恵礼那もスマホを濃紺のプリーツスカートのポケットから取り出すと、一般の学校では校長に相当し、ウイングボール部の顧問を兼任する醍醐(だいご)聡子(さとこ)に抽選結果を報告すると、すぐに学校へ戻るように指示を受けた。
「大堂恵礼那さん?」
 不意に恵礼那は、自分を呼ぶ声に立ち止まり、振り向いた。
 先ほどの抽選会で進行役を務めていた、鳥人用のスーツ姿の星野ゆかりが立っていた。
 星野は、高校時代はウイングボール部を二年連続、大学時代は三回、全国大会優勝の牽引役として大活躍をしていた。
 社会人になってからは連盟に在籍し、ウイングボールの広報に努めるほか、学生の指導にも余念がない。
 正に東奔西走の生活を続けている。
 恵礼那がボーイッシュなショートヘアに加え、日焼けで浅黒い顔をした星野と目が合うと、
「第一回戦から、『白銀の姫君』がいる就学園に当たってしまいました。わたし――」
 とても勝ち目のない対戦相手と初戦から出っくわしてしまったことをつぶやいた。
 恵礼那が、初等部から私立の東和麗華学園に通い始めたのは、父親が学園の理事の一人を勤めているからだった。
 裏口云々、と陰口をたたかれるのが嫌で、恵礼那は中等部に進むと、鳥人であることをいかし、ウイングボール部に入部し、専念していたところに、輝かしい経歴をもつ星野が短期コーチとして指導に訪れた。
 恵礼那は、ウイングボール部の魅力に惹かれ、入部する生徒は多かったが、誰もが長続きせず、すぐに辞めてしまう中、熱心に指導を続けてくれた星野にいつしか尊敬以上の感情を抱くようになっていた。
 星野への思いを、せめて在籍中に三回戦進出によって表したかったが、現実はまるで逆だった。
 星野は、恵礼那の感情を十二分に理解しながら、
「勝つことも大事だけれど、ウイングボールからはもっと大切なことが学べると思うの」
 そんなアニメのテーマみたいなことを言われても――
 現に、星野は勝ち続けたから今日ただいまがあるのではないか、恵礼那は、
「わたし、でも、東和麗華を二回戦、三回戦と勝ち進めたかった。それを星野さんに見てほしかった」
 恵礼那のあまりに思い詰めた表情に、星野はもはやかける言葉を失った。
 

 
 午前中一杯は、東和麗華学園高等部一年C組は落ち着きをなくしていた。
 今朝方、六本木五丁目交差点での事故から初等部の生徒を救った美羽の活躍を聞きつけた高等部の生徒は勿論のこと、中等部の生徒までが、休憩時間になると入れ替わり立ち替わり教室へ訪ねてきては、
「あの、穂積さんって誰ですか?」
 と、決まれば決まり切って、判をついたような質問をしていくのだった。
 そのたびに廊下側に座っているクラスメートが、窓際に座っている美羽を指さして応対をさせられる。
 三時間目の休み時間になると、廊下側の生徒も面倒くさくなってきて、美羽に席を替わるように言い出し始め、クラスは落ち着くまで暫定的な席替えをする羽目になっていた。
 教室にまでやってこないにしても、中高等部の校地内では、美羽に対し、憧れもあれば、妬みの目を向ける生徒もいたりで、
「いいわね~、鳥人の子は活躍する機会があって」
 聞こえよがしに言う生徒もいた。
 気がつけば目立つことをしている美羽にとっては、自業自得とはいえ、固い石の上に正座させられている心持ちだった。
 友人の真希までもが、
「自分でしでかしといて、何よ、そのしょぼくれた顔」
 素っ気なく美羽をあしらい、しきりに高価そうな十一型モニターを搭載したノート型パソコンを操作している。
 真希は一時間目、二時間目と授業そっちのけで自分のパソコンで動画編集を繰り返している。
 美羽は、真希が一体、何を創っているのか、ディスプレイをのぞき込んで見ると、あっと声を上げた。
 今朝の足場の崩落事故を間近で捉えた画像を、周囲の景色を巧みに盛り込み、臨場感たっぷりに二十秒ほどの動画に編集して、既にサイトにアップしていた。
 今頃は、テレビ局のニュース番組のスタッフの目に触れていることだろう。
 早速に、真希のスマホに動画の使用許可を求めるメールが着信された。
 美羽は声を震わせ、
「あんた、自分が何やっているのか解ってる?」
「人を夢遊病者みたいに言わないでよ」
 タイトルは『黄金の女王の帰還』、投稿者は『マキちゃん』とした動画は、アクセスカウンターをまるで意図的に操作しているかのように、すさまじいカウントを始めた。
 美羽は茫然としてディスプレイを見つめていると、背後からスマホにワンセグを受信させていたクラスメートがいたらしく、
「今朝、午前八時頃、東京都港区でビルの足場が崩れ落ち、下敷きになりかけた小学生を鳥人が救出するという出来事がありました」
 ニュースキャスターの声に重なり、マキが投稿した画像が、いつの間にか視聴者提供として、放送されていた。
「何の真似? どうしてくれんのよ、これ!」
 もはや動画が一人歩きを始めている事態に、美羽が声を上げると、
「だって、美羽、石ころか空気みたいに目立たずに高校生活を終えたい、とか言ってたじゃない。そんなこと考えてないで、もっと青春を楽しもうよ」
 真希はけろりとしてこたえた。真希のスマホの動画再生画面では、投稿してものの五分もたたないうちに再生回数は一千を越え、それなりの評価を社会から得ている。
 真希はにんまりと笑った。

 ○

 東和麗華学園中高等部の広々とした学生食堂は、明るく、清潔がある。
 メニューも豊富で、昼休みになれば、育ち盛りが集まり、賑わう。
 恵礼那だけは柱の陰のテーブル二向かい、憮然とした表情で海鮮丼を食べていた。
 好きなはず甘エビも必要以上に醤油に浸し、口の中へ放り込むと、ろくに()みもしないでゴクリと飲み下した。
 全国ウイングボール中高生大会東京地方大会第一回戦の組み合わせ抽選会で、昨年の優勝までチームを引っ張った『白銀の姫君』がまだ在籍中の就学園とばったり出っくわし、戦う前から敗退の憂き目に()わされ、自分にウイングボールのあるところを教えてくれた恩師に、何の報恩もできなかったことが落ち込みの原因だった。
 あんなスクラップみたいなチームを後二か月でどうやって鍛えればいいのか――
 このとき、高等部一年生に進学した妹の遙流香(はるか)からメールが届いた。
 遙流香はA組のクラスメートたちと屋上で、朝方、母が持たせてくれたサンドイッチでは足らず、コンビニで買い足したジュースやコロッケを頬張っている写メが表示され、
『ねえ、これ、知ってた?』
 と、一文が添えてある。また、くだらない用事で、と思ったそのとき添えられた一文が動画サイトのURLであることが気になり、再生してみると、恵礼那は愕然とした。
 東和麗華学園がある鳥居坂へと繋がっている外苑東通りの六本木五丁目交差点で、オフィスビルの外壁に組みつけられた足場の崩落事故があり、あわや犠牲となりかけた初等部の生徒二人を鳥人二人が見事に連携して救出した動画だった。
 鳥人二人のうち一人は地理的にも、着ている制服からも、東和麗華学園の生徒に他ならない。
 恵礼那が驚いたのは、黄金の翼をもった生徒の驚異的な運動能力だった。
 事故に遭いかけた初等部の生徒が低学年とは言え、体重は十五キロから二十キロはあるはずで、これを抱えてロケットの発射のような揚力を獲得していることは、尋常ではなかった。
 画像はわざと画質が落とされていて、判然としないが、鳥人は片翼だけで身長の三倍はある巨翼を瞬時にして展張し、なお翼の先端に並ぶ初列風切を全開にしている。
 この生徒が飛翔した瞬間は、辺りに突風が吹き荒れたことだろう。
 さらに恵礼那を驚かせたのは、黄金の翼をもった生徒と無言で連携しのは、就学園の『白銀の姫君』の二つ名をもつ(かけい)美雪(みゆき)であったことは明白だった。
 そういえば――
 恵礼那は海鮮丼を食べ終わり、茶を飲むと、新学期が始める直前、東和麗華学園の理事を務める父が、晩酌のときに妙に上機嫌に、
「おい、恵礼那、遙流香」
 と、母に酌をさせる手を止め、娘たちを呼びつけると、
「新学期から高等部にすごい生徒が転校してくるからな。驚くなよ」
「東和麗華学園の高等部は、入試をしていないよ。中高一貫教育で……」
 遙流香が首をかしげて言うと、父は、
「醍醐先生の(きも)いりで、奨学生の入学を認めたんだよ。これがな」
「へえ、どんな子なの?」
 恵礼那が母に替わって、水割りのおかわりをつくり、父に渡して、巧みに聞き出そうとした。母は、
「ダメですよ、あなた。子供にペラペラと」
 父を窘めたが、
「お前は黙ってろ。恵礼那も今年はウイングボール部を引っ張らなきゃならんのだ。遙流香は来年だ」
 母を叱りつけた。どうやらウイングボール部に関連しているらしい。遙流香もつまみを父に勧めると、
「そうなんだ。で、どんな子なの?」
「すげぇぞ、北アルプスの山谷と湘南の海を飛び回って育った野生児だそうだ。恵礼那も遙流香もうかうかしていられねぇ、しっかりやんだぞ!」
 父は大笑いをした。
 このときは、恵礼那も遙流香も酔った父の戯言(たわごと)だと思ったが、動画を見る限り、東和麗華学園高等部に途方もない新入生がいることは事実であった。
 しかも新学期が始まり一週間もたつのに、新入生はウイングボール部の門をたたかなければ、一般の学校で校長に相当する部長の醍醐が、新入生に入部をはたらきかけないことは由々しきことであった。
 このとき、
「高等部三年B組、大堂恵礼那、部長室へ」
 校内放送があった。呼ばれるまでもなく、恵礼那は食器を片づけると、学生食堂を出た。
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